贅沢はできないけど、全ての命と生きる街づくりを一緒に

希望のまち東京in東部
HOPE創刊号 希望のまち東京in東部はWebマガジンHOPE創刊号を2016年4月23日に発刊しました。宇都宮健児さんのインタビューです。PDFファイルで20MBあります。ブロードバンド環境でダウンロードください。Facebookをお持ちの方はコメント付でシェアしてくれると嬉しいです。
希望のまち東京in東部

希望のまち東京in東部読書会第16回「封建制」

希望のまち東京in東部は2016年10月1日(土)、読書会第16回「封建制」を江東区東陽の希望のまち東京in東部事務所で開催した。柄谷行人『世界史の構造』から「第2部 世界=帝国」「第3章 世界帝国」「5 封建制」を取り上げた。

世界帝国の起源は古い。文明の発祥と共にある。封建制は近代的な制度である。西洋的な封建制と日本の封建制は若干異なる。ローマ帝国の後にゲルマン的な封建制が生じた。封建制は君主と臣下の関係である。領地の支配を認めることが特徴である。

ゲルマン的な領地の支配は土地所有権を認める。日本は重層的な職の体系であった。一つの土地に複数の領主が成立していた。そこが近代的な所有権概念が西洋で生まれ、日本では遅れた要因ではないか。

ゲルマン的封建制の特徴はレーエンである。レーエンも完全な所有権ではない。地上権や借地権などの集合である。イギリスでは14世紀までに賦役・貢納が金納になり、農民の貨幣地代への転化が一般化した。商品交換の段階に入りやすかった。イギリスはノルマンディー公ウイリアムが征服したため、王権が昔から強かった。

前近代は土地を自由に売却するという意味での所有権はない。所有権は当然の概念ではない。所有することは個人の独立と同じ次元で生じるのではないか。Dependではなくindependentである。個人主義は、どこかに寄りかかることを否定する。個人の概念が出て、所有権が生じた。

日本の開発領主は古代の豪族の末裔ではないか。大和朝廷の中央集権化の中で抑えつけられたが、滅びてはいなかった。氏族制度は残存していた。開発領主が武士になっていく。封建制の家臣は官僚ではない。官僚や常備軍は絶対主義国家で整備される。絶対主義国家では万民が国王の臣下になっていく。経済と国家は緊密に結びついている。

イギリスでは囲い込み(エンクロージャー)が起きた。これによって資本の本源的な蓄積ができた。そこには植民地市場もあった。グローバリゼーションの萌芽がある。

ここではマックス・ウェーバーの思想が出てこない。清教徒の思想が資本主義を作った。ウェーバーは全てをひっくるめた思想家である。マルクス主義とウェーバーは対立する訳ではない。マルクス主義とは別の観点から説明している。しかし、偏狭なマルクス教条主義者は下部構造が上部構造を規定するとして、別の観点からの説明を頭ごなしに否定してしまう。そこはウェーバーから批判される。

アメリカのリーマンショックは、日本の不動産バブルの失敗を学んでいない。投機詐欺師はどこにでもいる。バブル時代の不動産評価は出鱈目であった。地上げ屋の手口は、えげつない。地上げに失敗した虫食いの土地が各地に残っている。資本主義は利益を生み続けなければならず、立ち止まると潰れてしまう。今の日本もどうしようもない。豊洲の問題とオリンピックの問題はリンクしている。

江東区東陽のガーラ・グランディ木場など各地で住環境破壊のマンション建設がなされている。マンション反対運動は裁判だけでない。事業者は金儲けのためにマンションを建設する。東急不動産やFJネクストの物件を買わないように、借りないように消費者に訴える。長い目で見た活動になる。

右翼の学者はアメリカの問題を分かっている。本当の右翼は日本を大事にする。アメリカから日本を守ろうとする。そのためにアメリカを知ろうとしている。FRBは民間の株式会社である。アメリカに従属する右翼は問題である。本物のナショナリストが出てくるのではないか。

宮沢賢治の作品からナショナリズムを感じることがある。宮沢賢治と石原莞爾は国柱会の信者である。北一輝も法華経を信奉していた。サンカは面白い。能楽師は道々の者であった。善の概念、無の概念、場の概念は奥深い。

