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日本郵政ガバナンス問題調査専門委員会報告書公表

総務省は2010年5月17日に日本郵政ガバナンス問題調査専門委員会報告書を公表した。日本郵政ガバナンス問題調査専門委員会(郷原信郎委員長)は、日本郵政のガバナンス(企業統治)の問題点の検証や今後のあり方などを議論する専門委員会である。
西川善文前社長時代の日本郵政では宿泊保養施設「かんぽの宿」の不透明な売却問題など、多くの問題が表面化し、不動産業者への利益誘導が指摘された。たとえば大手不動産業者の東急リバブルは旧日本郵政公社から評価額1000円で取得した沖縄東風平(こちんだ)レクセンターを学校法人・尚学学園(那覇市)に4900万円で転売した。東急リバブルは多額の転売益を得たことになる。
簡易保険(簡保)事業は税制面などで優遇され、その資産は日本国民の資産とも評価できるものである。それが低価格で譲渡され、東急リバブルのような企業が転売することで濡れ手に粟の暴利を貪る。これは日本国に対する裏切り行為である。
このような問題について報告書は以下のように旧経営陣の責任を指摘する。「経営判断として、国民共有の財産の処分価格の最大化に対する努力が欠けていた疑いがある上、経営による執行部門への監視・監督に問題があった。」(6頁)
日本郵政の経営陣に「国民共有の財産の処分価格の最大化に対する努力が欠けていた」との指摘は、民営化に内在する問題を示唆する。公企業の民営化を推進するバックボーンとなった思想は新自由主義である。端的に言えば小泉純一郎元首相の説く「民間にできることは民間に」という発想である。それでは民間のできることを民間に行わせるべき理由は、政府(公務員)が担当するならば非効率になるためである。
資本主義の勃興期にはレッセフェール(なすにまかせよ)をスローガンとする自由放任主義が流布した。それは自由競争によって「神の見えざる手」が働き、公共の利益を増進させるという楽観論に基づいていた。
しかし、現実には自由放任の下では市場の失敗が発生する。例えば東急不動産(販売代理:東急リバブル)は不利益事実(隣地建て替えなど)を説明せずにマンションを記者に販売した(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。消費者保護という実効的な規制が機能していなければ、悪質な業者はだまし売りを続け、長期的には市場そのものの発展をも阻害することになる。このような市場の失敗を是正するために政府による介入が正当化される。
ところが、政府が介入し過ぎると反対に弊害が生じてしまう。市場に介入する政府は公正中立で神のような存在ではなく、間違った介入を行ってしまうからである。現実に政府を動かしているのは人間である。神ならぬ人間には市場の情報や知識を全て知ることは不可能である。従って市場の失敗を是正するための合理的な判断を下す能力があると過大評価できない。
しかも、相次ぐ官僚の不祥事を引き合いに出すまでもなく、官僚は国民の利益よりも自分や身近な人間の利益を優先させている。このため、政府に過大な役割を負わせることは危険である。これが「民間にできることは民間に」という新自由主義の思想的根拠である。
つまり、アダム・スミス的自由主義と新自由主義は市場原理重視という結論は共通するものの、そこに至る発想は真逆である。前者は自由放任が良い結果をもたらすという楽観論に立脚していた。これに対し、後者は政府を動かす人間には合理的な判断ができないという悲観論から消去法的に市場原理に委ねることを求めている。
政府(公務員)への不信が新自由主義の出発点である。この点を踏まえるならば、郵政民営化のような強引な改革には危険がある。確かに民営化というゴールは政府の役割を減少させるという新自由主義の方向性に合致する。しかし、民営化の過程では、一部の人間に国有企業保有財産の処分という大きな権限が与えられることになる。その際に神ならぬ人間が適切に権限を行使するとは限らない。日本郵政のガバナンス問題は、まさにこの点が突かれたものである。悲観論に立って国民が厳しく監視する必要を示している。

民主党新政権は「かんぽの宿」疑惑徹底解明を

第45回衆議院議員選挙(2009年8月30日投票)で民主党は308議席を獲得して政権交代を果たした。鳩山由紀夫政権には郵政民営化に伴う「かんぽの宿」疑惑の徹底解明を期待する。「かんぽの宿」疑惑は国民の財産というべき郵政関連施設が不透明な経緯で驚くべき安値で業者に売却された問題である。たとえば東急リバブルは1000円で取得した沖縄東風平レクセンターを4900万円で転売した。
「かんぽの宿」疑惑は麻生内閣の鳩山邦夫総務相(当時)も問題視し、西川善文・日本郵政社長の退任を要求したが、容れられずに事実上更迭された。当時の世論は西川氏よりも鳩山氏への支持が高かった。それにもかかわらず鳩山氏が切られたところに民意を軽視した自民党政権の限界があった。
これに対し、小泉改革へのしがらみのない民主党政権では「かんぽの宿」疑惑の徹底追及が可能である。郵政民営化が争点となった2005年の郵政解散総選挙で大敗を喫した民主党にとって郵政民営化の問題点を明らかにすることは大きな意義がある。
郵政解散総選挙では小泉純一郎首相(当時)の台詞「民間にできることは民間に」が支持された。意欲と才能のある民間事業者が役所の規制や官民癒着の談合体質によって潰されることは不合理である。小泉改革の支持者達は企業が政府に縛られずに顧客本位のサービス提供を競う社会を期待した。
ところが、郵政民営化の一番の受益者は民営化の過程で生じる利権を獲得した業者達であった。新自由主義は政府への依存を批判するが、実際の推進者達は政府を食い物にして利益を得る。その欺瞞を明白にしたのが「かんぽの宿」疑惑である。「かんぽの宿」疑惑を徹底追及できるかが、新政権の本気度を占う試金石になる。

