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林田力『東急不動産だまし売り裁判』芸能

市川海老蔵暴行事件は反社会的勢力との戦い

市川海老蔵の暴行事件で、関東連合系の元暴走族リーダーの代理人を務める藤本勝也弁護士(藤本法律会計事務所)は2010年12月16日に予定していた記者会見を急遽中止した。会場の混乱が避けられないことを理由とするが、額面通りに受け取る人は少ない。元暴走族側の過剰なパフォーマンスは、海老蔵が罠にはめられたとの印象を強める。
歌舞伎役者の海老蔵が顔などを殴られ、全治2ヶ月の重傷を負った事件は一大スキャンダルになった。本来ならば善悪は明確である。暴走族などの反社会的勢力との関係を指摘される人物が歌舞伎役者に重傷を負わせた。歌舞伎役者は命からがら逃げ帰り、所持品も失った。失った携帯電話を反社会的勢力が悪用する可能性も指摘されている。本来ならば反社会的勢力に対する恐怖をもたらす事件である。
海老蔵に道徳的に反省すべき点があるとしても、暴走族のような反社会的行為はしていない。それでもメディアは酒癖の悪さなど海老蔵を集中バッシングする傾向にあった。これには2つの理由が考えられる。
第一に酔っ払いへの嫌悪感である。酔っ払いに絡まれて嫌な思いをさせられた人間は少なくない。酔っ払い自身はいい気持ちになっているために始末が悪い。しかも、翌朝になれば、すっかり忘れてしまう。自分が不快感を与えた人間であるという自覚もない。酔っ払いに苦しめられた経験のある人々にとって、服を脱がし、土下座までさせた伊藤リオン容疑者の行為は、痛快でさえある。酔っ払いの酔いも一気に冷めたことであろう。
これまで後進的な日本社会は酔っ払いに対して寛容すぎた。酔っ払いに対して本気で怒ることは野暮であり、大目に見ることが度量というような愚かな発想さえある。酔っ払いに対しては、たとえ我慢できたとしても、あえて硬直的な態度をとって座を白けさせるくらいが適切である。その意味では酒癖の悪さをクローズアップして、人格批判するマスメディアの論調は日本社会の進歩と受け止めることもできる。
第二に意外性である。暴走族が人を殴ることは明らかに悪いことである。しかし、社会のダニとまで忌み嫌われている暴走族が悪事を働くことに意外感は少ない。それよりも伝統芸能の継承者であり、それこそ末は人間国宝とも考えられる梨園のプリンスの悪酔いの方がネタとしては興味深い。
以上のとおり、海老蔵へのバッシングにも理由があるが、それが一巡すれば元暴走族側の胡散臭さが浮き彫りになる。もともと藤本弁護士は12月11日に会見を行う予定であった。しかし、海老蔵に暴行を加えた伊藤リオン容疑者が10日に逮捕されたことを理由に16日に延期していた。
その会見を今度は、大勢の記者が殺到して会場に入りきれず、混乱するという容易に想像できる理由で再延期した。ここからは会見を交渉のカードとして利用しているように推測できる。実際、会見延期を報じるネット記事には以下のコメントが寄せられた。
「裏の交渉がまとまらなかったのですね。」
「(会場が)狭い理由以外に間違いなく裏事情があるな。」
「本当の都合は、1円でも多く搾り取るための都合でしょ?」
「うまい金づるになると見込んで海老蔵側の動揺を誘うために大したネタもないのに会見を発表したけれど、予想外の海老蔵側の強気の態度に当てが外れてしまった?」
「弁護士も彼らのグルだろ。品格が全くないもん。」
もともと元暴走族側は裏交渉での示談を求めていると見られていた。元暴走族側の被害届提出への言及も、海老蔵への揺さぶりの一環とされる。元暴走族が海老蔵に負傷させられた証拠となる診断書にも疑問がある。診断書を書いた高木繁・統合的癌治療専門エイルクリニック院長は外科ではなく、ガンの専門医である。
高木氏は「末期ガンにキノコが効く」などと主張する異色の医者である(高木繁『最強・最速の抗ガンキノコメシマコブ―あなたの免疫力を最強にする驚異のキノコの神秘!』サクセスマーケティング、2003年)。元暴走族は何故、わざわざガン専門医に受診したのだろうか。
元暴走族側の怪しさを知る上で、16日に発売された週刊文春2010年12月23日号の記事「海老蔵 vs 伊藤リオン容疑者『スキャンダル・バトル』」は興味深い。記事では海老蔵に負傷させられたと主張する元暴走族は事件後に飲み歩いているとする。また、高木氏についても様々な情報を掲載する(「診断書を書いた医師はあいはら友子夫『末期がんにキノコがきく』」)。
極めつけは関東連合系の暴走族ブラックエンペラーの幹部であったとする金崎浩之弁護士(弁護士法人アヴァンセ)のコメントである。そこでは「海老蔵にとっても示談はメリット」とし、「被害届を取り下げた方が双方にメリットがあるが、海老蔵側が意固地になっている」と分析する。金崎氏は中立的な識者としてコメントしたような装いだが、内容は暴走族側の本音の代弁にしか読めない。
金崎氏はテレビ番組にもコメンテータとして出演し、「海老蔵の経歴に傷が付くのは、困るでしょう」などと主張した。インターネット掲示板では「テレビで関東連合の思惑を語った弁護士」と受け止められ、「海老蔵事件関係の関東連合系人物相関図」にも名前が載った。少なくともメディアが金崎氏のコメントを求めた理由は、金崎氏が元暴走族という経歴を売りにしているためである。海老蔵事件が暴走族など反社会的勢力出身者の特需になっているという嘆かわしい現実がある。
この状況で海老蔵が被害届を取り下げて、示談で済ませたならば、反社会的勢力の無法を許すことになる。海老蔵が暴走族に屈服したという印象を世間に与える方がダメージである。そのために民事介入暴力の専門家・深澤直之弁護士を海老蔵の代理人とした意味がある。
反社会的勢力に弱みを見せれば、成田屋は恐喝され続け、骨までしゃぶられる。同じ伝統芸能の大相撲でも反社会的勢力との癒着が厳しく糾弾された。興行にはヤクザがつきものという考えもあるが、それは伝統的な任侠を念頭に置いたもので、暴走族やチンピラは有害無益である。
海老蔵事件は六本木に巣食う闇組織の実態を明らかにし、壊滅させるチャンスになる。それに貢献することが海老蔵にできる最大の善行である。