本当の成長産業は何か。消滅する産業も出てくる。100円ショップの商品が東急ハンズなどでは5倍10倍の値段になっている。東急ハンズも国産品を仕入れている訳ではない。流通の工夫ではないか。一国だけで経済を考えることはできない。

金融特区を作ると胡散臭い連中が集まる。詐欺師の温床になる。金融特区は単なる経済特区とイメージが異なる。「東京の中小企業のため」と耳あたりの良いことを言ってくる。金融特区の是非は相当勉強しないと判断できない。

豊洲住民が歓迎できる豊洲市場予定地の利用法を提示できれば、築地市場の現地再整備も現実味を帯びる。都の役員は無責任である。空気を読む。戦時中の日本と同じである。腹を切る人間が何人か必要ではないか。それができないと民主党政権と同じである。

次回は「第2部 世界=帝国」「第4章 普遍宗教」「1 呪術から宗教へ」を取り上げる。

封建制の影響

林田力

希望のまち東京in東部第16回読書会「封建制」の問題提起として、現代に影響を与えている封建制は何時代のものかという問いがなされた。私は、あえて戦前と答えたい。

封建制には二つの意味がある。本来の封建制は御恩と奉公の主従関係である。しかし、農奴制・家父長制を封建制として使用されることも多い。例えば「私の親父は封建的だ」という使い方である。現代社会の問題という観点では、この意味の封建制が重要になる。ブラック企業など新しい装いの封建的支配関係が生じている。

この家父長制という意味での封建制は逆説的ですが、戦前に最も色濃く現れたと考える。封建的主従関係は江戸時代で終わったが、家父長制は明治から戦前に逆に強化された。実際、明治から戦前の間に本百姓は小作人に没落していき、大地主化していった。だからこそマッカーサーの三原則で「日本の封建制度は廃止される」を掲げた。国家の近代化と家父長制の強化は一見すると逆のベクトルに見えるが、プロイセンでも国家の近代化と農奴制の強化が平行して進展した。

御恩と奉公の主従関係という意味での本来の封建制は、絶対服従の倫理ではない。むしろ自立的な個人と親和性がある。読書会の表現を使うならば互酬性のある関係である。ブラック企業のような絶対的従属関係が残存する集団主義的な日本社会では封建制に学ぶところがあると言ってよい。

この封建制の双務契約的な側面は時代が下るにつれて希薄化していった。鎌倉時代の封建的主従関係よりも江戸時代の封建的主従関係の方が一方的従属関係の度合いが高まる。このため、鎌倉時代の関係の方が学ぶ点が大きい。しかし、その江戸時代以上に明治時代は封建的主従関係が消滅して万民が天皇の奴隷となり、従属度合いが高まった。

希望のまち東京in東部読書会第15回「世界帝国」

希望のまち東京in東部は2016年9月24日(土)、読書会第15回「世界帝国」を江東区東陽の希望のまち東京in東部事務所で開催した。柄谷行人『世界史の構造』から「第2部 世界=帝国」「第3章 世界帝国」を取り上げた。

歴史は直線ではない。相互作用がある。交易と戦争を通して大きな国家(帝国)が形成された。近隣への輸出のために灌漑農業が発達した。大規模な灌漑農業は、市場があって可能である。マルクスのアジア認識はステレオタイプなものであった。知識自体がなかった。

小国家は戦争状態よりも帝国の確立を歓迎する傾向がある。中華王朝は、実は大半が征服王朝であった。中華帝国が積極的に侵略したというイメージは誤りである。万里の長城は外敵の侵略目的ではない。遊牧民と農耕民の領域の確定線であった。

中国は琉球を支配したことはない。日本は亜周辺である。朝鮮は周辺である。周辺は帝国システムに取り込まれる。朝鮮は中国のシステムを導入した。日本は導入したふりをしただけ。琉球は中国型である。卑弥呼は中国では三国志の時代である。

世界帝国は東洋的専制国家として始まった。イギリスはローマ帝国の亜周辺であった。ゲルマンは周辺であり、取り込まれた。亜周辺は、より柔軟な対応ができた。資本主義の発祥地は農業的に豊かではない場所である。