日本郵政・西川善文社長の辞任は当然

日本郵政の西川善文社長は2009年10月20日、記者会見を開き、社長を辞任する考えを明らかにした。西川氏は麻生政権の鳩山邦夫・総務相に辞任を迫られても社長の座にとどまり、政権交代後は亀井静香郵政担当相や原口一博総務相、鳩山由起夫首相から相次いで辞任を求められていた。
西川社長の辞任は当然である。むしろ閣僚や首相が大騒ぎして、ようやく辞任するところに問題がある。日本郵政の株式は政府が100%保有している。経営者は株主の意向に従わなければならない。株主から信頼されていない経営者は身を引くしかない。これは純粋な民間企業ならば当然のことである。
財界には政治が辞任の圧力をかけることへの反発の声もあるが、政府が唯一の株主となっている株式会社では政府以外に監督できる存在はいない。政府がコントロールしなければ、経営陣のやりたい放題になってしまう。実際、「かんぽの宿」疑惑では国民の財産である郵政関連施設を一部の業者に不当に安く売却しているのではないかと問題になった。たとえば東急リバブルは沖縄東風平レクセンターを僅か1000円で取得し、4900万円で転売した。
株主無視の発想は西川氏の記者会見に表れている。西川氏は「政府の基本方針は私がやってきたことと大きな隔たりがある」と語った。ここには株主である政府の方針に自分が歩み寄ろうとする姿勢は皆無である。まるで自分が民営化の伝道師であるかのような発言である。民営化の目的は経営者に自らの理想を好き勝手に実現する舞台を与えることではない。鳩山政権には民営化の是正と「かんぽの宿」疑惑の徹底追及を期待する。

退任会見での西川善文・日本郵政社長の怒りは不当
日本郵政の西川善文社長は2009年10月20日に日本郵政本社(東京都千代田区霞が関)で記者会見を開き、社長辞任を表明した。会見で西川社長はカメラのシャッター音がうるさいと怒った。新聞各紙では以下のように報道された。
・産経新聞「西川社長はカメラマンに、「もう少し離れろ」と激怒した。」
・サンケイスポーツ「『(撮影を)ストップしないなら出ていってください』とけん制し、会見は始まった。」
・日刊スポーツ「西川氏は、カメラのシャッター音に、不機嫌な表情をみせた。」
これらの報道は「かんぽの宿」疑惑など不透明な取引を批判されながらも責任を否定し続けた西川社長のマイナスイメージを増幅する。
一方で西川氏に同情的な声もある。今回の会見では多くの報道陣が集まったため、西川社長の目の前までカメラマンが迫った。至近距離でフラッシュがたかれ、シャッター音を聞かされた西川社長が不快感を抱くことも理解できないことではない。他人のプライバシーを土足に踏み躙る強引なマスメディアの取材手法と重ね合わせ、カメラマンの無礼を非難する声も出ている。
しかし、それでも私は西川社長側に問題があると考える。記者会見での撮影はマスメディアの仕事である。会見を開く側は予期すべきことである。今回の会見での計算違いは予想以上の報道陣が集まり、日本郵政が用意した会場では手狭であったことである。西川社長の辞任は鳩山由起夫首相や亀井静香郵政担当相や原口一博総務相が言及するほどの政治的な関心事である。多数の報道陣が集まることを当然予期しなければならない。それを予期できなかったとすれば、郵政問題が大きな関心事になっていることに無自覚すぎる。
西川社長の辞任要求が生じるきっかけとなった「かんぽの宿」疑惑では健全な市民感覚からは明らかにおかしい取引が次々と明らかになった。たとえば沖縄東風平レクセンターを僅か1000円で取得した東急リバブルが4900万円で転売した。これに対して日本郵政側は国民の財産が不当に安く売却され、特定の企業が濡れ手で粟の暴利を得たという問題の本質を理解していない内輪の論理に基づく言い訳に終始した。
会見での西川社長の怒りも日本郵政社長人事が政治的な争点であり、大きな関心事になっていることを理解していない故に生まれるものである。この点で西川社長の辞任の妥当性を再確認した。日本郵政は新経営陣の下で「かんぽの宿」疑惑を徹底的に調査し、国民の疑問に答えることを期待する。

斎藤次郎・日本郵政新社長への懸念

斎藤次郎元大蔵事務次官が日本郵政の次期社長に内定した。記者は「かんぽの宿」疑惑の責任を否定し続けた西川善文社長の辞任を歓迎する。しかし、2009年10月21日に行われた記者会見には強い懸念を抱いた。
第一に元官僚であることへの言い訳である。斎藤氏は「元官僚という意識はない」と主張するが、個人の意識は問題ではない。「元官僚という意識はない」ならば、民間企業で活躍すればいい。「元官僚という意識はない」ならば、特殊会社である日本郵政の社長就任を依頼されることは自尊心を傷つけることになる筈である。
斎藤氏は民間の実績を強調するが、斎藤氏が社長になっている東京金融取引所は金融先物取引法に基づき市場開設の免許を受けた取引所である。株式会社といっても私企業とは性格が異なる公的団体である。この程度で民間意識を持つのは甘い。しかも東京金融取引所は財務省の天下りポストであり、日本郵政の社長に就任すれば「わたり」と変わらない。
第二に都合の悪い過去から目を背ける姿勢である。齋藤氏は大蔵官僚時代に国際貢献税や国民福祉税を立案し、民主的手続を軽視した手法は強く批判された。これに対し、齋藤氏は「過去には批判を浴びたことがあるが、今の自分は無縁」と語った。当人は「無縁」としておきたいとしても、国民には大いに関係があることである。自らの過去に責任を取れない人物は信頼に値しない。
第三に日本郵政の新方針である。齋藤氏は「まだ社長になったわけではないので、正式就任後に話したい」と繰り返し、具体策を何ら話さなかった。記者会見に集まった報道陣は斎藤次郎という個人に興味があるわけではない。一番の関心事は日本郵政の経営方針がどのように変わるかである。「一生懸命やりたい」という無意味な精神論で済むと思っているならば国民を軽視し過ぎている。齋藤氏の記者会見は、本人の否定とは裏腹に官僚的答弁そのものに感じられた。