被害届出し渋りで底が見えた海老蔵事件の元暴走族

歌舞伎役者・市川海老蔵の暴行事件で、海老蔵と一緒にいたとされる関東連合系の元暴走族リーダーは被害届を提出しない意向であると2010年12月17日に報道された。海老蔵への反撃とされた記者会見の延期に続いての尻すぼみである。記者会見のヤルヤル詐欺に加え、被害届を出す出す詐欺のようなもので、元暴走族の底が見えた展開である。
そもそも代理人の藤本勝也弁護士(藤本法律会計事務所)が「被害届を持っている」と説明すること自体がおかしい。持っているならば警察に提出すればよい。被害届は寝かせておくような性質の文書ではない。事件を有耶無耶にし、あわよくば海老蔵から示談金を巻き上げるための脅しと見られても、仕方がない。
荒木飛呂彦のマンガ『ジョジョの奇妙な冒険』ではギャングの名台詞に「『ブッ殺した』なら、使ってもいい」というものがある。本物のギャングの世界では「ブッ殺す」という言葉を使うことはない。何故ならば「ブッ殺す」と思った時は既に行動が終わっているためである。この点で元暴走族の言動はギャングの風上にも置けないものである。
そもそも元暴走族が闇世界の住人ならば、酔い潰れて、歌舞伎役者に好きなようにされたこと自体が恥である。泥酔した素人に負傷までさせられたならば、闇世界の笑い者である。その被害届を警察に提出するならば、闇世界の住人から総スカンを食らうことになる。
結局のところ、強硬姿勢は示談を求めるシグナルに過ぎないとされるが、海老蔵には示談に応じるメリットはない。暴走族出身の金崎浩之弁護士(弁護士法人アヴァンセ)は「示談は海老蔵にもメリット」とコメントするが、暴走族側の思惑の代弁にしか見えない(林田力「市川海老蔵暴行事件は反社会的勢力との戦い(下)」PJニュース2010年12月17日)。
そもそも海老蔵が相手の土俵に乗らなければならない理由はない。日本では相手の強硬姿勢の中に隠されたシグナルを読み取ることが交渉巧者とする愚かしい発想があるが、威張る人間を付け上がらせるだけである。むしろ強硬姿勢に対しては額面通り受け止めて硬直的な対応で返すことが正当である。
冷静に考えれば、海老蔵にとって被害届提出は恐れることではない。叩けばホコリが出る体は海老蔵ではなく、元暴走族である。被害者を主張すれば当事者としてクローズアップされる。海老蔵側にとっては逆襲のチャンスである。
海老蔵の酒癖の悪さは周知のことであり、これまでも様々な人が見聞きしている。だからこそ海老蔵へのバッシングが大きくなった。示談で元暴走族を口止めして済む問題ではない。海老蔵としては芸で勝負すると開き直るか、反省して態度を改めるかしかない。暴走族との取引は無意味である。