モンゴル帝国は遊牧民の国である。遊牧民が帝国を興すと互酬性が失われるが、モンゴル帝国は緩やかな連合体であり、互酬性を残した。それがモンゴル帝国の長く続いた原因である。ジンギスカンには四駿四狗という側近や将軍がいた。モンゴル帝国には専制的なイメージがあるが、実態は異なる。日本との関わりも元寇だけではない。朝鮮半島と日本の関係は、もっと親密である。江戸幕府も朝鮮王国と交流していた。三国時代の高句麗は大国であった。日本は朝鮮半島から見れば辺境であった。

世界=帝国から世界=経済(近代世界システム)への展開はアジア的帝国ではなく、後に出現したギリシア、ローマによってなされた。ギリシアでは市場経済が出た。ポリスは氏族社会の延長線上ではない。イオニアの諸都市がギリシア文明をユニークにした。イオニアはアナトリア半島のエーゲ海沿岸部の一地方である。

イオリニアはアジア的専制国家のシステムである官僚制や常備軍・傭兵を受け入れなかった。官僚支配下では市場経済は発達しない。イスラム帝国は国家の規制が強く、世界=経済に進まなかった。イオニアは遊動性を前提としている。不平等や専制があれば別の場所に移動する。

アテネは多数者である貧困者が少数の富裕階級を抑えて再分配による平等を実現する。貧困市民も軍隊になる。貧困者を疲弊させると軍隊を維持できなくなる。富裕層の都合があった。第一次世界大戦で社会福祉が発達したことに重なる。福祉政策は際どい。この時代から同じであった。

それに比べるとイオニアは独特であった。自由であることが平等であった。中央集権的ではなかった。自由に選択させることで平等が実現する。住みやすい都市には人が集まる。人間の意思が反映しない方がいい。余計な拘束をしない方がいい。アテネのデモクラシーが現代のブルジョア民主主義(議会制民主主義)につながっていくとすれば、イオニアはそれを越えるシステムの鍵になる。

アテネやスパルタは戦士=農民の共同体であった。アテネのデモクラシーは閉じられた共同体に成り立つ原理である。外に対しては帝国主義的な収奪、内に対しては民主主義と福祉政策。内部にも奴隷や外国人という民主主義の対象外の人々を前提としていた。民主主義が最高とは言えない。

帝国主義と帝国は異なる。帝国主義は軍事力による植民地支配である。帝国主義は利益にならない。帝国は共同体間、国家間の交易を可能にする。アメリカは帝国であるが、帝国主義ではない。左翼は米帝国主義と言うが、間違っている。現代と重なる。人間のやることは変わらない。グルグルと回っている。経済圏は一つの帝国である。アメリカの土台が揺らぎ始めている。その動きを進めていく。

文明の成り立ちからアメリカとヨーロッパは異なるのではないか。中国は分かりやすい帝国である。ロシアはマルクス・レーニン主義で世界帝国の夢を見たのではないか。中国はロシアの失敗に学び、「マルクス・レーニン主義は名前だけにしよう」とした。「同志」と呼びかけても同志ではない。

政府の規制が市場経済を損なう。マルクス主義以前の問題として、国家の規制が自由な市場を損なうことはマルクス主義以前の問題である。平等と自由は対立概念ではない。教条的なマルクス主義者は自由と平等を対立概念と思ってしまう。平等は労働のモチベーションを下げる。そこが共産主義批判になる。アメリカ的な機会の平等を言うようになる。子どもの貧困などである。

ローマは貴族出身の終身議員で構成する元老院が実権を握った。皇帝も元老院に従属する形をとった。ローマは他の共同体に対して柔軟な対応をすることで、世界帝国を築いた。封建制はゲルマン人の移動後である。封建制の後に絶対王政が登場する。絶対王政が資本主義や民主主義を準備した。封建制は物語、イデオロギーである。

太閤検地は重層的な職の構造を廃止した。中間的な地侍は農民になるか大名の家臣になるか。農民が土地を自由に処分できない点は江戸時代まで変わらない。太閤検地は豊臣秀吉の家臣が各大名の領地に検地に行ったが、江戸幕府は大名の申告制にした。