シングルイシューの重要性

シングルイシュー選挙とは一つの争点が争われる選挙である。2005年に行われた郵政解散総選挙が代表的である。衆議院を解散した小泉純一郎首相(当時)は「今回の解散は郵政解散であります。郵政民営化に賛成してくれるのか、反対するのか、これをはっきりと国民の皆様に問いたい」と会見した。この明快さが国民受けし、自民党は議席を大幅に増加させた。
この結果に対してシングルイシューそのものを問題視する見解がある。社会保障制度(年金)や小泉首相の靖国神社参拝など様々な論点が存在したにもかかわらず、郵政民営化問題のみで自民党が支持されたことを不合理とする。現実に郵政民営化への支持で圧倒的な多数派となった自民党は、郵政民営化以外の問題でも多数派として自党の主張を押し通す結果になった。しかし、「シングルイシューはけしからん」と主張することは建設的ではない。
郵政選挙で惨敗した民主党は「郵政改革には賛成、自民党の郵政民営化法案には反対」という曖昧な姿勢であった。これは官尊民卑の打破を求める都市部を中心とした有権者(民営化歓迎)と労働条件悪化を憂慮する郵政労働者(民営化反対)という2つの支持基盤の意向を折衷した感が否めなかった。
岡田克也・民主党代表(当時)は「郵政民営化だけが争点ではない」と主張したが、解散の端緒は参議院本会議での郵政民営化法案の否決であった。郵政民営化は唯一ではないとしても主要な争点であった。その主要争点について明快な主張を出せなかったことが民主党の敗因である。シングルイシューの悪玉視は筋違いである。
日本社会の問題点は過去を水に流して忘れてしまう非歴史性にある。問題はシングルイシューではなく、毎回の選挙で単発の争点が登場し、一貫性も連続性もないことである。この点では国民新党に一貫性がある。国民新党は郵政選挙で郵政民営化反対を掲げ、民営化後は郵政民営化見直しを主張する。国民新党は民営化後のサービスレベルの低下の検証に熱心である。Webサイトで「民営化後の郵政サービスに不備はありませんか」と呼びかけ、広く情報収集している。連立政権に参加後は日本郵政グループの非正規社員の正社員化を掲げるなど、国営時代よりも一歩進めた反小泉改革の立場からの郵政改革を志向する。
郵政民営化では民営化後に「かんぽの宿」疑惑(東急リバブルが僅か1000円で取得した沖縄東風平レクセンターを4900万円で転売した問題など)が噴出した。郵政民営化に問題があったことは否定できないところである(林田力「日本郵政ガバナンス問題調査専門委員会報告書公表」PJニュース2010年5月24日)。
その意味で郵政民営化問題に継続的に取り組む国民新党は、その主張を支持するか否かは別としても政党のあるべき姿を示している。普天間問題での鳩山由紀夫首相のブレが象徴するように、マニフェストや公約への信頼は失墜した。「これから何をしてくれるか」という未来への期待だけでは正しい判断は難しい。来る参議院議員選挙では「これまで何をしてきたか」という過去の言動も踏まえて一票を投じたい。

政治家のブレを許さない日本政治の一歩成熟

鳩山由紀夫首相は2010年6月2日に辞任を表明した。根本的な問題は普天間問題でのブレである。鳩山氏は衆議院議員選挙前の2009年7月20日に、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先を「最低でも県外」と大見得を切った。「日米政府の合意を『何も変えてはいけない』と地元に押しつけるのは違う」とも述べたが、腰砕けになった。
鳩山首相は辞任表明時に「国民が徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった」と語ったが、主張がぶれる人間に聞く耳を持たなくなることは当然の帰結である。これは日本政治の一歩成熟と評価できる。
ブレが大きな問題になった政治家は前任の麻生太郎前首相である。本人が「ぶれてない」と釈明に追い込まれたほどであった。麻生首相(当時)は2009年5月29日の閣僚懇談会で厚生労働省の分割を断念したとの報道に関し、「勘違いされている。分割しろと指示したことはない。ぶれたということはない」と釈明した。
これに野党であった民主党は猛反発した。鳩山由紀夫代表は「麻生総理はぶれてない。常に中身がすぐにぶれることを繰り返す意味に置いてぶれてない。また同じことをなさった」と皮肉交じりに批判した。岡田克也幹事長(当時)も「総理の発言は重みがあるはずなのに、いとも簡単に撤回した」と切り捨てた。
麻生首相には2009年2月5日に衆院予算委員会で「郵政民営化は賛成ではなかった」と失言した「前科」がある。そのため、「ぶれてない」との釈明には説得力が欠け、額面通りに受け取ることはできない。
それ故に民主党の反発は当然であるが、麻生首相が「ぶれてない」という釈明に追い込まれたことは重要である。「ぶれてない」と釈明することは、矛盾や一貫性のなさやブレを悪と認識していることの裏返しだからである。
日本人は過去を水に流す非歴史的な民族と揶揄されてきた。攘夷を口走っていた浪人が文明開化を推進したのが近代日本である。相互に相手を恨む理由がある薩摩藩と長州藩を強引に同盟させた坂本龍馬は、清々しい人物として現代でも人気を集めている。また、戦争中は鬼畜と罵っていた敵国を戦後は同盟国と呼ぶ無節操な人々が戦後日本を牽引した。
非歴史的な日本人はブレを批判されても、釈明するどころか反対に臨機応変に対応したと開き直る場合が少なくない。記者(=林田)は東急不動産と新築マンション購入でトラブルになったが、記者が最も腹を立てたことは事前に合意した内容を事前相談なく反故にすることであった(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。批判しても「それが合理的であると判断した」ためと正当化する。このような会社とは売買契約を白紙にする以外に解決策はない。
麻生首相のケースでも前時代の老練な政治家ならば「ぶれた」批判に「ぶれてない」と正面から釈明せずに、「ぶれて何が悪い」「事情が変わった」と正当化したかもしれない。その種の不誠実な開き直りが過去の日本社会では横行していた。しかし、それを許容するほど現代人はめでたくはない。
一貫性のないことは悪であり、郵政民営化問題などで前科を重ねた麻生首相にとってブレを認めることは致命傷になる。そのために苦しい強弁であっても「ぶれてない」と釈明するしかなかった。日本国民が政治家のブレを許さなくなったことは、焼け野原から経済大国にしてしまう前に進むことしかできない段階を一歩抜け出し、成熟したことの表れである。

