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東急ストア・プライベートブランドの失敗


初出:「【オムニバス】プライベートブランドの明暗」JANJAN 2010年3月18日

長引く不況で消費低迷が直撃する小売業にとってPB(プライベートブランド)は活路となる。PBは小売店(グループ)が企画し、独自ブランドで販売する商品である。広告費をかけず、小売店が買い取るためにメーカーが自らのブランドで生産するNB(ナショナルブランド)よりも低価格で提供できる。価格を抑えたPBは節約志向を強める消費者のニーズに合致する。このPBの扱い方で小売業者の企業姿勢が見えてくる。

躍進したPBの代表例にセブン&アイ・ホールディングスの「セブンプレミアム」やイオングループの「トップバリュ」がある。セブン&アイはセブンプレミアムの売上高を09年2月期の2000億円から13年2月期に2.5倍の5000億円に伸ばすと見込む。

セブンプレミアムの特徴は製造元を明記し、アレルギー物質を目立つように表示するなど、低価格と安心・安全を両立したことである。これによってセブンプレミアムは「2008年 日経優秀製品・サービス賞 最優秀賞 日本経済新聞賞」を受賞した。

さらにセブンプレミアムはコミュニティサイト「プレミアムライフ向上委員会」も運営し、消費者の声を商品作りに活かしている。メーカーよりも消費者に近い存在である流通業者としての長所を活かした商品作りがセブンプレミアムの成功要因である。

トップバリュも直営牧場で育てたタスマニア・ビーフなど低価格だけでなく、品質面でも価値を持たせた点が特徴である。一方で1本100円という衝撃価格で販売した第3のビール「麦の薫り」は、価格設定などで製造元のサントリーと対立し、販売中止を余儀なくされた。消費者の支持を得ても、NBが売れなくなるメーカーの反発が障害になるというPBの難しさを示した。

これらに対し、東急ストアの「東急エクセレント」「東急セレクト」は低迷した。デフレの影響でNBの価格も下落しており、低価格だけのPBには優位性はなくなった。しかもPBはメーカーから買い切るために売れ残りがそのまま損失となってしまう。結局、東急ストアは東急エクセレントと東急セレクト品目数を2011年2月期中にピーク時(09年春)の2200品目から7割も減らす方針である。それでも東急ストアの混迷は終わらない。

PBを削減して売り場スペースに空きができたが、そこに売れ筋の商品を仕入れて並べることができなくなってしまった。東急ストアの木下雄治社長は「PBで数字ばかり追っているうちに、社員が考える力を失ってしまった」と嘆く(「安売りだけでは生き残れない」日経ビジネス2010年3月15日号24頁)。

東急ストアの失敗はPBの落とし穴を示している。消費者ニーズを満たす商品を企画するのではなく、NBよりも利益率が高いからPBを乱造する。乱造したPBを売り切るためにPBを目立つ場所に陳列するなど、売り場自体が消費者ニーズを無視したものになってしまう。従業員が消費者ニーズを無視して売り場作りをするようになってしまうと、PBを廃止しても後遺症が残ってしまう。

PB戦略の明暗はPBだけの問題ではなく、小売業そのものに対する企業姿勢が問われている。

『だましの技術!』の感想

本書は詐欺や悪徳商法の実態を暴き続けたルポライター・多田文明氏とプロのマジシャン・ゆうきとも氏が「だまし」をテーマに行った対談である。私は新築マンション購入でだまされた経験があるため、興味深く読み進めることができた(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。
本書の特色は対談の組み合わせの異色さにある。多田氏には「マジシャンのだましと悪徳商法のだましは、娯楽か詐欺かの違いこそあれ、人の感情を揺さぶり、意のままに操るという点において、全く同質なのだ」(まえがき)という問題意識がある。それを出発点に、客をだまして儲ける悪徳商法(負のだまし)の被害経験があるルポライターと客をだまして楽しませるマジシャン(正のだまし)が「だまし」という共通項から「だまし」の技術や、だまされる側の心理を明らかにする。
悪徳商法の告発は「悪徳商法は許せない」という正義感があって可能になる。正義感に基づく悪徳業者への怒りは告発の原動力であり、不可欠な要素である。しかし、道徳性を前面に出しすぎると、悪徳業者の騙しの手口を冷静に分析する上では有害なことがある。
実際、悪徳商法の責任を追及した裁判で被害者が敗訴してしまうことがある。法の不備や裁判官の保守性が原因であることが多いとしても、「悪質である、不当である」という価値判断が先走りし過ぎて法に則した形で違法性を主張立証できたのかという点を被害者としても総括する余地がある。
本書では、だますことで客に喜ばれるマジシャンを対談相手とすることで、だましの手口やだまされる側の心理について善悪以前の問題として冷静に分析することに成功している。「だまし」という点で詐欺師と同列に扱われることはマジシャンにとって決して面白い話ではない。書籍『人はなぜ簡単に騙されるのか』の著者である、ゆうき氏だから引き受けられた対談である。
一方で悪徳商法を告発する側にも本書の企画には問題がある。詐欺師の手口をマジシャンの技術と同列に扱うことは、詐欺師の評価を高めることになりかねず、悪徳商法の被害者にとっては感情的に受け入れがたいものがある。被害者としては「詐欺師=悪人」として詐欺師の全人格を否定しなければ気が済まないという面があることは事実である。それくらいの怒りがなければ悪徳商法に立ち向かい、被害を回復させることは難しいことも現実である。
本書は内容的に手品に関心がある人よりも悪徳商法に問題意識を抱いている人をターゲットにしているが、憎むべき詐欺師をマジシャンに匹敵する技量の持ち主と持ち上げるならば、主要読者層から反発を受ける危険性がある。この点は身をもって悪徳商法を体験し、精力的に告発を続ける多田氏だから容認できるという面がある。
単に面白おかしくマジックと詐欺のだましの技術を共通化した内容であったら、読後感は悪かったと思われる。その意味で本書はユニークなだけでなく、ルポライターとマジシャンの双方にとって、これまでの声望を損なうリスクもあった挑戦的な企画でもある。困難な企画を成功させた本書は、だましのメカニズムを知りたい人にとって参考になる一冊である。(林田力)

セブンプレミアムが日本経済新聞賞受賞

流通業大手の株式会社セブン&アイ・ホールディングスのプライベートブランド(PB)「セブンプレミアム」が「2008年 日経優秀製品・サービス賞 最優秀賞 日本経済新聞賞」を受賞した。セブンプレミアムは記者もよく購入しており、納得できる受賞である。

日経優秀製品・サービス賞は国内で販売されている優れた製品やサービスを表彰するもので、1982年から始まり、毎年1回行われている。2008年の同賞の表彰式は2009年2月5日に行われた。セブンプレミアムの他には花王の蒸気で目もとを温めるアイマスク「めぐりズム蒸気でホットアイマスク」やプラス ステーショナリーの個人情報保護スタンプ「ケシポン」など独創的な商品・サービスが入賞した。

セブン&アイは「セブンプレミアム」を原材料調達から商品開発、品質管理まで一貫した体制で、7つのこだわりを徹底追求した商品と位置付ける。7つのこだわりとは、(1)安全・安心、(2)おいしい、(3)地域の味、(4)最高の技術、(5)ユニバーサルデザイン、(6)健康応援、(7)リーズナブル・プライスである。

