希望のまち東京in東部
希望のまち東京in東部事務所では以下のイベントを定期開催しています。
・毎週木曜日午後6時半から8時半まで市民カフェ
・毎週土曜日午後2時から4時まで読書会
参加者には「空き家活用と投資用マンション問題」などの資料を配布しています。
※予定は変更されることもありますので、希望のまち東京in東部Webサイトをご確認ください。

読書会第48回「もしマルクスがドラッカーを読んだら」

希望のまち東京in東部読書会第48回「もしマルクスがドラッカーを読んだら資本主義をどうマネジメントするだろう」が2017年9月2日(土)、東京都江東区東陽の希望のまち東京in東部事務所で開催された。

市民カフェや読書会で新自由主義が議論された。新自由主義は金儲け優先主義で語られることが多い。しかし、新自由主義の原点に全体主義(ファシズム、ソ連型社会主義)による個人の抑圧への拒絶があった。新自由主義の名で実際に行われている政治についての評価に違いがあっても、そのことは歴史的事実であることは間違いない。ドラッカーも全体主義で個が潰されることに批判的であった。組織は否定しなかった。如何に個を潰さないように運営するかを考えた。

重本直利『もしマルクスがドラッカーを読んだら資本主義をどうマネジメントするだろう』(かもがわ出版、2012年)を取り上げる。本書はベストセラー『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』の影響を受けた。著者は元々、ドラッカーのマネジメントを企業以外に適用すべきと考えており、『もしドラ』は衝撃的であった。

目標を決めて全員が一丸になるというものではない。個々人の個人管理目標を設定する。イノベーションは日本では技術革新と取り違えているが、社会に大きな影響を与えたことが重要である。マルクスはディテールにこだわった人である。ディテールにこだわったから社会を俯瞰できた。ドラッカーがマルクスを補完する要素として、個人から組織や企業を捉える下からの視点である。

当時と比べて世界が狭くなった。工場を当地に建てる必要はなくなった。マルクス主義はピンとこない。新しい視点を入れていく人は少ない。自分のキャリアを次の会社で活かせる仕組みがあるか。「社会が変えれば」「政権が変われば」という考え方は魅力的であるが、実際は個々の人が変わらないと変わらない。働いている人がどのように自分をマネジメントしていくか。マネジメントされるのではなく、自分をマネジメントする。社会を変えたい人が変わらないと変わらない。顧客は製品を直接買う人だけか。企業は社会に必要なものを提供する。

政府や官僚は最低基準を守っていれば労働者が疲弊していても合法という発想がある。しかし、現実には20時間でも苦しい人もいれば、70時間でも大丈夫という人もいる。最低賃金を定めても、サービス残業込みで計算すれば下回ることがある。夜に働きたい、朝は働きたくないという人がいる。多様な働き方を可能にするマネジメントをする。人間が二人いたら矛盾や対立が生まれる。いかに上手く調整するか。アップルはクリエイティブと言われるが、ジョブズの独裁であった。

アメリカの評価できるところは経済犯罪のペナルティが重い。日本は経済犯罪が甘い。ライブドアと東芝への制裁は不公正である。政治的な背景がある。日本国憲法の司法制度は合衆国憲法に従っている。政権が変わることを前提にしている。政権交代によって色合いの異なる裁判官が任命されるが、それが日本では機能しない。

資本と経営の分離についてマルクスはどう考えているのか。現代のような公開会社を知っていたら、マルクスは階級闘争を言わなかったのではないか。レーニンの大企業の定義は50人以上である。それで独占資本論を唱えていた。

昭和のモーレツ社員の時代は人が沢山いた時代であったため、使い潰しても代わりの人がいた。今は限られた人でどう回していくかである。そこで疲弊していく。日本は株式投資の割合は低い。戦時中は郵便貯金に資金を集めていた。それが戦後も続いている。

資金がゲームの対象になっている。それが悪いことか。金本位制のように貨幣の発行が連動していれば実体経済との乖離はなくなる。

希望のまち東京in東部読書会第47回「ドラッカー」資料

林田力

ピーター・F・ドラッカー著、上田惇生訳『マネジメント[エッセンシャル版] 基本と原則』(ダイヤモンド社、2001年)は、マネジメントが果たすべき使命と役割、取り組む仕事、中長期的に考えるべき戦略を具体的に解説した書籍である。

本書は企業の社会的責任について紙数を割いている。以下の文言は東急不動産消費者契約法違反訴訟にも該当する。「消費者運動や環境破壊に対する攻撃は、企業が社会に与える影響について自ら徹底的に検討し、目標を設定しなければならないことを学ぶための高価な授業だった」(34頁)

本書はプロフェッショナルの倫理として、「知りながら害をなすことはしないとの約束はしなければならない」と指摘する(113頁)。これも不利益事実を隠して新築マンションをだまし売りした東急不動産だまし売りへの批判になる。

本書は読み手の立場にとって異なる教訓を引き出せる。ドラッカーにとって経済活動は責任を伴う自由裁量の世界である(176頁)。昭和の日本型経営に問題意識を持つ人には成果主義の教科書になる。新自由主義の行き過ぎに問題意識を持つ人には逆に日本型経営の再評価の根拠を見出だせるかもしれない。ドラッカーはかなりの知日派であり、そのような読み方も不可能ではないだろう。