海老蔵バッシングの嘘で明らかになる六本木の闇

歌舞伎役者の市川海老蔵が暴行された事件で、逮捕された伊藤リオン容疑者が「海老増さんは元暴走族リーダーを殴っていない」と供述していると2010年12月24日に報道された。海老蔵が暴走族などの反社会的勢力の被害者である様相が一層強まった。
これまでは海老蔵が灰皿で元暴走族を殴ったなどと面白おかしく報道されていた。暴走族出身の金崎浩之弁護士(弁護士法人アヴァンセ)などは「海老蔵の経歴に傷が付くのは、困るでしょう」と、海老蔵の暴行を前提としてコメントした(林田力「市川海老蔵暴行事件は反社会的勢力との戦い(下)」PJニュース2010年12月17日)。
しかし、海老蔵の暴力は暴走族側のプロパガンダに過ぎなかったことになる。事件のあった店も元暴走族グループとの関係を指摘されており、店員が口裏を合わせて海老蔵に不利な証言をする可能性も考慮すべきであった。今後は「灰皿にテキーラ」などの批判的検証も必要である。
善悪を脇に置くならば、暴走族側のプロパガンダは巧妙であった。どう見ても胡散臭い暴走族出身者の言い分をマスメディアが垂れ流したことは不思議である。プロパガンダと言えば国家の情報機関を連想するが、最近では情報機関がマフィアなどの反社会的勢力と収益活動で共同歩調をとる傾向があると指摘される(北芝健「スパイ活動の実態」安全保障と危機管理14巻、2010年、5頁)。それが現実化したような情報操作であった。
海老蔵は危うく嵌められるところであったが、六本木界隈では有名人の不祥事が相次いでいる。横綱・朝青龍は2010年1月に深夜に泥酔して暴行事件を起こしたとされる。但し、本人は殴ったことを否定している。また、SMAPの草なぎ剛は2009年4月に六本木の隣の赤坂の檜町公園で泥酔して全裸で騒ぎ、現行犯逮捕された。
海老蔵事件と朝青龍事件の共通点は、トラブル相手に裏社会とのつながりが指摘されることである。朝青龍が暴行したとされる人物と、海老蔵事件の元暴走族グループの人的なつながりも指摘されている。
これに対し、草なぎ事件では他者とのトラブルは起きていない。しかし、事件前まで居酒屋で一緒に飲んでいた相手については不自然な変遷が見られた。「一人で居酒屋に行った」「知人女性」「店の従業員」などである。当時は恋愛スキャンダルを避けるために知人女性を隠していると分析されていた。しかし、もし暴走族などアイドルが交友するに相応しくない人物と一緒にいたならば、やはり事務所は隠そうとするだろう。
三人の共通点は事件当時の記憶を失っている点である。海老蔵は12月7日の記者会見で「はっきり覚えていない」と答えた。朝青龍事件でも師匠の高砂親方が「酔っていて覚えてない」と説明した。草なぎも「何で裸になったのかは覚えていない」と語っている。
これらは政治家の「記憶にございません」と同じく、都合の悪い事実を誤魔化す卑怯な言い訳に聞こえる。三人とも酒好きとして知られている。アルコールに免疫のない人ならば兎も角、深酒で記憶をなくすことは現実味が乏しい。しかし、六本木の現実を踏まえれば本当に記憶をなくしていた可能性もある。
実は世界では六本木は危険地帯と認識されている。外国人客の酒に薬物を混入して意識を失わせ、所持品の窃取やクレジットカードへの高額請求などの犯罪が相次いでいるためである。米国や英国、オーストラリアの大使館が自国民に警戒を呼びかけている。米国大使館では職員にも六本木のバーやクラブへ行かないように勧めている。犯罪組織にとっては有名人も良いカモである。有名人にはリスク管理が求められる。