江戸幕府の征夷大将軍は絶対君主ではない。江戸幕府は世界から見ると変わっている。ナショナリズムは生まれなかった。ナショナリズムは藩であった。郷土愛であった。明治維新をブルジョア革命と見るか、絶対主義の確立と見るか。

柄谷さんは通俗的なマルクス主義者が捨てている論点を提起している。生産よりも消費が重要である。都市が農業の基点である。消費の場所が先である。市場があるから農業が生まれる。商品は農作物でなくてもいい。唯物史観では出てこない。視点が変わる。金融の信用は互酬制である。互酬制は消滅していない。ストレートに国家解体は無理である。次の社会への提案になる。カントを保守思想と思っていた。カントとマルクスという切り口は素晴らしい。

プラトンの理想主義はソ連のような全体主義に行き着く。プラトンからニーチェに行ってしまう人もいる。国に任せておけば大丈夫、官僚に任せておけば大丈夫とは言えない。柄谷さんはイオニアを評価している。古代ギリシアでは多様な人々が多様な都市国家を運営した。スパルタは軍事国家とて特色がある。アテネでは自由な商業が確立していた。しかし、アテネ市民は農民=戦士であり、商業を軽蔑していた。重要なものを軽蔑していたという点が興味深い。

フリーアナウンサーの長谷川豊さんがブログで人工透析患者は自業自得であり、実費負担すべきと主張した。それが炎上している。生活習慣病が生活習慣の悪さに起因することは確かである。それを議論の遡上から排除することは正しいか。その現実を批判する権利はある。反論する権利もあるだろう。表現の自由や議論する自由はあっていい。

現行の保険制度でも保険対象外の治療がある。それとの不平等という問題がある。現行の医療保険が平等ではない。東京電力に国家予算が投入されることを不満に抱き、実費負担すべきという主張も問題になるのではないか。「おかしい」と真っ当に言えるネットであって欲しい。炎上すること自体がヒステリックである。インターネットは完全な匿名性は無理である。媒体が記事を削除したことは批判の対象になる。

「区民ファースト」を掲げる区議会議員がいる。小池新党予備軍ではないか。都民ファーストの会に色々な立場の人が集まれば面白い。区議会議員は地元密着だから面白い。都議会議員よりも地元密着である。都議会議員は中途半端である。政党への依存度が高い都議と自立度が高い都議で二極化する。

蓮舫・民進党代表が小池百合子・東京都知事を表敬訪問した。蓮舫氏は公職選挙法違反の疑いで刑事告発された。「警察を動かすな」というお願いをしたのではないか。

次回は「第2部 世界=帝国」「第3章 世界帝国」「5 封建制」及び「第4章 普遍宗教」「1 呪術から宗教へ」を取り上げる。

希望のまち東京in東部読書会第14回「世界貨幣」

希望のまち東京in東部は2016年9月17日(土)、読書会第14回「世界貨幣」を江東区東陽の希望のまち東京in東部事務所で開催した。柄谷行人『世界史の構造』から「第2部 世界=帝国」「第2章 世界貨幣」の後半「4 世界貨幣」「5 貨幣の資本への転化」「6 資本と国家」を取り上げた。

貨幣は厄介であるが、面白い。決済手段は貨幣だけではなく、多様である。国連の発展途上国の一票などは決済手段ではないか。コモディティ・バスケットなどが出てくることはドルへの信頼低下がある。博打的な金融資本主義への不信感がある。実体経済と乖離し過ぎている。そこに世界の人々が気付き始めた。交換様式A(贈与と返礼)に貨幣はいらない。氏族社会や部族社会では交換様式Aが基本であった。

商品交換に固有の困難は商品所有者の側に集中される。交換様式Cでは貨幣を持つものの優位性が生まれる。貨幣に基づく経済の世界は信用の世界である。利子生み資本が生まれる。マイナス金利は資本主義の崩壊につながるのではないか。

ケインズ経済学はバブルあっての福祉社会である。金が金を産むバブリーな構造を正当化している。これは健全な資本主義の発展か。世界帝国から生まれた思想ではないか。マルクスが行き詰ると言った資本主義の矛盾を乗り越えてきた。