セブンプレミアムは傘下のイトーヨーカドーやヨークマートにおいて、2007年5月から飲料や菓子などの49品目で販売を開始した。その後、日用品など品目を拡大していった。記者がしばしば利用するイトーヨーカドー木場店でもセブンプレミアム商品の売り場は拡大している。

セブンプレミアムは食品、菓子、飲料、日用品など幅広い品目を持つが、白を背景色に多用した包装に、緑色の「7」のロゴを付す統一的なデザインになっている。人目を引くためにカラフルなデザインが多い一般商品の中で、シンプルなデザインは逆に注目されやすい。そのシンプルさには無印良品的な信頼感を与えている。

受賞理由として、製造元を明かさないPBがある中で、セブンプレミアムは製造元を明記し、安全・安心を重視する消費者の要望に応えたことを挙げる。例えばセブンプレミアムのポテトチップス「イーモんたべよ北海道ポテト コンソメ味」の製造元は山芳製菓である。山芳製菓は「わさビーフ」で有名な大手スナック菓子メーカーである。

大手メーカーも生産し、メーカーの顔が見えるPBということで、過去の「安かろう悪かろう」というPB失敗事例とは一線を画す。セブンプレミアムはアレルギー物質の表示を目立つ形で表示するなど、消費者に近い存在である流通業者としての長所を活かした商品作りをしている。今後も、こだわりを持ち続けた商品作りに期待したい。



東急を出し抜いたセゾン堤清二の文化戦略

セゾン・グループの総帥であった堤清二は新しいパラダイム構築を目指した経営者として先ず想起される人物である。堤はストレートなビジネスパーソンとは一味違った感覚で商業を成り立たせた。小説家や詩人としての顔もあった堤は文化戦略の論理を信奉し実践した。
商品という目に見えるものではなく、時代の空気や雰囲気を読みながら感性を前面に押し出して消費者を引き付けた。その集大成がセゾンというブランドである。小売業の枠に縛られている老舗百貨店のような先達を横目に見ながら、それをセゾンは突き抜けた。百貨店、スーパーという業態にとどまらず、金融、デベロッパー、フード系の企業を立ち上げることで、結果的にグループ化した組織はセゾンというブランドの下、様々な方向から消費者を誘引し囲い込むことに成功した。
堤の手法は80年代に盛り上がりを見せる企業のブランド化、イメージ戦略化の先駆であった。その内容は企業のCI; Corporate Identity、CC; Corporate Communication、メセナ(文化・芸術支援)など現在でも広告論やマーケティング論、経営論などでしばしば語られている。
堤の戦略は以下のようにまとめられている。
「『売らんかな』の論理に突き動かされるただの小売業から脱却し、文化事業や多面的な広告戦略によってCIを確立した『イメージとしての西武』を創造していくこと」(北田暁大『広告都市・東京』廣済堂出版、2002年、62頁)。
それは経営者とは反対の立場にある労働運動家からも以下のように評価されている。
「1982年西武百貨店の『おいしい生活』というコピーは、含蓄が深かった。『おいしい生活』に込められたのは、明治以来の『追いつき追い越せ』を脱皮し、日本人として新しい文化を構築し、『心の時代』へ踏み入るべき含意でした。」(奥井禮喜『だから、組合に行こう』ライフビジョン出版、2010年、118頁)
文化面から評価されがちな堤であるが、純粋に経営者としても非凡さを発揮した。堤は1973年、パルコを渋谷に出店させた。パルコ渋谷は若者文化やアートとの協調を掲げ、従来になかったミックス型フロア構成とバラエティ感覚で挑み大反響を呼んだ。
渋谷は先代の堤康次郎の頃から西武のライバルであった東急電鉄のお膝元と言える場所である。渋谷パルコ開店時は東急グループの総帥・五島昇に開店セレモニーのテープカットをさせた。西武の従業員の溜飲を下げさせ、同時に東急グループの従業員を歯噛みさせたという。新時代を見据えながらも、先代からの因縁にも目を配ることで自社の従業員の心をつかむ術を得ていた。
渋谷出店は西武による東急への殴りこみのようなものだが、堤は巧みな根回しによって東急の反発を退けた。池田勇人内閣のご意見番として君臨する財界四天王(永野重雄、水野成夫、小林中、桜田武)を順に回って説得する外堀工作を行った。堤は父・康次郎が衆議院議員だった当時、その秘書をしていた。後に首相になる宮沢喜一や海部俊樹とも秘書仲間であった。その頃に培った政治的素質や人脈を活用した。
セゾン・グループの文化戦略は70〜80年代は時代にマッチした。しかしバブル崩壊後は借金体質が表面化し、グループ解散に至る。この結末から堤清二に否定的評価が下されることが多い。しかし、鉄道コンチェルンとして後発に属する西武は先行企業の真似をしていただけでは先細りするだけである。現実に堤清二以上の文化戦略を提示する経営者は出現していない。以下のように反論される。
「詩人が無理をして企業の経営を傾けた? だが、西武/セゾン・グループの発展は文化戦略なしにはありえなかった」(浅田彰「セゾン文化を継ぐ者は誰か」VOICE 1999年3月号)。
セゾン文化についても単なる広告戦略と切り捨てられがちだが、現代文化に与えた影響は決して小さくない。セゾン・グループの従業員やアルバイト経験者から少なからぬ文化人が輩出されている。芥川賞作家・保坂和志、評論家・永江朗、直木賞作家・車谷長吉らである。批評家・作家の東浩紀は以下のように述べている。
「僕がいま批評家であるのは、あの80年代、セゾングループによって文化的な欲望を植え付けられてしまったからなのだ」「80年代以降に活動を始めた作家や批評家やアーティストたちは、みな堤氏の子どもたちなのである」(東浩紀「堤清二の子どもたち」波2002年5月号、新潮社)。