男になれなかった市川海老蔵

歌舞伎役者の市川海老蔵が2010年12月28日に東京都内のホテルで会見を開き、東京地検に傷害罪で起訴された伊藤リオン被告との間に示談が成立したことを説明した。暴走族などの反社会的勢力と徹底的に戦うと見られていた中での示談成立は海老蔵のイメージダウンになった。
記者会見では海老蔵は自身の酒癖の悪さが原因と反省した。確かに海老蔵には反省すべき点が多い。そもそも元暴走族のような人物と一緒に酒を飲むこと自体が問題であった。しかし、それで左上顎骨粉砕陥没骨折や視覚障害などの重傷を負うことを甘受しなければならない理由にはない。血まみれとなり、殺されていたかもしれない事件である。
そして落ち度があるという相手の罪悪感につけ込み、不当な要求を押し通すことは反社会的勢力の常套手段である。海老蔵の酒癖よりも、六本木に巣食う反社会的勢力の無法の方が大きな問題である。だからこそ民事介入暴力の専門家・深澤直之弁護士(右田・深澤法律事務所)を代理人とした意味がある。父親の市川團十郎も21日に「一切しておりません」と示談交渉を明確に否定していた。その直後に前言と矛盾する示談成立は成田屋への信用を失墜させる。
実際、ネットでは示談成立に対して海老蔵が屈服したとの見方が圧倒的である。金銭の授受はないというが、実際は海老蔵側が元暴走族に支払ったのではないかとの推測がなされている。少なくとも海老蔵は東京地検に公判請求を望まないことを上申するとしており、殴られ損である。
海老蔵が示談に応じた要因として、海老蔵が元暴走族リーダーT・Iに暴行した可能性がある。海老蔵は会見で「私は暴力をふるった記憶がございません。しかし客観的に証明できない。」と説明した。しかし、元暴走族の主張は変遷している。「ステンレス製の灰皿で殴られた」から「頭がぶつかった」「乱暴な介抱を受けた」にトーンダウンした。そもそも示談要求に屈するような海老蔵が、元暴走族の集団に囲まれた状況で、そのリーダーを殴ったという状況は現実味に欠ける。
むしろ、マスメディアの報道姿勢が成田屋を示談に追い込む無言の圧力になった。海老蔵は裸で土下座する写真を撮影され、携帯電話など所持品を奪われたと報道された。そして土下座写真の流出や、携帯電話に記録されている情報が悪用される可能性も報道された。このような卑劣な行為は、典型的な反社会的勢力の脅しの手口である。しかし、マスメディアの報道には卑劣な脅しに対する弾劾的な論調は見られなかった。反対に海老蔵の不幸を密の味とする報道姿勢であった。
また、海老蔵がタクシー代を値切ったという報道も悪意に満ちたものであった。海老蔵は上着も所持品も全てを失った上、ステテコ姿で逃走したとされる。この状態では財布も持っておらず、海老蔵はタクシー代を払いたくても払えない状況であったと考える方が自然である。
これに対して、伊藤リオン容疑者には不自然な持ち上げ報道がなされた。伊藤容疑者に息子を殺害された父親に「芯から悪い人間じゃないと思いますよ」とまで語らせた(「リオン容疑者らに息子殺された父「リオンは筋の通ったワル」」女性セブン2011年1月6・13日号)。伊藤容疑者は他の襲撃犯と異なり、500万円の損害賠償を支払ったとされるが、数百万円を支払った程度で評価されたならば殺された息子も浮かばれないだろう。
さらに関東連合系の暴走族出身の金崎浩之弁護士(弁護士法人アヴァンセ)を識者として登場させ、「被害届を取り下げた方が双方にメリットがあるが、海老蔵側が意固地になっている」とコメントさせた(林田力「市川海老蔵暴行事件は反社会的勢力との戦い(下)」PJニュース2010年12月17日)。
これらの海老蔵に厳しく暴走族側に甘い報道姿勢が、示談に持ち込ませようとする勢力に加担する結果となった。
反社会的勢力にとって示談は大きな収穫である。叩きのめされても、泣き寝入りするしかないという現実を見せ付けた。恐ろしいイメージを世間に浸透できただけでも組織にとって勲章である。反社会的勢力の被害者になる可能性のある一般の人々のためにも海老蔵は徹底的に戦うべきであった。
歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の名台詞に「天河屋の義平は男でござる」というものがある。天河屋義平は討ち入りの武器調達役であったが、捕り手に怪しまれて脅迫される。それでも口を割らず、上記の啖呵を切って、赤穂義士の秘密を守り通した。これが歌舞伎の語源となった「かぶき者」の心意気である。
海老蔵が徹底的に反社会的勢力と戦えば、身をもって「かぶき者」の心意気を示すことになった。この事件を基に新たな歌舞伎作品が生まれたかもしれない。海老蔵の酒癖が悪く、言動に問題があったことは周知のことであり、いまさら取り繕うことは不可能である。海老蔵にとって最後の拠り所が反社会的勢力との戦いである。それを捨てたことで成田屋が失ったものは大きい。
男になれなかった市川海老蔵と対照的に妻の小林麻央の対応は常識的であった。事件が発覚し、六本木に巣食う反社会的勢力の存在が明らかになった発端は、麻央が血だらけで帰宅した海老蔵に驚いて110番通報したことである。海老蔵は麻央の通報で大きく救われている。
マスメディアは通報した麻央もバッシングした。麻央の通報によって事件は公になり、海老蔵は興行の無期限謹慎やコマーシャル打ち切りなど大打撃を受けたためである。麻央は梨園の常識を知らないとまで叩かれた。
しかし、海老蔵は手術が必要なほどの大怪我であり、どちらにしても興行に支障がでる。何事もなかったことにすることは不可能である。海老蔵は2007年に風呂場で転倒し、大阪松竹座「七月大歌舞伎」を降板したことがある。世間の常識とは別に梨園の常識というものがあるならば、この時も何かあったのではないかと勘繰りたくなる。
海老蔵自身は命からがら逃げ回りながらも、警察に駆け込むことはなかった。しかし、これは麻央の通報が差し出口ということにはならない。追われている当人は警察に駆け込むという発想自体が中々出てこないものである。本人ができないことを代わりに行うことは配偶者の立派な役割である。
また、泥酔した本人が通報するよりも、冷静な麻央が通報した方が警察も的確に対応できる。マスメディアからはバッシングされているものの、警察の扱いでは海老蔵は被害者である。ここには麻央の迅速な通報の影響もあるだろう。
より重要な点は成田屋としては公にしたくないと考えたとしても、それを相手が許すかは別問題であるということである。元暴走族リーダーは海老蔵に負傷させられた被害者であると主張している。もし海老蔵側が通報しなかったならば、酒癖の悪い海老蔵が暴力を振るった一方的な加害者というイメージが作られた危険もある。
その結果、同じ六本木での暴行事件で引退に追い込まれた大相撲の朝青龍と同じような運命を辿りかねない。朝青龍事件ではマネージャーを被害者に仕立て上げるなど朝青龍側の隠蔽工作が致命傷になった。これに対して海老蔵事件は大々的に注目されたからこそ、元暴走族側の攻撃も、弁護士を代理人とし、記者会見や被害届提出で揺さぶるという表舞台のものになった。
しかし、反社会的勢力にとって表舞台の戦いはアウェーである。インターネットでは元暴走族リーダーの本名や過去の素行が明らかにされ、記者会見など表舞台に出たならば大々的に告発しようと待ち構えている状況であった。それもあって記者会見はヤルヤル詐欺、被害届は出す出す詐欺に終わった。海老蔵側は有利な戦いができる立ち位置にいたが、それを可能にした出発点が麻央の迅速な通報であった。
麻央は救急車を呼ぼうとしたが、気が動転して119番ではなく、110番通報してしまったとされる。これは梨園の妻としての自覚に欠けるとバッシングされる理由になった。しかし、めったなことでは警察に通報しないというような「常識」が梨園にあるならば、「警察に通報することが当然」との正論で戦うよりも、間違って110番したと言い訳する方が梨園の風当たりは弱くなる。
決して自らの功績を誇らず、夫と一緒に批判される。意外にも麻央は梨園の妻の役割を立派に果たしていた。しかし、徹底抗戦と見られていた成田屋も最後は示談で妥協した。唯一常識的な対応をした麻央への風当たりが強くならないか懸念される。