資本家は守銭奴ではない。溜め込んだ金を出して利益を上げる。資本家は、ある種の冒険者であった。大航海時代の航海への投資は極めてリスキーであった。投資家はピュアであった。現代は官製バブル、官民バブルが起きている。地上げを煽る。本来は官とバブルは矛盾する。

商人と生産者は一緒ではない。そこを通俗的マルクス主義者は混同しがちである。承認は安く買って高く売る。古代ギリシアの民主政は価格の決定を官僚ではなく、市場に任せたために成果を見たとポランニーは指摘する。中国などの古代帝国との相違点である。

但し、デモクラシーとして真に成立したかは注意を要する。アテネは国際交易の中心となったが、交易はもっぱら外国人に任せられた。アテネ市民は戦士=農民として商工業を軽蔑した。貨幣経済の浸透は債務奴隷を増大させ、支配者共同体にダメージを与えた。

矛盾があるから貧富の差が広がるのではなく、経済が発展するから貧富の差が広がる。持つ者と持たざる者の関係性がはっきりしてくる。スパルタは軍事国家であり、アテネのような市場経済を導入していない。アテネも市場を信用しなかった。イオニアと対比させられる。ローマは帝国になっても皇帝が絶対者ではない。貴族は残っていた。

映画『コズモポリス』はドン・デリーロの同名の小説を原作とする。全編リムジンの中で展開される。デヴィッド・クローネンバーグ監督、ロバート・パティンソン主演。大金持ちの中に身体性が欠落している。観ている人間に興奮を呼び起こさない。富は抽象化された富になる。バランスシートしか頭にない。これが資本主義の行き着くディストピアではないか。アメリカは破天荒な映画を作る。

新興国のオリンピックと日本のオリンピックは意味が違う。新興国はオリンピックを元気の素にしようとしている。資本主義を上から見下ろす視点が必要である。豊洲市場に次々と問題が発覚している。行政は既成事実を押し付けようとしている。

緑の思想の広がりには限界があるのではないか。普通は火星に行きたいとは思わない。それでも行こうとする。資本主義は安全のシステムに見せかけて、とんでもないディストピアかもしれない。

ギリシア哲学は民主主義を否定するものが多い。突出した指導者が人々を導く政治は歪む。哲人政治は民主主義の対極である。水戸黄門信仰など日本人は弱い。資本主義は哲人政治とは相容れない。フェアなシステムの中でしか存在できない。

シールズにも「自分は保守的な人間であるが、安倍政権の動きが日本のシステムを侵している」として立ち上がった人がいる。左翼や右翼ではない。そこを議論しないまま敵か味方かになってしまう。

人が違えば受け止め方が変わることは当然。どこが行き詰っているか。修正資本主義も駄目である。資本主義は金持ちも幸せにしない。柔らかく「きつい状況になっていませんか」と問いかける。これから先を見通すことは大変である。

安倍政治を支えている人々は復古主義である。安倍政権の政治が前を向いているか後ろを向いているかは議論を要する。資金が足りなくなれば日銀で刷ればいいと思っている。財政均衡派の考えには理がある。消費税増税は必要ではないか。きちんとしたビジョンが必要である。

労働価値説は労働が価値を決めるという考え方である。アダム・スミスらが提唱し、マルクスに継承されたと説明される。投下労働価値説と支配労働価値説がある。マルクスは剰余価値を利潤の源泉とした。労働価値説を放棄するマルクス経済学者も出ている。

価値形態は商品と商品の関係で現れる。価値は事後的に与えられる。貨幣とは何なのか。不換紙幣は未来への信頼が失われる可能性がある。マルクスの中でも労働価値説と言いつつも、現実的な分析は商品交換に価値を見出している。マルクスが労働力と労働を分けたことは大きい。関係性の中にしか実体はない。構造主義的なアプローチが広がっている。労働力となると経済学の分野である。国家は国家だけで存在している訳ではない。

地政学が流行っている。これも構造主義の影響である。唯物史観を否定する。文明が前に向かって進歩するという見方はしない。進化論は人間の勝手なフィクションである。変化や環境適応はあるが、進化は決め付けである。