亀井静香金融相のモラトリアム構想を評価する

亀井静香・郵政・金融担当相の債務返済猶予(モラトリアム)構想への批判が強いが、あえて本記事では評価したい。亀井金融相は中小零細企業の借入金や個人の住宅ローンなどの返済を3年ほど猶予する制度を提唱した。
これは私人間で成立した契約を事後的に国が介入することになり、資本主義の前提を覆す思い切った制度である。短期的には借り手が救済されるが、貸し手がいなくなり、長期的には信用が収縮し、借り手を一層苦しめる懸念もある。
それでも管見は亀井金融相の問題提起を評価する。現実に債務返済に苦しむ人々が大勢いる。彼らを救済することを政治課題とした亀井金融相は国民の立場に立つ政治家である。亀井金融相の批判者はモラトリアムという資本主義の原理に反する強引な政策を批判するが、亀井金融相を否定することは債務返済に苦しむ人々を助けることにはならない。
結局のところ、優先順位の問題である。債務返済に苦しむ人を助けることを優先するか、資本主義の原則を優先するかになる。モラトリアム批判者は資本主義の原則を曲げるよりは、債務者が破綻した方が良いということになる。格差社会は格差が生じるのは当然、負け組は自己責任という冷たい社会である。この格差社会をもたらした小泉構造改革に正面から反対したのが国民新党である。この点で亀井金融相の思想は筋が通っている。
モラトリアムには様々な副作用や弊害が想定され、実施のハードルは高い。この点も亀井金融相は承知の上と考える。だからこそマスメディアでモラトリアム構想を披露した。斬新な政策であればあるほど慎重に進めるものだが、亀井金融相の言動は反対である。そのパフォーマンスには「債務者の事情に配慮せず、債務者を追い込んでばかりいると、本気でモラトリアムも強行する」という貸し手への警告が込められているのではないか。

民主党への逆風を活かせない谷垣自民党

横浜市議泉区補欠選挙が2010年6月6日に投開票され、民主党公認の新人で元小学校教諭の麓理恵氏が初当選した。この補選は菅直人新首相選出後に行われた初の地方選挙で、夏の参院選の前哨戦と位置付けられる。自由民主党公認の萩原雅彦氏、みんなの党公認の横山勇太朗氏の三つ巴の争いになった。自民党公認候補の得票は、みんなの党公認候補にも劣り、自民党が民主党への逆風を活かせていないことを改めて印象付けた。
これは谷垣禎一元財務相が麻生太郎前首相の後継として自民党総裁に選出された時点で予想できたことである。谷垣氏は2009年9月28日に投開票された自民党総裁選で第24代総裁に選出された。総裁選は谷垣氏、河野太郎元副法相、西村康稔元外務政務官の三つ巴の争いであったが、谷垣氏が国会議員票でも地方票でも過半数を占めて順当勝ちした。
谷垣氏の選出により、自民党総裁選におけるリピーターの強さが改めて裏付けられた。谷垣氏は小泉純一郎元首相や麻生氏と同じく、過去に総裁選に出馬し、惨敗した経験もある。今回の総裁選候補者の中では最も馴染みのある古株である。この谷垣氏を選出した点で、自民党はオバマを大統領に押し上げた米国のダイナミズムとは対照的であった。
一方で自民党では安易に総裁になると、安易に政権を放り出す傾向がある。安倍普三元首相や福田康夫元首相が好例である。このため、粘り強く再挑戦する人物が選ばれることは必ずしも悪いことではない。
谷垣氏の課題は衆院選で惨敗した自民党の立て直しであるが、茨の道である。谷垣氏の特徴は保守本流に位置することにある。この点で小泉純一郎元首相や安倍普三元首相らタカ派・新自由主義の色彩が強まった従前の自民党からの揺り戻しになる。しかし、それが過激なタカ派・新自由主義を嫌悪した層を取り戻すことには直結しない。本記事では2点指摘する。
第1に保守本流の発想は格差社会化した現代日本では賞味期限切れになっている。保守は本質的には民衆よりも権力や大企業寄りの立場に立つ。それにもかかわらず、日本で保守本流が広範な国民的支持を得られたのは産業優先の政策で企業の業績が向上すれば、国民の所得も拡大するという期待があったためである。池田勇人元首相の所得倍増計画が典型である。ところが、格差社会では社会全体が豊かになるという発想は幻想である。非正規労働者が象徴するように企業が好業績になっても、労働者の給与は増えない。「皆で豊かになろう」という保守本流の思想は白々しい絵空事になってしまった。
第2に保守本流は政治的な対立軸にならなくなった。衆院選で圧勝した民主党は、かつての自民党タカ派から社会党までを含む寄り合い所帯である。リベラル対新保守のような対立軸では民主党は成り立たない。この寄り合い所帯を一つの党として結びつけた思想が官僚政治の打破であった。政治主導対官僚主導という対立軸を国民に浸透させたことが民主党の勝因である。この状況で消費税増税を持論とする谷垣氏は官僚の論理に立つ政治家というマイナスイメージが強くなる。
自民党を立て直すためには単なる揺り戻しではなく、問題点を直視し、真摯な反省による変化が必要である。

反自民政党の共闘に向けて

2010年7月の参議院議員選挙では、自民党が再び獲得議席首位となった。自民党は安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と三代続けてKY(空気が読めない)首相を輩出し、政権をたらい回しにした。その結果、国民の自民党・公明党連立政権への不満は増大し、2009年の衆議院議員選挙で民主党主導の政権交代が実現した。
大敗北した自民党は崩壊寸前とまで囁かれた。しかし、民主党の失策に助けられた面が大きいとしても、参院選での回復によって自民対反自民が依然として日本政治の主要な対立軸であることを印象付けた。
一方で民主党連立政権の一角を占めていた社民党の政権離脱、新党設立ラッシュや、みんなの党の躍進などは、二大政党制に収斂するほど民意が単純でないことを示している。この状況下で反自民勢力にとっては反自民政党の共闘が重要になる。
自民党を打破するために反自民政党は共闘し、統一候補を立てなければならないという主張は至極尤もである。反自民政党の中では民主党が圧倒的な第一党であることを踏まえれば、他の政党が民主党に譲歩する機会が多くなることも否定しない。それでも共闘を求めるからには互恵的でなければならない。相手に対してのみ協力を求めることは筋違いであり、そのような集団には共闘を求める資格はない。
ところが、往々にして共闘論者は、当選の可能性は民主党候補にしかないから、他の政党は独自候補を擁立せず、無条件に民主党候補を支持すべきという論調をとる。現実に共産党が独自候補を擁立すると非難を浴びせ、先に立候補を表明していた共産党候補に辞退まで要求する。2007年の東京都知事選挙における浅野史郎候補の支持者による吉田万三候補への批判が代表的である。
しかし、民主党候補でなければ当選の現実性がないという仮定は正しくない。その一例が2009年5月31日の大阪府松原市長選挙である。松原市長選では自民党及び民主党、公明党が推薦した澤井宏文・前市議が、共産党推薦の梅木佳章・松原民主商工会事務局長を破り、初当選を果たした。注目すべきは沢井候補23066票に対して、梅木候補が18277票と対等の戦いをしたことである。民主党が自民党・公明党推薦候補に相乗りし、共産党のみが孤軍奮闘した状況を踏まえるならば大健闘である。
地方選挙には地方の事情があることを重々承知の上での仮定となるが、もし民主党が澤井候補ではなく、梅木候補を推薦し、自民・公明対民主・共産の構図となったならば逆の結果になったのではと想像してしまう。市長選では市立病院の存続・廃止が争点であり、国政の対立軸がそのまま地方選挙に反映されるものではないが、民主党は自民党・公明党の推薦候補を破る機会を相乗りによって自ら無駄にしたことになる。
共闘を重視するならば松原市長選挙のような場合に民主党が共産党に協力するというパターンがあってもおかしくない筈である。ところが現実に聞かれるものは他の政党が民主党に協力せよとの声ばかりである。民主党としては共産党に協力することにより保守の支持層が逃げるというデメリットを計算しているのかもしれない。しかし、そのような保守層の支持を失うことを恐れる民主党ならば果たして自民党と別物と言えるか疑問がある。
自民党政治の打破は目指すべき価値のあるものだが、異なるバックグラウンドを有する政党の共闘を求めるならば、先ず政党間の相違を尊重しなければならない。そして反自民が共闘のキーワードであるならば、統一候補は真に自民党と体質的に異なる存在であることが求められる。そのような候補を擁立できるかが共闘の成否の鍵である。