市川海老蔵暴行の伊藤リオン実刑判決は痛み分け

未曽有の被害をもたらしている東日本大震災によって、すっかり霞んでしまったが、市川海老蔵暴行事件の刑事事件判決が2011年3月14日に東京地裁で言い渡された。加害者の伊藤リオン被告人と被害者の歌舞伎役者・市川海老蔵の双方にとって痛み分けとなる判決であった。
伊藤被告人は東京都港区で海老蔵に重傷を負わせたとして、傷害罪で逮捕・起訴された。板野俊哉裁判官は、伊藤被告人の暴行を被害者が死亡する可能性がある危険な犯行と結論付けた。被害者は相当量の出血があり、死亡の可能性もあった。腕のしびれなど後遺症の可能性もあり結果は重大である。従って、被告人の刑事責任は重いとして、懲役2年の求刑に対し、懲役1年4か月の実刑判決を言い渡した。また、傷害事件の再犯者で粗暴癖のある伊藤被告人は重ねての再犯も否定できないとして、執行猶予を付さなかった。
伊藤被告人は判決を不服として控訴したが、この判決は被害者の海老蔵にとっても厳しい面を有している。判決では被害者側の行動が事件を誘引したと、海老蔵側の問題点が認定されたためである。
海老蔵は2010年末に暴走族の元リーダー及び伊藤被告人の各々と示談した。そこでは「元リーダーの(主張する)傷害の原因究明は行わない」「相互に誹謗中傷を行わない」と約された。ところが、公判では伊藤被告人の弁護側も、証人として証言した元リーダーも海老蔵の酒癖の悪さが事件の原因であると攻撃した。海老蔵が灰皿に酒を入れて飲めと強要した、元リーダーに頭突きしたなどである。
これには海老蔵の父の市川團十郎が激怒した。「あちらから示談の話があって示談が成立したのに、一方的な見解を述べられた」と憤る。暴走族側の主張を垂れ流すようなマスメディアの姿勢に対しても、團十郎は「あちらの元暴走族の方の人権は重くて、我々の人権は軽いのか」と疑問視する。記者も暴走族の反社会性を棚に上げて海老蔵をバッシングするマスメディアの報道姿勢は不正義と考える(林田力「市川海老蔵暴行事件は反社会的勢力との戦い(下)」PJニュース2010年12月17日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20101217_2
一方で暴走族と歌舞伎役者の人権を比較する團十郎の論理に、海老蔵が非難されるべき理由が隠されている。善良な市民の静穏な生活を妨げ、社会に迷惑を及ぼす暴走族に対し、伝統文化の担い手である市川宗家の人間が矜持を持つことは当然である。その御曹司が元暴走族グループと一緒に酒を飲んでいた。このような元暴走族との関係こそ海老蔵が非難されるべき点である。