私はロスジェネ世代として世代間不公平を肌で感じており、昭和を礼賛するつもりはなく、どうしても前者の視点が強くなる。成果主義は大変という批判はステレオタイプ化されている。しかし、成果主義は成果だけが求められる。「被用者は、忠誠、愛情、行動様式について何も要求されない。要求されるのは成果だけである」(136頁)。日本型経営の方が無限の忠誠を要求され、大変に見える。

成果主義を徹底し、役割・担当を細分化することの弊害が指摘されることがある。私は逆に「皆で頑張ろう」的な昭和の集団主義が有害と考えるが、それとは異なる視点から細分化・専門化の落とし穴がある。本書には石切り工の話を紹介する(137頁)。

自分の仕事を「最高の石切りの仕事をしている」と答える人と「教会を立てている」と答える人が紹介される。後者はマネージャーである。前者は技能が目的化する危険がある。自分の仕事が一つのビジネスモデルとして成り立っているかを考えなければならない。

本書が日本型経営の再評価になりそうな記述として、たとえば151頁では非効率に見える日本流の意思決定を効果的な意思決定の基本と評価している。そこから本書は意思決定の原則の一つに関係者を決定前の論議の中で責任を持って参画させることをあげる(155頁)。

しかし、これは日本型経営が慢心する根拠にはならない。関係者の参画は開発問題の住民参加など日本では不十分なものであり、強く求められているものである。日本はマネジメントを学ばなければならない。

希望のまち東京in東部読書会第46回「市民社会と宗教」

希望のまち東京in東部読書会第46回「市民社会と宗教」が2016年8月19日(土)、東京都江東区東陽の希望のまち東京in東部事務所で開催された。

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坂本治也編『市民社会論 理論と実証の最前線』(法律文化社、2017年)から第12章「宗教 市民社会における存在感と宗教法人制度」を取り上げます。宗教は市民社会論で抜け落ちやすい分野です。

海外では市民活動における宗教団体の存在感は大きいものがあります。小さな政府への支持も、既に宗教団体の慈善活動が社会を支えているから成り立つとの見方も可能です。これに対して日本では宗教団体の存在感は小さく、市民の信頼度も低いという特徴があります。世襲という市民社会の論理とは対極の運営がなされている団体も少なくありません。宗教法人の優遇税制への不満や政治進出への懸念もあります。
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宗教法人は登録免許税が非課税である。これは大きな特権である。コンビニの数よりも宗教施設の数は多い。それにもかかわらず、宗教への信頼が低い。政党への信頼が低いことも問題である。戦前の日本も政党への信頼の低下が軍部独裁を招いた。

戦後の新宗教への悪印象がある。新宗教への不信感が宗教全体に投影されている。新宗教には金儲け主義、強引な勧誘、教祖の強烈な個性というイメージがある。1951年に立正佼成会やPL教団を中心に新日本宗教団体連合会(新宗連)が結成された。

日蓮宗は仏教の中でも一神教に近いメンタリティがある。日蓮正宗の国立戒壇の思想は政治と結びつくのではないか。顕正会から折伏を受けた。希望のまち東京in東部事務所にも折伏に来た。

新宗教の信者数は眉唾物である。特に幸福の科学1100万人は盛り過ぎである。幸福実現党は新自由主義的であるが、芸能人の入信騒動では芸能事務所の労働搾取を取り上げた。労働運動でも取り上げない問題に切り込んでいる。

外国人から見ると、無宗教は野蛮人と思われる。エコノミックアニマルと受け取られる。日本は天皇教が強いために他の宗教が伸びないのではないか。人間は死ぬものと知っている。生の意味を考えることが宗教ではないか。

柄谷行人のアソシエーションは語られていない。互酬(贈与と返礼)と同じか異なるか。アソシエーションという言葉は昔からある。経済成長は期待できない。そこに互酬が生まれる余地があるか。貨幣の増殖が最大の価値基準であることを変えなければならない。重本直利『もしマルクスがドラッカーを読んだら資本主義をどうマネジメントするだろう』(かもがわ出版、2012年)でも柄谷行人が登場する。

階級闘争では駄目である。消費に注目する。市民が消費社会をコントロールしている。清算と消費を一体化した協同組合を作る。こえは新しい視点である。既存のマルクス主義者は生産関係にのみ偏っていた。

生協はもっと重視されるべきではないか。安全な食材を調達したいならば生協にこだわる必要がない。消費者が生産にも携わることが生協の意義であるが、現在の巨大化した生協ではお客様である。生協運動が生協職員の運動になっている。

新自由主義は政府の直接介入を否定する。ケインズ政策の公共事業には戦争も入っている。フランクリン・ルーズベルトの経済立て直しもダム建設などではなく、戦争だったと評価される。

アメリカと北朝鮮は戦争するか。合理的に判断すれば戦争しない。人間が常に合理的な判断しないことを考えなければならない。戦前の日本も同じであった。韓国は保守政権でも開戦を望まない。アメリカ合衆国は核で人を殺している。抑止力で終わるか。



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