左翼思想はゴチャゴチャである。ソ連の崩壊を検証する必要がある。柄谷さんは新たな思想を提起するというよりも方法論を提起している。マルクス主義の最大の問題点はドグマになることである。構造主義はスクラップアンドビルドである。それが本当の意味の科学である。

安倍政権は「働き方改革」を目玉政策にしている。「日本型経営は良かったが、新自由主義・成果主義は駄目になった」という左翼運動家の発想では現場労働者のニーズを捉えられないのではないか。日本人は『プロジェクトX』のような物語が大好きである。知らずに二宮尊徳を尊敬する感覚があるのではないか。明るい農村と言いながら、実態は暗い農村である。それを労働環境で正当化するならばブラック企業である。

日本的雇用はメンバーシップ型である。見返り型滅私奉公である。日本型雇用は一つのフィクションである。江戸時代の侍と似ているのではないか。むしろ侍は日本型雇用と正反対ではないか。現代の会社に相当する主君は面倒を見てくれない。自分で何とか(開墾、内職、借金)するしかない。「Japan As No.1」と浮かれた時代があったが、本当は価値がなかったのではないか。

市場原理主義と左翼リベラリズムは、会社人間(社蓄)を否定し、「会社に頼らずに生きていかなければならない」という思想で共鳴しているとの指摘がある。それがブラック企業の温床になっている。義務だけ社員を生み出しているのではないか。就職活動がブラック企業を若者に受け入れられさせる土壌になっている。企業にどうしたら受け入れてもらえるのか永遠に考えさせる。

企業が雇用システムを変えている。企業がシフトしていることを労働運動家が認めるべきである。労働組合家が旧態依然である。労働組合の中で所属先の自慢をする人がいる。仕事をしてきた人は「自分は何をしてきました」という。

成果主義にも色々な種類がある。ワタミは古典的なブラック企業である。分かりやすい悪である。「出来ないことをやらせることで、お前を成長させる」という精神論である。近代経営では最もしてはいけないものである。マクドナルド型経営の対極にある。

福祉施設は設備だけを管理する会社と中のスタッフを別にする。中のスタッフは入居者が選択して雇う。仕事の範囲が明確になる。ブラックな働き方は自分が不得手なものまで引き受けてしまうためである。ジョブ型は仕事に対しては責任を持つ。違った仕事は無理である。ボイラーマンに介護させる訳にはいかない。日本の駄目なところは資格から入ることである。そこには利権が絡んでいる。

ジョブ型は得意技で分業することである。出来ないことを出来ると言って商売してきたのが日本である。その弊害が生じている。このような社会ならば人間一人ひとりが自分に自信を持つ。就社はなし、就職だけにする。学校制度を考える必要がある。どうでもいい大学が多過ぎる。「危ないから」の理由でパソコンを教えないことは問題である。

宣伝を出している弁護士はブラック士業が多い。弁護士と司法書士が仕事の取り合いをしている。宇都宮健児弁護士はグレーゾーン金利を廃止して悪徳弁護士から恨まれた。

柄谷は生産過程だけでなく、消費過程に着目した。そこに着目すれば闘い型の意味も変わってくる。通俗的マルクス主義者は消費過程に目が向いていない。管理者の無能を指摘できない労働組合は存在意義がない。

民進党は蓮舫代表に期待できない。野田元首相が幹事長になる。野田傀儡である。自民党支持者と連携することを考えるべきではないか。

戦前は印象的な作家が多かった。夢野久作『ドグラ・マグラ』は面白い。「何だ、これは」という作品である。

次回は「第2部 世界=帝国」「第3章 世界帝国」を取り上げる。勉強会のレポートを読んだ人がメーリングリストで意見を言い、議論することが良い。

日時:2016年9月24日(土)午後2時〜4時

場所:希望のまち東京in東部事務所


希望のまち東京in東部TV再生リスト




#希望のまち東京in東部 #台東区 #足立区 #荒川区 #江戸川区 #葛飾区 #江東区 #墨田区 #市民 #政治 #seiji #イベント
Powered by 林田力
希望のまち東京in東部
希望のまち東京in東部