ブラック企業と左翼教条主義

林田力

ブラック企業は黒人差別表現ではない(林田力『ブラック企業と左翼教条主義』Amazon Kindle)。ブラック企業は黒人差別でないどころか、黒人を意識してさえいない。Blackを黒人にのみ結びつけることは、言葉の多様性を理解していない。エドワード黒太子をどのように説明するつもりか。

過去にトルコ風呂の表現がトルコ人留学生の批判によって使われなくなったことがある。これと同じような文脈で黒人がブラック企業の表現を批判することはあり得ない。トルコ風呂はトルコなどの蒸し風呂から命名された。実際のトルコの風呂とは無縁の代物であるが、トルコの名前を性風俗のイメージアップに使った。トルコ人が怒ることは当然である。

似ている例を出せば、ハワイと関係ない場所がイメージアップのためにハワイアンリゾートと名乗るようなものである。これは知的財産権の地理的表示に関連する問題である。差別問題ではなく、ブランドのただ乗りである。これに対してブラック企業は黒人のイメージに便乗して名付けられた問題ではない。

トルコ風呂の命名者はトルコを歪曲したものではあれイメージしていた。これに対してブラック企業は黒人とは無関係のところで成立した。黒人を持ち出してブラック企業の表現を批判することは、ためにする批判に映る。ブラック企業の表現を批判することで何を狙っているのか。ワタミや東急ハンズを擁護する動機が隠されていないか。

浦和レッズサポーターと思われる高校生がG大阪のパトリック選手に「黒人死ね」とツイートしたことが話題になった。この事件もブラック企業表現の問題とは無関係である。黒人を意識した問題ツイートをもって、黒人を全く意識していないブラック企業という表現を批判することは筋違いになる。

「黒人死ね」ツイートが批判されることは当然であるが、人種差別問題を強調する視点には違和感がある。贔屓のチームが負けた場合、その原因となった対戦相手チームの活躍した選手にマイナス感情を覚えるファンが存在することは否めない。「誰々選手死ね」などの呟きも残念な現実として存在する。相手チームの選手の活躍を称えず、悪口を言う精神をスポーツのファン精神に反すると批判することは正しい。

しかし、普段サッカーに興味ないにも関わらず、黒人差別に敏感な人が取り上げることには違和感がある。「パトリック死ね」も「黒人死ね」も同じエネルギーを持って批判するならば筋が通る。しかし、「パトリック死ね」や他の選手名の悪口をスルーして「黒人死ね」発言のみを取り上げることは反黒人差別論者の二重基準になる。

誰も黒人差別問題を関心事の最優先にして生きている訳ではない。黒人差別問題を最優先にしなければならないという社会的コンセンサスは存在しない。公民権運動がリアルタイムの青春時代であった世代には黒人差別問題に深い思い入れを持つ方がいるかもしれないが、それを他の世代に押し付けることはできない。公民権運動が知っておくべき一つの歴史であることは否定しないが、たとえば『風とともに去りぬ』を読んで南軍に歴史ロマンを感じることも否定できない。反人種差別のイデオロギーで全てを説明づけるならば興醒めである。

公民権運動によって社会変革の可能性を感じた人々もいるかもしれない。しかし、冷戦後の世界では、黒人も白人も同じテーブルに座るという公民権運動の夢が理想としても色褪せている現実がある。人種の坩堝という概念が批判され、人種のサラダボールと言われるようになった。一つのコミュニティーに包含されるよりも、それぞれのコミュニティーが共存する形が理想ではないか。それが旧ユーゴスラビアなどの解決法になっている。

反黒人差別論者は日本人の中にも無意識的な黒人差別意識があり、それは白人思想を無批判に真似しているだけであり、克服されなければならないと主張しがちである。しかし、それは市民感覚とはギャップがある。日本の占領は米軍の善意が強調されることが多いが、進駐軍による乱暴狼藉は存在した。これはフランスなども同じである。乱暴狼藉の主体であった黒人兵への反感は社会の深層意識に存在する。松本清張の短編「黒地の絵」は衝撃的である。これは現在の反米軍基地意識にもつながっている。

一方で日本には紳士的な進駐軍将校というイメージもある。そのイメージはGHQのプロパガンダや一般化できない特殊事例と切り捨てられない実体がある。当時は黒人部隊というように人種別に分かれていた。乱暴な黒人兵、紳士的な白人将校という感覚は人種的偏見以上の実感として成り立つ。

左翼のイデオロギーにとって黒人と白人の区別は意味がなく、敵はアメリカ帝国主義となるが、それは一つのイデオロギーであって唯一絶対の回答ではない。逆にアメリカ帝国主義というような抽象的な概念ではリアリティーを感じない人も多いだろう。黒人兵も米軍内での差別の被害者という捉え方は、黒人兵の乱暴狼藉の被害者が共感できるものではない。現在の沖縄の反基地運動が力を持つ背景も左翼イデオロギーのみが反対の理念ではないからである。

より若い世代にとっては、ヤンキー文化が黒人文化を取り入れたために反ヤンキーの立場から反黒人差別を最優先とするような考え方には好意的になれない。近年、反黒人差別が力を持った契機は米国での警官による黒人の射殺である。これも深夜に徘徊するヤンキーや半グレに嫌悪感や恐怖感を抱く市民感覚からすれば無条件に反黒人差別最優先に立てるものではない。