くらコーポレーションが内定辞退強要報道に反論

回転寿司・無添くら寿司を経営する株式会社くらコーポレーションが2010年10月13日に内定辞退強要報道への反論文書を公表した。
毎日放送「VOICE」は9月1日に「内定辞退のウラに何があったのか」と題し、「くらコーポレーション」の内定辞退を特集した。内定者に過酷な研修を課し、事実上の内定取り消しが行われたことを印象付ける内容であった。同種の内容はTBS「NEWS23クロス」でも10月12日でも放送された。
入社前合宿はアナウンサーでも大変な「くら社員三誓」を内定者に暗唱させるパワハラ的なものであった。研修の案内文書には「くら社員三誓を35秒以内で暗唱できていない場合は帰宅してもらいます。」とまで書かれてあった。
また、内定辞退届は人事担当者に「今から言う言葉を一言一句間違いなくしっかり書きなさい」と言われて書かされたという。内定辞退者は20人以上にもなり、給与の補償と精神的な慰謝料を求める裁判も係属中である。
これに対し、くらコーポレーションは「内定辞退を強要したなどという事実は一切なく、ご本人の意思により辞退されることになった」と反論する。しかし、その反論には疑問がある。
第一に仮に本人の意思による内定自体であっても、入社直前に20人もの大量の辞退者が出たという事実は残る。本当に強要がないならば、それだけの人数から嫌悪されたことになり、企業文化・企業体質の問題を示すものである。
第二に反論文書では番組で取り上げられた内定辞退者の経緯について詳細に書かれているが、その中に不自然な発言がある。
番組では関西大学出身の鈴木氏(仮名)は内定自体届けを書かされた時の状況を以下のように語る。
「ゆっくりと白い紙とペンを渡されて、そのとき僕も頭が真っ白だったんですけど、のぞきこんで指でこう、紙をなぞるように『こう書いて』と一字一句指示されました。精神的に追い詰めるような言葉の雰囲気というか、言葉の重さだった」
これに対し、反論文書では以下のように述べる。
「本人は、研修中に3度に亘り辞退を申し出てきており、その都度弊社人事担当者が『頑張れ。君なら出来る。』『逃げずに乗り越えよう。』と励まし研修に復帰してもらいました。4度目の面談においても慰留しましたが、それでも辞意は固く内定辞退の手続きを行いました。」
問題は大学訪問時の以下の説明である。
「4月8日に関西大学を訪問した際には『辞退を強要する気など全くない。戻ってきてくれれば良い。』と大学に伝えましたが、ご本人は拒否されております。」
くらコーポレーションの主張では内定辞退は本人の意思となる。人事担当者の慰留を振り切り、本人が辞退を望んだことになる。それにもかかわらず、「辞退を強要する気など全くない」という発言が出てくることは不思議である。

添加物を使用する無添くら寿司

回転寿司チェーン・無添くら寿司は店名に「無添」を謳っているが、これは添加物不使用を意味しない。無添くら寿司のセールスポイントは食材に化学調味料、人口甘味料、合成着色料、人口保存料の四大添加物を使用しないことである。四大添加物以外の添加物は使用している。
例えば以下の食品で添加物が利用されている。
・チーズグラタン:増粘多糖類、カロチノイド色素
・カリカリポテト:増粘剤
・スイートポテト:クエン酸、着色料
・緑茶:ビタミンC
最後の緑茶のビタミンCは酸化防止剤として添加されるものである。これは酸化されやすいというビタミンCの性質を利用している。ビタミンCが酸化されることで緑茶の成分の酸化が抑えられ、緑茶を新鮮に保つことができる。
あくまで無添くら寿司は四大添加物不使用と述べており、他の添加物を使用していたとしても、嘘はついていないと主張するかもしれない。しかし、自社で選定した4種類の添加物を四大添加物と称し、それらを使用していないから「無添」と謳うことが公正であるかは疑問が残る。
問題は「無添」という言葉から想起する消費者の期待に応えられるかである。それが裏切られたならば、いくら「嘘はついていない」と述べたところで企業内でしか通用しない独り善がりな論理に過ぎない。「売ったら売りっぱなし」で売り抜けられればいいという悪徳業者の発想に立たない限り、消費者の期待を裏切れば企業としては負けである。
そもそも四大添加物不使用のバックボーンになる企業理念「食の戦前回帰」からして疑問である。「食の戦前回帰」は「添加物を含まない、素材そのものの味わいを求め、「食」が安心・安全だった戦前の食卓に戻ろう」という意味が込められている。
その趣旨は理解できるが、何故に戦前なのか。工業化によって汚染される前に戻るならば、戦前では中途半端である。江戸時代への回帰とした方が自然である。実際、持続可能な循環型社会として江戸時代は見直されている。
戦前回帰という言葉は政治的には軍国主義の復活を連想する。個人を抑圧する軍国主義的な風潮に染まっている組織は現代日本でも存在する。それはブラック企業である。そして無添くら寿司を経営する、くらコーポレーションもブラック企業との指摘を受けている。戦前回帰を掲げる企業とブラック企業が重なることは興味深い。
くらコーポレーションがブラック企業と認識された契機はテレビ番組による内定辞退強要報道である。これに対し、くらコーポレーションは内定辞退の強要は事実無根と反論した(林田力「くらコーポレーションが内定辞退強要報道に反論」PJニュース2010年10月14日)。
しかし、その反論自体が添加物を使用しながら「無添」と冠することと同じ独り善がりを印象付ける。労働法上、内定辞退が内定者の自発的意思によるものか、企業が強要したものかで大きな相違が生じる。内定辞退者による裁判が起きているが、この点が裁判の争点になる。それ故に、くらコーポレーションが内定辞退の強要はなかったと反論することは法務的には重要である。
しかし、テレビ報道に対するインターネット上の反応は、極論すれば内定辞退が自発的か否かは問題ではなかった。現実の人間の意志は自発的意思か他者からの強要かで一刀両断できるものではない。内定辞退のような不利益な決断をする場合、多かれ少なかれ他者からの働きかけが存在する。
仮に純粋に自発的意思であったとしても、折角取得した内定を辞退することは余程のことである。とても働けないという企業体質を目の当たりにしたからに他ならない。内定を強要しようと、自発的意思だったとしても、ブラック企業であることには変わらない。
それ故に強要はなかったとの反論はブラック企業との指摘には無意味である。「最近の若者の気質」にまで言及して自社を正当化するならば、ブラック企業の烙印が強化されるだけである。添加物を使用しながら「無添」を冠する無添くら寿司と市民感覚の乖離を感じた。

『プロジェクトX』の弊害

かつて『プロジェクトX 挑戦者たち』という人気番組があった。新幹線などの戦後の様々なプロジェクトを紹介するドキュメンタリー番組である。何度も挫折しながらも、その度に一丸となって立ち向かい、困難な課題を達成する人々の熱い姿に多くの視聴者が感動したことは事実である。中島みゆきが歌う主題歌「地上の星」もロングヒットになった。
『プロジェクトX』は閉塞感漂う日本社会に日本も捨てたものではないとの希望を与えた。しかし、『プロジェクトX』に感動する日本社会のメンタリティが日本の閉塞感を象徴する。『プロジェクトX』の問題は、番組で取り上げられるようなプロジェクトを理想的な成功プロジェクトと勘違いする発想を拡大再生産してしまうことである。
プロジェクトとは定められた期間内に定められたリソースやコストで、定められた目的を達成するための活動である。その点で『プロジェクトX』に取り上げられるようなプロジェクトの多くは、いかなる結果を残そうと失敗である。成功プロジェクトとは計画通りに進行したプロジェクトである。
失敗続きで何度も計画の変更を余儀なくされたプロジェクトを最後の結果を踏まえて感動的なドラマとしてしまうならば、失敗を反省して次に活かすことはできない。『プロジェクトX』に感動するメンタリティには「終わり良ければすべて良し」的な浅はかさがある。そして過去の失敗を直視せず、現在の状況から判断する非歴史性こそ日本社会の最大の害悪である(林田力「日本社会の非歴史性が問題だ」PJニュース2010年6月26日)。
失敗を検証しない愚は既に戦前の日本が経験している。日本は日露戦争でロシアに勝利したとされるが、旅順攻囲戦では機関銃を装備したロシア軍に無謀な突撃で無意味に大量の死傷者を出した。しかし、日本が勝ったとされたために十分な反省がなされなかった。それが十五年戦争での精神論やバンザイ突撃につながった。
日本経済の長期停滞は「第二の敗戦」にたとえられている。日露戦争の戦勝体験に固執して十五年戦争に無条件降伏したように、高度経済成長期のプロジェクトを美化しても勝利はない。「終わり良ければすべて良し」的な無反省の発想がある限り、日本が閉塞状況から脱却することはない。いくら焼け野原から経済大国にするような前に進むことしかできない愚かしい努力を繰り返そうと、非歴史性を克服しなければ日本は何度も負け続ける。