歌舞伎界は市川海老蔵を批判できるのか

歌舞伎俳優の市川海老蔵が暴行を受けた事件の話題が止まらない。トラブル相手が暴走族などの反社会的集団との関係を指摘されながら、全治2ヶ月の重傷を負った海老蔵への同情は驚くほど乏しい。海老蔵だけでなく、妻の小林麻央までも梨園の妻として無自覚などとバッシングされている。海老蔵が麻央に贈ったダイヤモンドの婚約指輪の輸入消費税の未納疑惑まで登場し、泣き面に蜂である。
海老蔵が同情されない理由は、以前から酒乱癖や私生活の乱れが悪名高かったためである。そこには幼少時からの厳しい稽古や伝統の重圧への反発があったとされる。しかし、歌舞伎界自身に伝統を破壊する矛盾がある。
日本の中心的な歌舞伎劇場と言えば、東京都中央区の歌舞伎座であった。伝統を感じさせる破風屋根の桃山様式風の建物は歌舞伎のシンボルであった。国の登録有形文化財に指定され、東京の観光名所にもなっていた。
歌舞伎座は海老蔵にとっても思い出深い劇場である。1983年に『源氏物語』の春宮役で初お目見得し、1985年には『外郎売』の貴甘坊役で七代目市川新之助を襲名した。2004年には『助六由縁江戸桜』の助六役などで十一代目市川海老蔵を襲名した。
その歌舞伎座は4月30日で閉館し、現在は既存建物が完全に解体され、建て替え工事中である。建て替え後の歌舞伎座の建物は地上29階地下4階、高さ150メートルの超高層ビルになる。劇場の入る低層階は唐破風など現在の建物のイメージを継承するものの、墓石のような高層ビルが張り付くならば風情が台無しである。劇場部分についても、ガラスを多用し、細部の装飾を省略するなど、元の建物とは似て非なる要素が強い。
高層階がオフィスとなる点もハレの場である歌舞伎の非日常性とは相容れない。高層ビルへの建て替えは都市再生特別地区として容積率が緩和されることで可能となっており、建て替えは不動産ビジネスとしての側面が強い。
伝統的な建築物の維持・保存よりも不動産ビジネスという利権を優先しながら、役者や妻には役者や梨園の妻としての自覚を要求する。これは体質的な腐敗が指摘されながら、朝青龍には品格を要求した相撲協会と重なる。
以前から海老蔵の言動に問題があったことは確かである。一方で、これまでは大きな問題は起きていなかった。ここからは二通りの見方が成り立つ。第一に今回の事件は何時起きてもおかしくなかったとする見方である。第二に海老蔵の乱れがエスカレートして今回の事件となったとする見方である。前者の見方が優勢であるが、自らを育てた劇場が不動産ビジネス優先の建物に建て替えられてしまうことの空虚感が海老蔵を暴走させたと見ることもできる。

日本人の謝罪の醜さ

日本人には真摯に反省するよりも、過去を水に流してしまう傾向が指摘される。そのために日本人の謝罪は口先だけの不誠実なものになりがちである。ここでは2011年1月までに明らかになった二件の謝罪事例を紹介する。
第一に歌舞伎役者の市川海老蔵に対する暴行傷害事件での伊藤リオン被告と海老蔵の示談内容である。伊藤被告は「心から深く陳謝する」としているが、その直後に海老蔵が「伊藤リオンが真摯に反省し謝罪を表明していることを評価して、伊藤リオンを宥恕」するとしている。ここでは謝罪と被害者の許しがセットになっている。
示談が交渉によってなされたという現実を踏まえれば、被害者の許しを条件に陳謝したことになる。悪いことをしたと自覚した上での謝罪とは程遠い。
第二にバンクーバー冬季五輪のフィギュアスケート女子で金メダルを獲得したキム・ヨナの練習を盗撮したテレビ番組の謝罪である。日本テレビの番組「真相報道バンキシャ!」ではロサンゼルスでのキム・ヨナの練習を隠し撮りした映像を2010年12月26日に放映し、キム・ヨナ側から抗議を受けていた。韓国では「スパイ行為」と批判され、米国でも報道されるなど、日本テレビは国際的に批判を浴びた。
当初は「取材に問題はない」と突っぱねていた日本テレビも最終的にはキム・ヨナのマネジメント会社・オールザットスポーツに謝罪した。そこでは「事前の承認を得ずに撮影したことを認め、深く謝罪します。」と表明するが、続けて以下の文章を記している。
「オールザットスポーツとキム・ヨナ選手が、私たちの謝罪を受け入れてくれることを願います。」
ここでも謝罪文の中で被害者側が謝罪を受け入れることを求めている。謝罪すべきことをしたならば謝罪することは当然である。相手が受け入れるか否かは関係ない。
相手が受け入れるから謝罪する、受け入れなければ謝罪しないというものではない。ところが、倫理観の希薄な日本人は悪辣な加害者であっても態度を改めて謝罪したならば、被害者側も歩み寄ることを要求する。そこから謝り損という愚かしい発想も生まれる(林田力「韓国併合首相談話に謝り損を考える愚(下)」PJニュース2010年9月2日)。
新年早々相次いで醜い謝罪に接して暗澹たる気持ちである。

