東京都知事選候補一本化は錦の御旗か

林田力

東京都知事選挙において野党共闘・候補一本化が錦の御旗のようになっている。私も分裂を嫌い、一本化を求める精神を是とするものである。希望のまち東京in東部は2016年6月18日に宇都宮健児都知事を最適と考えると宣言したが、野党共闘や一本化を歓迎する立場からのものである。

「二年前の都知事選挙と異なり、参議院選挙で野党共闘が進む中での都知事選挙となります。その共闘を土台にして、ふさわしい候補がでてくることを期待しますが、現状では宇都宮健児さん以上にふさわしい人の名前すら挙がっていません。都知事選挙の直前に参議院選挙が行われることを考慮すると、時間的にも宇都宮健児さん以外の選択肢を見出すことは困難と考えます」

それ故に私は「都知事選で今度こそ、都民のための清潔な都政を実現する政策を掲げる野党統一候補を実現し、当選させる」ことを目的とする市民連合東京連絡会の呼びかけ人の末席に名を連ねた。しかし、ここにきて(というよりも最初から想定できていたことであるが)、候補一本化に不純な動機が目につくようになった。一部の人々からは、一本化の動きを、特定人を候補者にしたくないがための錦の御旗として利用しているという底意が感じられてならない。

2014年の都知事選挙では市民派が宇都宮健児と細川護煕の両候補に分裂した。そこでは選挙後のノーサイドということが言われた。ノーサイドの精神とは「今回の都知事選では細川さんが良いと思って細川さんを応援したが、別の状況では宇都宮さんも応援することがある」または、その逆を意味するものと考える。実際、希望のまち東京in東部は宇都宮支持の勝手連を母体とするが、映画『日本と原発 4年後』江東上映会開催にも関わっている。

もし「分裂の象徴になった人を今後の共闘から排除する」というルールで動いているならば、そもそもノーサイドの精神ではない。とことん無視し、冷遇して激発させ、激発したら「野党共闘を潰した」「フライングだ」とバッシングしようと手ぐすねひいているのではないかという気がする。フランスの亡命貴族と同じく「何事も忘れず、何事も学ばず」という批判が該当するだろう。

候補一本化が望ましいことはコンセンサスが得られているが、それを対立意見封殺の錦の御旗として利用することは危険である。前回都知事選が分裂選挙になったことの積極的価値を理解していない。実は分裂選挙には積極的な価値があった。前回の分裂は世代的な分裂という面があった。

非常に単純化すると若年層ばかり残ったために、自分達の自分達による自分達のための要求を自由に追求できたという積極面がある。それが、その後の最低賃金を上げる運動や家賃助成制度を求める運動につながった。最低賃金上昇や家賃助成制度は今を生きる若年層の切実な要求であるが、既存の左翼革新の枠組みでは「中小企業どうするのか」「都営住宅の拡充が先だ」となりがちである。最低賃金を上げる運動や家賃助成制度を求める運動は都知事選が分裂したからこそ生まれたと言える。だから逆に「分裂した方が良い」「分裂を歓迎する」という発想も実は存在する。

論理的に考えれば、最低賃金上昇や家賃助成制度など若年層の要求は統一候補の下でも取り入れられるものである。むしろマルクス主義の影響の強い革新勢力以外の、自由主義・市場主義の野党と共闘した方が取り入れられやすいものである。野党共闘の追求と若年層の要求取り入れは論理的には両立するものであるから、過去の分裂選挙によって若年層の要求運動が生まれたとしても、今回の選挙で統一を否定する理由にはならないとは言える。

しかし、私も市民連合東京連絡会の中で政策を議論して痛感したことであるが、所謂野党共闘派の中で若年層の要求を取り入れることに壁を感じる。自分達の若かった頃とは全く異なる若年層の窮状への理解は乏しく、「中小企業どうするのか」「都営住宅の拡充が先だ」という既存の左翼革新の発想が強い。このような状況では「だから分裂した方が良い」という声を宥めにくい。このように分裂にも積極面もあり、一本化を唱える側に公正さがなければ積極的分裂論が出てくるだろう。

市民派統一

市民派統一の機運が高まっている。これは大いに結構なことである。市民派統一を成功させるためにも、これまでの動きの問題点と今後の懸念を検討する。

市民派の結集や統一ということは以前から唱えられてきた。その流れの不思議なところは、市民派が共産党候補への結集には中々ならないことである。五五年体制の革新的な政治意識が強い人でも、鼻をつまんでも投票するならば共産党ではなく維新になることは政策を判断基準とすると不可思議である。

当選可能性を考えたと説明されることが多いが、それは言い訳である。共産党候補が選択肢にならない、共産党よりも維新の方がいいと思える要素があるのだろう。それを現実的な意味を持たない反共意識と批判することも可能である。「反共バカの壁」と揶揄する声もある。

私も統一や結集を唱えながら、共産党には黙って自分達の枠組みに乗ることだけを求める一部市民派の傾向に不公正さを感じる。その統一・結集圧力には暴力牲さえ感じる。この統一・結集圧力の従来の被害者は日本共産党であった。この点で私は共産党に同情的であった。

一方で結集やら統一やらを至上価値とする市民派ならば、その反共意識さえ取り払えば雪崩をうって共産党に結集するという可能性もなきにしもあらずとなる。その萌芽となりそうな動きも見られる。これは結集や統一を掲げながら共産党外しをする市民派の欺瞞を批判する立場としては改善となる。しかし、その反共意識の思想牲の浅さを露呈させるものでもあり、無節操さを批判することになる。何よりも過去の反省がなければ同じ過ちを繰り返すことになる。

もし市民派が「共産党にも結集」となった場合、共産党は統一・結集圧力の被害者から利益を得る側に変わる。それは今日、誰が最も熱心に野党共闘を求めているかを考えれば理解できることである。仮に一部市民派と共産党がタッグを組んで統一・結集を唱える側になったとしたら、その圧力は従来の一部市民派の活動の比ではなくなる。

もっとも共産党自身は過去の主張があるため、他者の立候補の自由も最大限尊重するだろう。間違っても過去の統一・結集圧力の被害者意識が転じて、統一・結集圧力を振りかざす側に変転することはないだろう。さもなければ自己否定になる。

やはり問題は結集や統一を至上価値とする一部市民派の姿勢となる。彼らにすり寄られ、担がれるということが共産党にとって喜ばしいことかは過去の立場との一貫性を考慮すると微妙である。

また、これまで統一・結集圧力に流されなかった立場としては統一先が変わったというだけで統一・結集圧力に同調することはない。統一・結集を自己目的化した統一・結集では、統一先が変わったとしても分断の種にしかならない。



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