知的資本経営の意義と注意点

近年の企業等の競争力の源泉には知的資本(intellectual capital)が大きな比重を占めており、同時にそれら知的資本を経営資源として活用する経営(知的資本経営ICM; intellectual capital management)が注目されている。
知的資本経営(知的資本管理)は知的資本を中心的な経営資源として捉え、企業の成長と価値創造を実現しようという経営モデルである。知的資本は人材、技術、組織力、顧客とのネットワーク、ブランド等の目に見えない資本を指す。樹木に置き換えれば、財務や資本は幹や枝葉など目に見える部分で、知的資本は目に見えない根の部分になる。その具体的な内容については立場によって相違がある。
先ず知的財産権(特許、商標、著作物、情報資産など)を念頭におく立場がある。一方で知的資本経営を従来の資本主義経営と一線を画す概念として捉える立場は財務諸表に表れることのない目に見えない資本を知的資本とする。具体的には知識、人材、信頼などである。特に人材をターゲットとする場合は人的資本経営とも呼ばれる。
従来的な資本主義は、現金や投資などの金融資本を設備や施設などの有形資本と循環的に交換する中で価値を生み出していくモデルであった。しかし、工業化社会から情報化社会・知識社会へと変化する中で、会計上表現されない無形資産が価値を生み出す要素として重要になる(林田力「勢いに乗る韓流(下)」PJニュース2010年11月12日)。
この観点から知的資本に注目が集まるようになった。知識の獲得や創造は人間だけが行える活動である。知識社会における価値創出源泉は知的資本が中心となる。
知的資本とは具体的には以下に分類される。
第一に関係資本(relational capital)である。株主や債権者を含む資本市場との良好な関係、顧客との関係(顧客資産、評判、信頼、ブランド、顧客のロイヤリティ、顧客満足)などである。
第二に人的資本(human capital)である。経営者・従業員の知識、経験、能力、創造性、満足度、ヤル気などである。
第三に構造資本(structural capital)である。組織・構造、バリューを生み出す仕組み、ビジネスモデル、企業文化、革新的な組織風土、企業の研究開発能力、情報システム、ITケイパビリティ、社内的情報伝達ネットワークの整備などである。
特に従業員は、経営を支える最も希少で重要な資本である。人材こそが競争力を決定づける、かけがえのない経営資本である。しかし、企業がスリム化するにつれ、社内で人材を育成するゆとりがなくなっているという事情がある。
知的資本経営では知的資本を継続的に創造、調達、活用することでどのように企業価値を上げていくかがテーマとなる。良質な人材を育成・啓蒙し、そのような人材が生み出した知見を知財という形にし、知財によって競争力を強化していく。また、株主・投資家に対して、知的資本の価値をどのように評価・指標化し伝えるのかが会計上のテーマになる。
この経営モデルを実践・支援するための情報システムをICMシステムという。企業内の知識や経験、方法論、アイデアなどを構造化・標準化し、関係者が共有、再利用できるようにする。コンテンツの登録・分類・検索、リコメンデーション、ソーシャル・ネットワークの機能を有するもので、従来の「全文検索」「コンテンツマネジメント」「ナレッジマネジメント」などを統合した新しいアプリケーション分野として注目されている。
また、グループウェアやイントラネットによる社員の知識共有や、守秘義務契約締結による知識流出防止なども知的資本管理の手法の一つとして挙げられる。
知的資本経営の先駆的な事例として、スウェーデンに本社をおく北欧最大の金融保険サービスグループのスカンディアによる取り組みが有名である。同社では知的資本を以下のように定義する。
「人間が未来の価値創造に生かすことのできる経験から得たさまざまな見識」
「企業の簿価と市場価値の間にあるギャップであり、目に見えないが未来を形づくる資産である」
スカンディアでは1991年より知的資本担当部署を設置し、担当責任者にレイフ・エドビンソンを任命した。そこでは知的資本の指標化・測定に取り組み、1995年からはスカンディア・ナビゲーターによる分類と指標に従い、グループの知的資本に関する情報をアニュアル・リポートに公表している。
この動きに影響され、北欧諸国では知的資本情報を独立した知的資本報告書という形で開示する実務が生まれた。この実践がMERITUM報告書やデンマーク知的資本報告書などのガイドラインに結実した。
スカンディア社では従業員が自分のペースで変化の準備ができるための制度を運営している。たとえば「コンピテンス・ディベロップメント・プラン」は、個人の能力・強みを発掘し、スカンディアの現在または近未来に求める能力・強みとマッチングさせる制度である。
また、「コンピテンス・マーケットプレイス」という、いくつかの大学と提携し、仕事に必要なナレッジやコンピテンスを知ることのできるインターネット・プログラムもある。
さらに「コンピテンス・インシュアランス」では現在の仕事に関係なく能力開発を支援する。社員が自己の能力開発のための資金を預け入れる貯蓄型の保険制度である。年収の5%を限度とし、スカンディア社が同額の資金を加算し運用する。将来、休職を伴う能力開発が可能になる。
これからの人事マネジメントの望ましい方向性は、従業員を知恵や行動などの無形資産を会社に投入した投資家と位置付けることから始まる。投資家であるなら、自分で時間などのリスクを取りながら、仕事の範囲を超えてでも顧客価値創造に注力する。
それによって、現場力・知恵・ブランド・人材や顧客の吸引力などの無形資産が蓄積され、結果として株主利益も増大する。このようなサイクルを効率よく回転させるために、投資家精神に満ちた人材を集め、投資して育成する。これが知的資本経営になる。
たとえばサムソン(三星)では午前9時出社から午前7時出社、午後4時退社に変更するという思い切った改革を断行した。午後4時に退社した従業員が語学学校や社会人大学院などで自分を磨くことになった(今口忠政他「持続的な組織能力の構築プロセスに関する研究」三田商学研究第53巻第2号、2010年、50頁)。
従来型の資本主義経営では企業にとって従業員は労働力であった。「人材」または「人財」重視を謳ったところで、従来型の発想では企業にとって大切な資産であることを意味するに過ぎなかった。
企業戦略を優先しただけの人材配置ならば、従業員の成長の機会が失われてしまう可能性がある。例えば従業員に現在の職務を割り当て続けた方が企業としての効率は良い。しかし、キャリア開発といった長期的な人材育成を考慮しなければ、達成感や成長を実感できず、従業員のモチベーションをダウンさせてしまう可能性がある。
一方で日本的経営に見られる職種を無視したローテーションでは、社内でのみ通用するスキルばかりが増大してしまう。個人の成長を促し自律性を引き出す仕組には、あまりなっていない。
知的資本経営を進めるためには発想の転換が必要である。知識の提供者である知識人材を知的資本の投資者と位置付ける。これらの人材の活躍によってビジネスの創造・拡大を実現し、結果として営業の拡大と知識資産の形成が実現される。
その知的資本経営の成功の鍵が自律的人材である。自律的人材は、自分は何をなすべきか、自分のなすべき行動を自らが定め、責任を持って主体的に仕事を進めていく。積極的に仕事にコミットする姿勢を持つような自律的人材の育成を目指すべきである。
このように自律的人材が重要になるが、知的資本経営においても従業員が労働者としての社会経済的立場を変えるものではないことには注意する必要がある。この点を踏まえておかなければ知的資本経営が人件費削減や労働法上の義務回避の口実として悪用されてしまう恐れがある。
知的資本経営においても従業員が労働者であることは変わらない。生産手段を持たない労働者は労働力を切り売りしなければならず、売り物の労働力は不況だからといって在庫として保存することはできない。労働市場において買い手である企業が有利であることは本質的には変わらない。
それにもかかわらず、知的資本経営を労働法上の義務回避や人件費削減の口実に利用するならば従業員のモチベーションは下がり、知的資本経営が目指す目的とは反対の効果を生み出す。むしろ従業員が自分のことしか考えず、最低限の業務しか行わなくなる方へ誘導することになる。マクドナルド店長が管理職であるか争われた裁判に見られるように、企業による脱法的な義務回避に対する風当たりが強くなっており、それは社会的にも許されなくなっている。