市民的基盤を失った民主党の退潮

2011年4月の統一地方選挙は、民主党の惨敗と総括できる。2009年に歴史的な政権交代を果たした民主党は無残な結果となった。これは市民派の支持が民主党の存立基盤であることを示している。
民主党の敗因は民主党の変質にある。自民党から旧社会党までの寄り合い所帯である民主党は位置付けが不明瞭な政党である。自民党と変わらない人もいれば、旧社会党と変わらない人もいる。かつては労働組合や市民運動を支持基盤としつつも、鳩山由紀夫氏や小沢一郎氏らの自民党出身者が主要幹部を占める民主党は本質的には第二保守党であるとの冷めた視線も少なくなかった。
しかし、政権交代時の民主党は市民派の期待を集めていた。米軍普天間基地の最低でも県外移設を目指す方針や東アジア共同体は、戦後日本の保守政治を決定付けていた対米従属路線からの脱却を目指すものである。「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズや八ッ場ダムの建設見直しは、同じく戦後日本の保守政治の特徴である土建政治の脱却を目指すものである。これらが実現したならば大きな変革であった。
ところが、民主党政権は普天間基地の辺野古移設を容認し、「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズを引っ込めた。それどころか菅直人政権は環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)を推進するなど新自由主義・構造改革路線を進めている。政権交代の立役者だった鳩山氏や小沢氏が党の要職を去った点も、民主党の変質を分かりやすく示していた。
このような民主党の惨敗によって、国民の民主党への期待内容が明確になった。国民は第二保守党としての民主党を求めていない。自民党以上に構造改革路線の徹底を求める層は、みんなの党に投票する傾向がある。民主党に求められるものは構造改革路線よりも友愛である。保守政治の変革を求める市民派を失望させたことが民主党の致命傷であった。
民主党にとって救いは、民主党の変質が人の交代によるものと認識されていることである。菅直人首相らの新自由主義勢力(企業重視、対米従属路線)が主導権を握り、鳩山氏や小沢氏らの友愛リベラル勢力(国民生活重視、対米自立路線)が排除された結果と分析する(林田力「草の根革新派市民の対立軸」PJニュース2010年9月3日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20100902_16/
従って鳩山氏や小沢氏の復権は民主党の立て直しにつながる。その場その場の政治課題に対応することを政治家の使命とする考えもあるが、過去を水に流して目の前の火を消すことばかり熱心になることは日本人の悪癖である。政権獲得の原点に戻ることが民主党立て直しの第一歩である。

機関紙値上げでも政党交付金を拒否する日本共産党の論理

日本共産党の機関紙である「しんぶん赤旗」日刊紙が9月1日から月額購読料を500円値上げする。赤字解消を理由とするが、値上げが吉と出るか凶と出るかは未知数である。
現在の月額購読料は2900円で、購読者数は24万人である。この状況で月2億円もの赤字が発生している。これに対して月額購読料を3400円に値上げした上で購読者数を2万人増やして26万人にすれば採算が取れると説明する。
しかし、この説明を「捕らぬ狸の皮算用」と疑問視する声もある。まず値上げと部数増加を両立させる見通しが楽観的である。値上げによって読者が離れる危険もある。低所得者や高齢者が多い「しんぶん赤旗」の読者層にとって、値上げのインパクトは決して小さなものではない。
次に月2億円の赤字の重大性である。月額購読料2900円で購読者数24万人ならば単純計算して6億9600円の月額収入になる。これに広告収入も加わるが、政党機関紙の性格から大企業などの広告は少なく、商業紙ほど大きくない。7億円程度の収入に対して2億円の赤字は企業経営からすれば問題なレベルである。
加えて採算の見通しへの疑問である。既存の購読者を維持できるとしたならば値上げによって、月額1億2000万円の収入増になる。さらに2万人の購読者が増えたならば月額6800万円の収入増である。合わせて1億8800万円の収入増になるが、赤字額2億円は解消しない。毎月2億円赤字というコスト構造が2万人の購読者増加によって劇的に改善するとは考えにくい。
以上より、その場しのぎの取り繕いの値上げに過ぎないと否定的な声も出ている。深刻な経営危機の中で改めて政党交付金(政党助成金)の受け取りを求める声も水面下では力を増している。政党交付金に反対する共産党は一貫して交付金を受け取ってこなかった。共産党は「受け取りを拒否」と表現するが、政党交付金は総務省に請求書を提出した政党に交付されるもので、制度的には「請求していない」が正しい。
共産党が政党交付金の廃止を求める理由は明確である。政党交付金は国民の納めた税金が支持しない政党にも強制的に回されるため、日本国憲法の定めた思想信条の自由を侵害すると主張する。しかし、制度が正しいか間違っているかという問題と、現行制度を前提として交付金を受け取るか受け取らないかは別次元の問題である。
共産党よりも所属国会議員数の少ない社会民主党でも2011年の交付額は約7億6000万円であり、共産党にとって決して小さな額ではない。本音ベースでは政党交付金の受け取りを求める党員も少なくない。
東日本大震災後は政党交付金を復興資金に回すべきとの主張も加えたが、これも交付金を受け取らない根拠としては弱い。政党交付金制度は共産党が受け取らない分は、交付金を請求した政党で分配する仕組みになっている。共産党が請求しなかったとしても復興資金に回ることはなく、他党を利するだけである。
党員や支持者には「機関紙を値上げするならば政党交付金を受け取って」と言いたくなる人も多い。逆に政党交付金を受け取らない本音ベースの理由では、ベテラン地方議員の説明が説得的であった。
「政党交付金を受け取ってしまうと、それが予定収入となり、政党交付金なしでは政党運営が成り立たなくなってしまう。そのようになった場合、権力側は政党交付金を廃止して共産党を潰しにかかるだろう。」
ここからは共産党が権力と緊張関係にあることを再確認させられる。(林田力)