エネルギーを無駄にしない社訓

興味深い社訓を見つけたので紹介する。社是・社訓・経営理念・企業行動憲章・ミッションステートメント・クレドなど呼び方は色々とあるが、多くの企業では企業の経営姿勢や従業員の行動基準を定めている。

社訓は大勢の従業員を企業の目指すべき方向に合わせる上で有益なツールである。社訓という言葉自体には古びた感じがあるが、名前は何であれ、社訓に相当するものの重要性は現代の企業にとって増している。

現代では価値観が多様化し、従業員個々のライフスタイルを尊重することが求められている。企業は従業員の多様性を認め、尊重しなければならない。一方で企業は企業の目的を実現するために多様な従業員を一つの方向に向けさせなければならない。その為の解決策として社訓を従業員に浸透させることが考えられる。

但し社訓には立派なことが書かれているが、従業員の行動規範になっていないという企業も少なくない。「愛と誠心と感謝をこめて、お客様に愛される不二家になりましょう」という社是を持つ不二家が消費期限切れの牛乳を使用してシュークリームを製造・出荷した事件は、両者の乖離を示す典型例である。

社訓と現実の企業姿勢に乖離が生じてしまう原因として、社訓を従業員に浸透させる努力を怠っていることが考えられる。一方で社訓の内容に問題がある場合もある。抽象的な綺麗事を並べるだけで、現実的な行動規範として期待されていない場合もある。

経営者の自己満足や世間向けのアピールのために作成し、事務所に掲げ、朝礼で唱和させている。しかし、実際に行動規範となるような内容を持たないため、日々の業務では売り上げ増加・コスト削減優先で、社訓に反するような指示が日常化してしまう。

最初から社訓を世間向けの建前と割り切ってしまう場合は論外だが、社訓を浸透させたいならば、社訓の内容も実現不可能な綺麗事で終わっていないか検討する必要がある。これから紹介する社訓は示唆に富むものである。

紹介する社訓は医療用画像ファイリングシステムを提供する韓国企業の日本法人のものである。社訓では最初に「創意」「協力」「責任」「挑戦」の四つのキーワードが登場する。その下に太字で「社員としての心構え」と題して「エネルギー(体力)を無駄に使わない」と記載する。

その後で、「利益を生み出す行為」と「不利益になる行為」を箇条書きで列挙する。最後に「人を幸せにするとは、その人の願う事に対してほんの少し手を貸してあげる事」と記し、代表取締役社長の記名がある。

注目を惹く点は「社員としての心構え」である。「エネルギー(体力)を無駄に使わない」とある。通常、社訓には従業員に企業目的に沿うような行動を積極的に求める形になりがちである。しかし、同社では「無駄に使わない」である。高度成長期の日本で持て囃され、今では完全に時代遅れとなった「モーレツ社員」の対極に位置する。

最後の文章では「人を幸せにするとは、その人の願う事に対してほんの少し手を貸してあげる事」と記す。実にささやかな行動である。そこには「鉄は国家なり」的な社会に責任を負っているという類の的外れな気負いはない。その種の思い込みが、往々にして事業を推進することにより不利益を受ける少数の人々の声を聞こうともせず、彼らの犠牲を当然視してしまう血の通わない企業姿勢に行き着く場合がある。

記者は東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実を隠して新築マンションをだまし売りされた(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。問題発覚後に対峙した東急リバブルや東急不動産の従業員からは事業に対する独善性と欺瞞性が強く感じられた。記者が消費者契約法による売買契約取り消しを貫き、消費者の論理に立脚したことにも、企業の独善性や欺瞞性への嫌悪感が影響している。それを踏まえれば、同社の社訓は健全である。

日本では前向きであること、積極的であることが是とされる傾向がある。理不尽な災難の被害者に対しても「頑張れ」と声をかけるような無神経なことが妥当なこととして扱われる。一番頑張らなくていい人にまで頑張らせ、また、頑張ることが美徳であるかのように受け止める風習がある。

これに対し、同社の社訓では無理に頑張ることを強制するような要素はない。日本企業の感覚からすれば異色の社訓である。このような企業が日本で成功するようになれば、人間を不幸にするシステムとまで言われた日本社会も、より多くの人にとって働きやすい、豊かで多様な社会になる。

「科学的」論争の落とし穴

電磁波などの安全性議論についての一考察

ある主張に対して「それは科学的である」「科学的でない」と主張されることがある。電磁波や環境ホルモン、遺伝子組み換え食品、化学物質など登場してから歴史が浅く、影響についてのデータが十分に蓄積されていないものについての安全性・危険性を議論する際に主張される。
「科学的である」「科学的でない」の主張は、議論において強力な印象を与える。一般に「科学的であること」は「科学的でないこと」に比べて優れているとの価値判断がある。一方で科学的とは客観的で価値中立的であることを含意する。
つまり「科学的である」「科学的ではない」と主張することで批判者は一つの価値判断を下しているにもかかわらず、客観的で価値中立的な判断を下しているような外観を作出できる。このため、本当に科学的であるのか否かという点は別として、「科学的である」「科学的ではない」と決め付けることは議論で自説を押し通す上で非常に強力な武器となる。
従って、議論において「科学的である/ない」という主張が出てきたら、雰囲気に流されず、「科学的である/ない」と判断した根拠が何かを冷静に考える必要がある。何の根拠もなければ「科学的である/ない」という主張も単なる決め付けであり、主張者の感想に過ぎないことになる。
そこで「科学的であること」とは何かが問題になる。ある主張を「科学的である」「科学的でない」と評する場合の「科学的」とは第三者が検証可能であることを意味すると考える。第三者が検証可能、即ち他の人が同じように検証しても同じ結論に到達できるよう主張が科学的である。
科学的とは客観的と言い換えられるかもしれないが、客観的とは何かという問題が発生し、トートロジーとなる。しかも客観性を突き詰めると主観的な存在である人間が真の意味で客観に辿り着くことが可能なのか、という根源的な疑問が出てくる。
「科学的であること」を検証可能であることと捉えるならば、ある主張に対して「科学的ではない」と決め付けることが、勝ち誇ることには直結しない。ある主張が「科学的でない」というのは第三者に検証可能な形で提示できないことであり、その主張の正しさを第三者が納得できなかったというにとどまり、その主張が誤りであることを意味しないからである。
例えば「電磁波は健康に悪影響を及ぼす」という主張がある。この主張が「科学的である」ためには、電磁波を浴びることで健康が害されたことを証明しなければならない。これができなければ上記主張は「科学的ではない」との烙印を押される。
実際のところ、電磁波の有害性を主張する研究の多くは疫学研究である。放送タワーや携帯電話の基地局のような電磁波発生源の周辺に住む人は、他の地域に住み人に比べてガンや白血病など病気の発生率が高いという内容が多い。
ここでは電磁波発生源の周辺に住む人々は病気が多いという統計から「電磁波を浴びたことが病気の原因」という結論を導き出している。しかし、これらの疫学的研究だけでは、電磁波を浴びたから白血病になったという因果関係を説明してはいないと批判することは可能である。
しかし、「電磁波が有害である」との主張を「科学的ではない」と判断したとしても、それで議論が決着する訳ではない。電磁波の有害性を第三者に検証可能な形で提示することができていないとするにとどまり、主張が誤っていることを意味しない。むしろ、多くの疫学研究が電磁波と病気発生率との相関を示しているという事実は厳然と存在する。
また、「電磁波が有害である」との主張を「科学的ではない」と退けたとしても、電磁波が安全であるということにはならない。電磁波の安全性を主張したいならば「電磁波が安全であること」という主張が「科学的であること」を示さなければならない。
積極的に安全であることを証明するのが「悪魔の証明」になると言うのならば、電磁波の有害性の根拠となっている疫学研究に対し、病気発生率が高いのは電磁波以外の要因であることを説明できなければならない。それができないならば「電磁波の安全性」についての主張は「科学的ではない」との批判を免れない。
結局のところ、「科学的である/ない」という評価軸だけでは、何れの主張も科学的に認められるところまで至っていない場合、安全なのか危険なのか結論が出せない。あくまでか科学の立場で論じるならば科学の進歩を待たなければならない問題である。
しかし、規制をするか否かという判断を下す場合のように結論を出さなければならない場合もある。その場合、「その主張は科学的でない」として議論に終止符を打つことはできない。何らかの結論を出すためには「危険性が立証されなければ安全とみなす」または「安全性が立証されなければ危険とみなす」の何れかのルールが予め合意されている必要がある。
従来型の自由主義経済の下では規制は最小限度に止めるべきであり、危険性が確認されなければ規制されるべきではないとする発想が支配的であった。危険性の主張を「科学的ではない」と攻撃し、積極的に安全性を説明しようともしない態度は「危険性が立証されなければ安全とみなす」との思想に立脚しているからに他ならない。
これに対するアンチテーゼとして登場したのが慎重な回避(Prudent Avoidance)、予防原則(Precautionary Principle)、予防的方策(Precautionary Approach)である。「安全性が立証されなければ危険とみなす」という考え方である。環境・健康問題では因果関係が明らかになった時には既に手遅れになることが多い。取り返しがつかなくなる前に対策しなければならないという思想で、ヨーロッパを中心に広がっている。
国連環境開発会議(地球サミット)の「環境と開発に関するリオ宣言」(1992年)第15 原則は以下のように述べる。「環境を保護するため、予防的方策は、各国により、その能力に応じて広く適用されなければならない。深刻な、あるいは不可逆的な被害のおそれがある場合には、完全な科学的確実性の欠如が、環境悪化を防止するための費用対効果の大きい対策を延期する理由として使われてはならない。」
「危険性が立証されなければ安全とみなす」と「安全性が立証されなければ危険とみなす」の何れを選択するかという問題はポリシーの問題であって、科学の問題ではない。この点についての認識のないままで「科学的である/ない」という主張を応酬しても噛み合わなくなる。実際に電磁波などの安全性についての議論が混乱するのは、この点が曖昧のままで「科学」を持ち出すことが一因であると考える。
科学的な議論をすることは第三者と共通認識を形成していく上で非常に重要なことである。しかし同時に科学の限界についても認識しなければならない。それが真の科学的態度である。

大卒から感じた高卒のギャップ

高卒の方とコミュニケーションして共通する性質を感じることがある。これは私の身近な経験から導き出されたものであり、あくまで、そのようなものとして受け止めていただきたい。

私が感じた高卒の方の特徴は事実というものに対して硬直的な考え方を有していることである。自分が事実と考えるものを絶対視し、それに反する言説を嘘八百と頭ごなしに決めつける。「あなたが事実と考えるものが、他の人も事実と考えているとは限らない」という理屈を理解しようとはしない。

この相対主義は私にとっては自然なものである。いつ私が相対主義的な思想を身に付けたかと言えば、大学教育の影響が強い。高校までの勉強は基本的に正解が存在していた。これに対して大学は異なる。一つのテーマに様々な学説が存在する状況は知的好奇心を大いに刺激した。ポストモダニズムや価値多元主義も一時の流行を超え、アカデミズムの土壌に根付いていた。

勿論、アカデミズムには閉鎖的なサロンの側面もある。アカデミズムの設定した幅から外れるものは容赦なく「疑似科学」「ニセ科学」とラベリングして排除する。それでも高校までの画一的な教育しか知らなかった大学生にとって、アカデミズムの学説の幅は知的好奇心を十二分に刺激するものであった。

この点を踏まえるならば、もし私が高卒だったら、やはり事実に対してプリミティブな発想のままでいた可能性が高い。ちょうど『名探偵コナン』の決めゼリフ「真実はいつも一つ」のように。江戸川コナン(工藤新一)は「頭脳は大人」と言いつつも、子どもになる前は高校生探偵であり、大学生にはなっていない。この設定は示唆的である。それ故にこそ『名探偵コナン』は子ども向け作品として成功したと言える。

また、水野朋子の小説には「やっぱり女優といえども、どこかの大学の文学部で勉強するくらいの真面目な人でないと、まともなプロにはなれませんなあ。」との一節がある。ここでは単に勉強する機会に恵まれなかったというだけならば許せるとしている。この論理では勉強する気など最初からなく、入学しながら大学を中退する高卒者は問題である。

以下では事実に対する硬直的な考え方を高卒的性質と呼ぶことになる。この高卒的性質は困った性質である。高卒的性質の持ち主とは、まともな議論ができない。こちらは相手の主張も理解しつつ、自説を述べる。自分と異なる考えでも、そのような考えが成り立つことは理解しながら話を進める。

ところが、高卒的性質の持ち主は他者の主張を理解する意思も能力も欠けている。自分が事実と考えるものに固執する。理解と同意が異なるということすら理解していない。結局、高卒的性質の持ち主を相手に議論することは時間の無駄である。

こちらは相手の考えを理解するが、高卒的性質の持ち主は最初から他者の考えを理解する気がない。その中での議論になるため、こちらが相手の考えを理解した分、傍目には高卒的性質の持ち主が優位に見えてしまいかねない。結局、高卒的性質の持ち主との議論は腹が立つだけである。