議員定数削減ではなく議員倍増を

国会でも地方議会でも議員定数削減の動きが活発化している。菅直人政権の掲げた衆議院の議員定数削減問題は比例定数削減を狙い撃ちしたものである。これは小選挙区制主体となり、少数意見を切り捨て、多数の死票を出すという大きな問題を抱えている(林田力「議員定数削減は日本社会の非歴史性を悪用」PJニュース2010年8月4日)。
それと並んで、純粋な議員定数削減の動きもある。2010年12月1日開催の民主党・参院議員総会では、石井一副代表が参議院の議員定数を現在の242人から200人とする案を説明した。また、みんなの党は100人に減らすことを提言している。
地方議会も同じである。たとえば岐阜市議で作る超党派の「市議会改革検討協議会」は12月3日、議員定数を44議席から41議席に減少する議会経費削減策をまとめた。これらの動きは一定の支持を得ているが、私は反対に議員定数倍増を主張する。
議員定数削減論の根拠は議員歳費削減であり、それは税金で負担されるものであるため、究極的には国民(住民)の負担軽減である。しかし、議員は国民の代表者であり、行政が税金を無駄遣いしないか監視する立場である。監視するコストを減らすならば、より大きな無駄が発生する可能性がある。現実問題として、日本の議会と行政の力関係は依然として行政優位である。まだまだ議会は力不足であり、議会を強化する必要がある。
確かに議員が腐敗の元凶という見方も一定の説得力がある(林田力「お騒がせ首長は改革者か暴君か」PJニュース2010年9月7日)。
しかし、腐敗した議員を排除することと議員定数削減は無関係である。議員定数削減は反対に腐敗した議員ばかり残す結果にもなりかねない。それよりも議員定数を増やして、市民常識のある議員を増やす方が議会改革になる。
行政を監視するコストとして、議会コストの負担が正当化されるとしても、無駄遣いが正当化される訳ではない。また、議員定数を倍増するならば新たな費用が発生する。その財源は現在の高額な議員報酬を削減すれば良い。実際、ヨーロッパ諸国などでは人口と比較した議員の数は日本より多く、議員の報酬は日本よりも少ない。
議員定数を増やすメリットは議員と有権者の距離が近付くことである。10万人の代表よりも1万人の代表の方が議員との距離が近くなる。議員と有権者の距離が近ければ、議員からの議会の状況も、有権者からの市民生活の状況も、直接生きた情報として相手に伝えることができる。
議員の数が増えれば、これまでよりも少数の有権者の支持で当選できることになる。これは選挙に莫大な金をかけなくても当選できることを意味する。汚職政治家のように無理に手を汚して利権を創り出し、分配する必要もない。まっとうな政策を掲げて、それを支持する人がいれば当選できる。これは望ましい選挙の在り方である。
少数の有権者の支持で議員が当選できることへの懸念として、特定の思想や経済的利益に基づいた集団の力で議員が当選しやすくなる点が考えられる。しかし、特定の思想や経済的利益に基づいた集団が社会に存在することを否定しないならば、彼らを排除するのではなく、彼らの代表を認めるべきである。
彼らの主張の採否は議会において判断すべきである。議会から排除するならば、議会は市民各層の代表ではなく、市民多数派の代表に過ぎなくなる。既に小選挙区制度や高額な供託金制度によって、日本の議会は市民多数派と、せいぜい体制内批判派の代表に堕する危険がある。
少数の有権者の支持で議員が当選できるならば、特定の支持者への利益誘導が露骨になるとの懸念もあるだろう。しかし、議員の数が増加することで議員個々の力も分散されるから、反対に巨大な利権からは縁遠くなる。所詮、人間は神よりは猿に近い存在である。腐敗が避けられないならば腐敗を小さくする方法を考えるべきである。システムを考える場合、最善を追求するよりも、大きな弊害を回避することを優先すべきである。そのような考えから民主主義も三権分立も存在している。

小選挙区制と二大政党制への批判集会

市民団体・小選挙区制廃止をめざす連絡会(林克明代表)は2010年9月11日に集会「小選挙区制と二大政党制に批判を!」を文京区民センター(東京都文京区)で開催する。開場は18時、開始は18時20分で、参加費は500円である。

集会は6分間リレートーク方式であり、発言者は山崎康彦、原田伊三郎、紅林進、村岡到、矢崎栄司、田所智子、平岡章夫、林克明、橋本久雄、佐藤和之、江原栄昭、河内謙策、日隅一雄、朝倉幹晴の各氏である。

集会の問題意識は菅直人首相が7月30日の臨時国会開会日に表明した議員定数削減発言である。7月の参議院議員選挙で民主党は惨敗し、ネジレ国会となるなかで、菅首相は消費税増税についてトーンを落とすことを余儀なくされた。一方で菅首相は議員定数削減を人気浮揚の目玉に据えようと思いついたと連絡会では分析する。

その上で議員定数削減を以下のように批判する。2009年8月の総選挙の数字で類推すると、「衆院比例80議席削減」となれば、民主党は僅か42%の得票で68%の議席を獲得し、3分の2の議席を独占する。これに対し、小政党は議席ゼロとなってしまう。民意の歪曲、極まりである。

菅首相は「国会議員自身が身を切る」と主張するが、一人7000万円かかる議員報酬(秘書の賃金も含む)を11%減らせば、議員80人分となる。何故、定数削減と短絡するのか。320億円の政党助成金を削減(廃止)すれば済むことである。

各種審議会が100以上もあるが、議員を減らせば関与する機会は少なくなる。官僚を国会議員が監視・指導する機会も減る。議員定数削減は政治主導に逆行する。イギリスの人口は日本の半分だが、下院は650議席である。国会議員の数は多くない。

さらに連絡会では被選挙権についても問題視する。選挙に立候補する権利も大きく制限されている。衆参とも比例区は300万円、選挙区は600万円もの高額の供託金が必要である。これに対し、イギリスは僅か9万円程度とする。選挙制度について関心を高め、民主主義を破壊する選挙制度に反対することを訴える。また、連絡会では『週刊金曜日』への意見広告も準備し、カンパを募集している。

議員定数削減は日本社会の非歴史性を悪用

菅直人首相は2010年7月30日の記者会見で、国会議員の議員定数削減を主張した。具体的には衆議院の定数を80、参議院の定数を40削減する方針に沿って8月中に民主党内の意見をとりまとめ、12月までに与野党で合意したいとする。これは非歴史性という日本人・日本社会の悪癖に乗じたものである。
削減対象の議員定数は比例代表が想定されており、少数意見の圧殺になる。また、削減理由は「国会議員が身を切ることも必要」とされるが、高額な議員報酬・秘書給与や政党助成金に手をつけずに比例代表議員のみを削減することは筋が通らない。強烈な批判が出ることは当然であるが、反対者も目の前の議論にだけ目を向けることは相手の土俵に乗っかってしまう危険がある。
日本人・日本社会には過去を水に流すことを是とする非歴史性という悪癖がある。三歩歩いたら忘れてしまう鶏のような愚かしい性質である(林田力「日本社会の非歴史性が問題だ」PJニュース2010年6月26日)。
そもそも小選挙区制のデメリット(死票が多い)は、衆議院議員選挙に小選挙区制を導入する際に散々指摘されたことである。それ故に有権者の民意を正確に反映できる比例代表制と合わせ、小選挙区比例代表並立制が採用された。小選挙区制の推進者も単純小選挙区制では合意を得られないから並立制で妥協したという経緯がある。
もし比例定数を削減するならば、小選挙区と比例代表のバランスによって政権交代のダイナミズムと少数意見も含む民意の反映を両立させようとした並立制の制度趣旨が損なわれる。制度は全て何らかの意図があって導入されたものである。制度を変更しようとするならば、原点に戻って検討しなければならない。
小選挙区制のデメリットについて何ら解消策が出されていないのにも関わらず、議員歳費削減という別次元の問題から比例定数削減を正当化する。これは過去の経緯を無視した短絡的で乱暴な議論である。残念なことに日本では目の前の火を消すことばかりを考えてしまう日本人の悪癖を利用して、あまりに多くの物事がなし崩し的に進められてきた。
サッカーでボールが飛んだ方向に全選手が一目散に殺到することは、全力で頑張る姿が大好きな特殊日本的精神論者には心地よいシーンである。しかし、それは下手糞なサッカーである。反対者こそ制度の導入趣旨に遡った深い議論が必要である。

草の根革新派市民の対立軸

草の根革新市民の政治スタンスは大きく三派に分析できる。草の根革新市民とは革新思想(護憲、平和主義など)を有し、社会民主党や日本共産党という革新政党に組織化されておらず、主として市民運動や労働運動をフィールドとする層を指す。
本記事では三派を中間派、革新右派、革新左派と名付ける。この三派の対立軸は政治的主張ではない。たとえば米軍普天間飛行場の移転に反対し、即時無条件閉鎖を主張する点は三派に共通する。対立軸は政治・政党に対するスタンスである。以下に説明する。
第一に中間派である。中間派の人々は草の根革新市民と社民党や共産党という革新政党が団結し、革新勢力の拡大を目指す。この発想が多数派を占めている。具体的な動きとして、「小池晃さんを応援する市民勝手連」があった。これは2010年7月の参議院選挙東京選挙区で日本共産党の小池晃候補を共産党の外から応援した運動である。
第二に革新右派である。この右派という呼び名は草の根革新市民の中の相対的なポジションを指したものであり、社会全体で見れば革新右派も左派に属する。革新右派の人々は革新の理念を実現するために民主党政権に期待する。
民主党政権は草の根革新市民の期待を裏切り続けたが、それは民主党内で新自由主義勢力(企業重視、対米従属路線)が巻き返した結果と分析する。それに対抗する友愛リベラル勢力(国民生活重視、対米自立路線)を応援する。
具体的には友愛を掲げる鳩山由紀夫氏やマニフェストの実行を主張する小沢一郎氏らである。革新市民は鳩山政権に好意的であった(林田力「鳩山政権への姿勢に見る左派市民の成熟」PJニュース2010年5月1日)。それは革新右派に負うところが大きい。
第三に革新左派である。革新左派の人々は社民党や共産党にも限界を感じている。社民党も共産党も体制内批判派と化している面があり、革新市民の真の代表として疑問を抱いている。そのため、独自政党を設立する動きがある。たとえば天皇制廃止や新農地解放、議員歳費を選挙民の平均年収とすることなどを掲げる「平等党」がある。また、議会制民主主義自体に絶望する声もある。
このように三派に分かれるが、問題は中間派による左右両派への厳しい批判である。その様子は影響力では比べられないものの、フランス革命期にエベール派やダントン派という左右両派を粛清して独裁を確立したロベスピエール派を連想してしまう。
中間派は革新右派に対しては、民主党は自民党と同じであり、民主党への期待は幻想に過ぎないと批判する。社民党や共産党が政治を動かすには非力であることから民主党に期待する現実論には、社民党や共産党を強くすることが革新市民としての筋論と説く。一方で革新左派に対しては主張の非現実性を批判する傾向にある。
確かに革新市民にとって民主党は信頼に欠ける面が少なくない。それ故に民主党ではなく、社民党や共産党を強くすることが筋との主張には正論の強さがある。しかし、中間派の思想も革新右派と同じく現実との妥協・御都合主義は免れない。
何故ならば社民党と共産党の団結や協働を説くこと自体が、両者の長い対立の歴史を無視した御都合主義であり、革新勢力を強化するための妥協案だからである。たとえば社民党も共産党も反戦平和という表面的な主張には差がないように見える。しかし、各党の主張の背後には歴史の積み重ねがあり、安易な同一視はナイーブである(林田力「共産党と社民党の大きな溝」PJニュース2010年3月22日)。
政治とは現実の中の闘いであり、御都合主義を一概に否定するつもりはない。御都合主義であることを認識した上で、それを追求することも一つの見識である。しかし、それならば民主党も巻き込んだ運動を目指す革新右派の御都合主義も認めなければフェアではない。自らの御都合主義は棚に上げ、考えの異なる層の御都合主義を批判することはアンフェアである。
そして現実論から革新政党に期待するならば、社民党や共産党の限界を説く革新左派の批判にも謙虚でなければならない。革新左派の批判を受け止めた上で、それでも現実解として社民党・共産党の団結・協働を目指すというスタンスならば理解できる。ところが、中間派が左右両派を批判する姿には独善という印象を受ける。この偏狭さが革新勢力の伸び悩みの一因と考える。