かつて市民メディア・オーマイニュースの編集部員が「偏差値70未満はコメント欄書込み禁止にできないものか」と嘆いたとされる。その気持ちは理解できるが、読解力以前に自分とは異なる様々な物の見方があるということを理解させることが問題である。

現実空間では高卒と政治や法律、経済、文化などについて真剣に議論することは少ない。しかし、インターネット上では学歴などの属性は見えない。そのために高卒的性質の持ち主と遭遇してしまうこともある。インターネット上での議論は救い難い低次元の応酬になりがちである。市民メディアでもコメント欄を閉鎖するなどの対応を余儀なくされた(林田力「市民メディアはコメント欄否定の先にある」PJニュース2010年8月10日)。

インターネット上での議論が低次元になる一因は、学説の多様さに触れず、学問的訓練を受けていない高卒的性質の持ち主が自己の属性を隠して堂々と活動できる点にあるかもしれない。

博士号

日本では博士号は担当教授のコネで推薦もらえば取得できる。要するに自己の研究室の教授に気に入られればいい。別に博士号とるのに「こうしなければいけない」というきまりがあるわけでもない。「論文出せば博士号あげるよ、でも気に入らない奴には出してもやらんよ」という世界である。

名門大学になると学閥等、色々あるから「どこどこの研究室の○○教授か、あの人なら私は知り合いだからいいところの仕事先に推薦してやろう」という感じである。そのようにしてパイプを作らないと伝統のある大学では教授にはなれない。比較的リベラルな大学、即ち学閥等に縁の薄いところは、別にそのようなしがらみはそれほど重要視されないから博士号がなくても教授になれるところもある。そのような大学の方が健全とも言える。

下落局面での現物株式投資では擬似信用売り

ギリシャの財政問題を発端に世界中で連鎖的な株安が起きている。日経平均株価(225種)の2010年5月7日の終値は前日比331円10銭安の1万364円59銭と大幅に下落した。

現物での株式投資家にとって下落傾向にある相場で利益を出すことは困難である。株式投資での利益の出し方は安く買って高く売ることに尽きる。現物取引の場合は購入が売却の先になる。購入後に株価が上がれば利益を出せる。しかし、下落した場合は上昇に転じるまで塩漬けにするか、損切りするかの何れかになる。

塩漬けにすれば計算上損失は出ていない。しかし、塩漬けにした分の投資資金は利用できない。ポートフォリオの大半が塩漬け銘柄になってしまったならば、資産運用できなくなる。株価が長期下落傾向にある場合は資産運用ができない状態が続いてしまう。

そこで損切りが重要になる。損切りの重要性は多くの書籍で強調されている。しかし、無原則な損切りを繰り返すならば、特に株価が下落傾向にある場合、損失を拡大させてしまう。

信用売りならば下落局面で利益を上げられる。信用で売却して、下落してから買い戻す。しかし、リスクの大きい信用取引まではしたくない投資家も多い。そこで塩漬け株式の救済策として、擬似的な信用売りがある。

株価の一層の下落が予想される場合、塩漬け株式を売却し、下落後に改めて購入する。税法上は先入先出法を採るため、売却によって過去に購入した株式の売却損を出したことになる。売却後の購入は過去の取引とは無関係の新規の購入となる。

しかし、自分の中での取引帳簿上は改めて購入した株式を売却したことにする。その差額は利益として計算しておく。このような売り買いを小まめに繰り返し、最初に購入した時まで株価が回復するのを待つ。これによって塩漬け中でありながら、取引を続けることができる。

この擬似的な信用売りを成功させるためには2つの前提が必要である。

第1に株価が下落するという見立てが正しいことが必要である。売却後に株価が上昇したならば、単なる失敗である。高値掴みの損切り下手に過ぎない。空売りで損する場合と同じパターンであり、避けなければならない。

この擬似的な信用売りは買戻しを前提とするため、最近の株価の中で相対的に高値の水準を指値として売却したくなる。しかし、そのような高値になった時は反転上昇するタイミングかもしれない。この場合、売却後に株価は一層の上昇を続け、突き抜けてしまう可能性がある。そのようになったら安く買い戻すことはできなくなる。

従って株価が真に下落傾向にあるのかを慎重に見極める必要がある。特に決算発表直前は発表後に株価が急騰することがあるため、要注意である。現実に売却後に株価が急上昇して悔しい思いをした経験がある。このリスクの低減策は一度に全ての塩漬け株を売却しないことである。

第2に擬似的な信用売りをする銘柄は、非常に長いスパンで見れば株価が回復する可能性があるものでなければならない。回復が不可能な銘柄ならば買戻しは新たな損失をもたらす。将来性はないものと諦めて早めに損切りするしかない。前述のとおり、売却後に株価が上昇し、擬似的な信用売りが失敗した経験があるが、それだけの回復力が当該銘柄に存在していたことになる。売却のタイミングを誤ったが、銘柄選びは正しかった。

最後に株価が急落しても大量の塩漬け株が生じない工夫も必要である。特定銘柄の株式を一度に買い付けるのではなく、日を分けて、または、価格を別にした複数の指値注文で購入する。これによって同じ銘柄の株式でも様々な購入価格のものが含まれることになる。株価が上がれば売却し、下がれば買い付けする。どちらに転んでも対応できるようにしておくことがリスクの対処法である。

楽天株にネット通販首位の根強さ

株式市場は相変わらず不安定である。百年に一度と形容される大暴落が起きた2008年以来、投資家の受難は続いている。記者の戦績も芳しくなかった。その中でコンスタントに利益を上げられた銘柄があった。それは楽天(JASDAQ:4755)である。

記者の取引スタイルは数日のスパンで売買するもので、スウィングトレードに近い。購入した株式は約定価格から数ティック上乗せして機械的に売却注文を出している。利益は確定して初めて利益であり、含み益には関心がない。もっと上昇するかもしれないという皮算用からホールドすることは少ない。その反面、余裕資金で投資しているため、含み損にも無頓着である。あまり損切りはせず、塩漬けのままにしている。

この方法は急騰する銘柄よりも、同じ価格帯で上がったり下がったりを繰り返す銘柄に向いている。一方で一時期のように株価が急激に下がる状態では利益を上げることは難しい。株価が上昇した場合は数ティック分の利益しか上げられない。一方、下落した場合は含み損が際限なく広がる。利益は小さく、損失は大きいため、トータルでは赤字になってしまいがちである。

記者の投資スタイルには改善の余地があるが、この方法でも利益を上げられた銘柄が楽天である。それは相場の下落傾向に左右されない楽天の安定性が要因である。楽天はショッピングモール「楽天市場」を運営する会社である。楽天の株価は60000万円台で推移している。1株が単位株になっているため、少ない資金で購入できるという魅力がある。一般的には東証一部に比べて取引量の少ないJASDAQ上場ながら取引は活発である。一日での値幅は1000円を越えることが多く、投資対象として相応しい。

この楽天の2008年の年初来高値、年初来安値、上場来安値は以下の通りであった。

・年初来高値 67,600円(08/05/07)
・年初来安値 39,950円(08/01/17)
・上場来安値 33,300円(07/07/23)

注目すべきは年初来安値が1月に起きていることである。9月のリーマン・ショックで年初来安値を更新することはなかった。その年初来安値も上場来安値を更新していない。リーマン・ショック後は40000円台に下がったものの、11月には50000円台に戻っている。