中川財務相の失態と再チャレンジの呪縛

中川昭一財務相兼金融担当相は先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)の共同記者会見に朦朧とした状態で出席するという大失態を演じた。実際に酔っ払っていたかについては議論の最中だが、酩酊者のような振る舞いであったことは確かである。世界中に醜態を晒した中川財務相の辞任は当然であるが、一度は続投を求めた麻生太郎首相も傷つく結果となった。
閣僚が個人的資質により失態を演じた場合に、首相の任命責任を問うことは結果責任を求めることに近く、首相に同情的な立場ならば酷と捉える向きもあるだろう。しかし、失態が明らかになった後でかばい続けたことは完全に首相の判断ミスである。失態を演じた閣僚をかばうことで自身の支持も失墜させた麻生首相は安倍晋三元首相と同じ過ちを繰り返した。ここには安倍元首相が掲げた再チャレンジの呪縛が感じられる。
再チャレンジは小泉純一郎政権で拡大した格差問題に対する安倍首相なりの解として提唱されたもので、「一度失敗した人でも挑戦できる社会」を目指すキーワードである。一見すると心地よい言葉であるため、安倍首相就任当時は、それなりに国民から支持された。安倍首相を批判する側も「安倍首相の再チャレンジは口先だけで、実際の政策は再チャレンジにならない」というような再チャレンジの土俵に乗っかってしまったものが少なくなかった。
しかし、再チャレンジを正面から否定できない点が日本社会の問題である。再チャレンジ的な発想を抱いている限り、中川財務相のような醜態を演じた人物にも再チャレンジさせようということになってしまう。国民が再チャレンジというスローガンに期待したことは、格差社会の負け組みである弱者が再チャレンジできる社会であるが、現実は社会的強者が致命的なミスを犯しても開き直るための論理に使われるだけである。
記者は東急不動産(販売代理:東急リバブル)が不利益事実を説明せずに販売したマンションをめぐって裁判トラブルとなった。売買代金の返還を受けた後で、東急不動産の課長(当時)は記者に「迷惑をかけた」と詫びた上で、「ご縁があれば(東急不動産を)宜しく」と発言した。
これには記者は呆れてしまった。一般の消費者にとって不動産の購入は一生に一度あるかないかの経験である。散々苦しめられた業者から購入したいと考える筈がなく、このような再チャレンジは正義にも公正にも反する。
安易な再チャレンジの許容によって社会の不正や矛盾がナアナアで済まされてきたことが日本社会では多過ぎる。過去を水に流す非歴史的性質と揶揄されてきた日本人には、再チャレンジを撲滅するくらいの厳しさが必要である。

市民団体併存の是非

同じ分野で複数の市民団体が活動することがある。核兵器廃絶運動における原水協(原水爆禁止日本協議会)や原水禁(原水爆禁止日本国民会議)が典型である。ここでは同一目標を掲げる市民団体が併存することの是非を論じる。
最初に結社の自由は前提であり、誰がどのような団体を作ろうと自由である。1つの分野には1団体しか存在してはならないという制約はない。特定団体の構成員が脱退して別の団体を結成することも、同じ目的を有していながら別の団体で活動することも自由である。
同じ目的なのだから単一の団体にまとまるべきだ、という主張があるならば、それは戦時中の軍国主義体制に行き着いてしまう。まさに大政翼賛会や大日本産業報国会になってしまう。
次に市民団体の目的である運動を広げるという観点から、単一の団体にまとまることと複数団体が並存することの是非を考える。同じ目的を掲げていても細部には相違が生まれるものである。
たとえば核廃絶運動では最終ゴールが核兵器廃絶という点では同じである。その上で当面の課題として以下の主張が対立した。
「全ての国の核実験を批判すべき」
「アメリカ帝国主義こそ平和への最大の脅威であり、まずアメリカの核保有こそ批判すべき」
両者の対立は市民運動自体に批判的な勢力によって「きれいな核」という表現で歪曲・戯画化された面が多分にある。しかし、最終ゴールの核兵器廃絶は一朝一夕に実現できるものではない。一歩ずつ進めていかなければならない。その第一歩をどうするかという対立である。
このような対立が生まれた場合、日本では「小異を捨てて大同につく」ことを是と考える傾向がある。古くは自由民権運動の大同団結運動がある。しかし、皆が一つの団体の傘下に入って、上位下達で進められる運動では活力が失われてしまう。大同団結運動が後藤象二郎の入閣という幹部の一本釣りで霧散したように、単一団体への集中は意外な脆さを内包する。
これに対して、複数の団体が並存することは、お互いが相互の制約から解放され、自主的に運動を展開できるというメリットがある。それぞれの領域で活動することで、運動の裾野が広がる。実際、最も労働組合活動が盛んな業界の一つが、社内に複数の組合を持つ航空業界であるという点は興味深い。結論として、複数の団体が活動することは、それだけ社会が多様で豊かなものであることとポジティブに捉えることができる。
但し、複数団体がマイナスになることもある。相互に非難しあい、足を引っ張る場合である。そこまで行かなくても指導者が権力欲や名誉欲を満足させるため、自分の思い通りに動かせる組織にするために別団体を作るならば、運動の広がりにはマイナスである。原水協と原水禁の分裂がネガティブに語られる理由も共産党と旧社会党の対立という核廃絶運動とは無関係な要素が背後に見え隠れするためである。市民団体をどうするかは運動にとっては手段であり、運動を広めるという目的が重要である。


東急不動産だまし売り裁判 『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
東急不動産だまし売り裁判さんのページ

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