これは同じくIT企業で1株が単位株となっており、株価も近接していたヤフー(東証1部:4689)とは対照的である。

・年初来高値 55,400円(08/04/07)
・年初来安値 25,600円(08/10/10)
・上場来安値 25,600円(08/10/10)

2010年7月2日の終値もヤフーの35,300円に対し、楽天は64,600円と差をつけたままである。7月2日時点の楽天の年初来高値は74,300円(10/01/29)であり、リーマン・ショックの下落から回復している。

楽天は経営面では2008年12月期連結決算で保有するTBS株の評価損656億3700万円の特別損失計上などの不安材料も存在する。ライブドア事件のように歴史の浅いIT企業そのものに不安感を抱く向きもある。

しかし、ネット通販首位という楽天の本業はゆるぎない。ネット通販は消費者に商品・サービスを提供する一つの形態として定着している。決して電脳空間だけの虚業ではない。この点が楽天の株価を支えている要因と分析する。

日本のIT企業の草分け的存在はソフトバンクである。ソフトバンクの強さはソフトの流通を押さえたことであった。多くのITベンチャーがソフトの開発に力を入れた中で、異端の戦略であった。しかし、流通を押さえたことで、どのようなソフトが売れようとソフトバンクが利益を上げられる仕組みを構築できた。楽天には、これと似たような強みが感じられる。これからも楽天の株価には注目していきたい。

『チーズはどこへ消えた』変化は楽しむべきか

スペンサー・ジョンソン『チーズはどこへ消えた?Who Moved My Cheese?』は変化を楽しむことを推奨する大人向けの童話であり、啓蒙書である。出版当時は大きな話題になった。このような書籍が売れることは、変化が求められる今の日本にとって好ましいことと評価された。しかし、東日本大震災や福島第一原発事故に対する政府の無策を振り返ると、「悲惨な状況でも個人の頑張りで楽しんで克服しろ」と奴隷やロボット人間を量産するために書物にも悪用できてしまう。(林田力)

『投資戦略の発想法』確実に金持ちに

本書(木村剛『投資戦略の発想法』講談社、2001年)は、「ゆっくり確実に」金持ちになるための投資戦略のノウハウを紹介した書籍である。本書の出版時は『金持ち父さん貧乏父さん』が話題になっていた時期であり、日本版『金持ち父さん・貧乏父さん』と位置付けられた。実際、本書と『金持ち父さん』の目指す方向性は同一である。但し、『金持ち父さん』は良くも悪くも米国的で、日本で実践する上では難点もあった。これに対して本書は日本人に受け入れやすい内容になっている。(林田力)

第19回設計・製造ソリューション展開催

部門間の情報共有が鍵

リードエグジビションジャパン株式会社が主催する「第19回設計・製造ソリューション展」が2008年6月25日から27日まで東京ビッグサイトにて開催された。日本最大の製造業向けITソリューションの専門展と銘打つイベントである。第12回機械要素技術展と第16回産業用バーチャルリアリティ展も同時開催された、
このイベントは入場料を5000円と設定しているが、無料になる招待券が大量に配布されており、実際、無料で入場する人がほとんどである。イベント紹介チラシが無料招待券になっており、チラシを受け取ってイベントを知った人は全員無料で入場できることになる。
同時開催展を含めると、優に1000社を越える多数の企業が出展しており、とても全てを見て回れない規模である。本記事では「出展社による製品・技術PRセミナー」から2社を紹介したい。
第1にダイキン工業の「製品開発プロセス改善のユーザ事例ご紹介」である。ダイキンはエアコンのメーカーとして有名だが、製造業向けにSpaceFinderという設計開発プロセスを改善するソリューションも販売している。このソリューションを紹介するセミナーである。
SpaceFinderは設計から製造までの各工程・各部門のナレッジをデータベースに一元管理し、ワークフローや電子帳票で運用していくシステムである。これにより開発工程を見える化し、開発プロセスを改善していく。開発者の多くは資料探しや資料作成に少なからぬ時間をとられている。本製品によって、資料の芋ヅル式の検索や二次利用が可能になり、開発者の手間を大幅に減らすことが期待できるという。
第2に三井造船システム技研による「部品表を核とした生産準備の効率化」である。三井造船システム技研は製造業出身のシステムインテグレータならではの知識と経験で、製造業の顧客企業が抱えている問題を解決できることをアピールしている企業である。
生産準備のシステム化の狙いは、製品設計の完了時に生産準備もできている状態にすることにあるという。そのためには設計と生産準備を平行して進める必要があり、設計情報を早期入手できる環境を構築する。設計完了までに設計内容は変化していくが、それは部品表(Bills of Materials; BOM)の版管理で識別していく。
記者が思うに既にCAD(Computer Aided Design)などが普及している設計分野と比べ、生産準備領域ではシステム化のポテンシャルが高い分野といえる。しかし業務の特性上、生産技術や工程の知識が必要である。該社のような製造業系システムインテグレータは、業務知識に乏しい一般のインテグレータと比べ、大きなアドバンテージを有していると考える。
全体的に異なる部門間での情報共有の推進が鍵になっていると感じられた。記者は購入したマンションについて、販売時に不利益事実(隣地建て替えなど)が説明されていなかったために、売主の東急不動産(販売代理:東急リバブル)とトラブルになった経験がある(参照「東急不動産の遅過ぎたお詫び」)。
その時に強く感じたことは、担当者がコロコロ変わるのだが、横の連絡が全くできていないことであった。そのため、記者は以前と同じ説明を再度求められたり、以前の約束が反故にされたりと不誠実な対応を繰り返された。
「売ったら売りっぱなし」の販売姿勢ならば被害者に泣き寝入りさせるために意図的に行っている面もあるが、品質を重視する製造業の開発・生産工程で、そのような形で進められたならば手戻りが発生し、大変なことになる。日本の製造業の強さを支えるソリューションの意義について認識を新たにしたイベントであった。

半導体

老人の位置確認から爆撃の話が出てくるとは思いもしなかったた。技術者ならではの視点である。利用者の視点に立てば福祉と軍事は対極に位置するので、ビジネスの話には向いていない。私の意図としては、研究予算を獲得するというような会社にコストを負担させることを正当化する消極的な論理として応用分野を挙げた訳ではない。会社に新たな利益をもたらすために積極的に新たな利用分野を提案する必要があるのではないだろうか。会社の収益拡大に貢献しようという発想はないのだろうか。

機関投資家

投資先を選びたいならば株式を購入するのがベストである。企業の業績と運命を共にできる。小口の資金しかない一般消費者はそのようなリスクを負えないので、機関投資家に運用を任せるのが合理的な判断となる。機関投資家は集められた大量の資金を元に運用するから、個々人がバラバラに投資するのに比して規模の経済が働き、リスクを分散させたり情報コストを効率的に低下させることができる。証券の分野でも小口投資家のリスクを低下させる方法として投資信託が開発された。エンロン破綻で元本割れしたが、投資信託だから元本割れで済んだ。仮に直接エンロンの株式を購入したならば1円も戻ってこなかっただろう。今日の経済においてリスクヘッジは不可欠な機能となっている。