柴田英嗣の復帰でアンタッチャブルは復活するか

無期限休業から復帰したばかりのアンタッチャブルの柴田英嗣が1月14日に1年ぶりに自身のブログ「アンタッチャブル柴田英嗣の平穏な僕」を更新した。前日の13日に「柴田英嗣より」と題する記事を掲載し、翌日のブログ更新を予告したために関心を集めたが、内容は肩透かしであった。
14日に掲載した記事「みなさまへ」は「柴田英嗣、元気に復活でごさいます。休んでいた分、休む前よりも皆さんに感謝し、何よりパワフルに頑張りたいと思います。」と宣言する。しかし、様々な憶測を呼んだ休養の理由は言及されなかった。また、14日は相方の山崎弘也の誕生日でもあったが、それにも触れなかった。
一方、山崎も14日に自己の公式ブログに記事「今日は何の日?フッフーン♪」を掲載した。2010年に入ってからは1月4日に続く、2度目の更新である。こちらも「本日は年に一度のザキヤマ生誕祭です」と自己の誕生日の話題で、柴田については触れなかった。柴田の復帰でアンタッチャブルとしての活動が復活するのか気になるところである。
柴田の休業中に山崎はピンのタレントとして仕事をこなしている。ニックネームのザキヤマも知れ渡り、冠番組「流行モノ乗っかりバラエティ ザキヤマが来るーッ!!」も放送を開始した。もともとアンタッチャブルの漫才やコントは山崎の非常識な言動が笑いの要素である。どこかに存在しそうな分からず屋のオヤジを演じるのが上手い。それに柴田が半分切れながらツッコミを入れることでテンポよく話が進み、爆笑の連続を誘う。
この点では面白いのは山崎であって、山崎がピンでも笑いをとれたことは当然でもある。一方で間断なくボケる山崎に対し、「何か邪魔」(宮迫博之)という評もある。ここにボケを巧みに交通整理するツッコミの価値がある。確かに山崎は面白いが、柴田のツッコミが山崎のボケを一層引き立てる。改めてアンタッチャブルの漫才やコントを観てみたい。

『キングオブコント2010』はキングオブコメディが王道で勝利

『キングオブコント2010』決勝戦が2010年9月23日に行われ、キングオブコメディが優勝した。
キングオブコメディが2ndステージ(最終ステージ)で披露したコントはオーソドックスな設定ながらも最後にヒネリを効かせた王道的展開で、優勝者に相応しいパフォーマンスであった。自動車教習所の教官(高橋健)と教習生(今野浩喜)のコントで、教官の指示に教習生がボケ倒す。コントの設定としてありがちであるが、会話のテンポが良く、笑いが満載である。
教官も教習生のボケに突っ込むだけでなく、教習生を減点するなど教官としての任務を真面目に遂行している。ボケに対する常識的な反応が一層の笑いを誘う。笑わせることを意図した行動だから笑えるのではなく、当人は大真面目だからこそ観客は爆笑できる。
教習生のボケが続けたコントであったが、最後はデタラメな言動をしていた教習生の運転技量が中々のものだったというサプライズで締めくくる。これによって観客に強い印象が残される。コントにしても漫才にしても観ている時は面白かったが、観終わって時間が経つと思い出せないネタも少なくない。掛け合いが面白くても、ストーリーとして記憶に残らないためである。この点でキングオブコメディのコントは秀逸である。
最後のサプライズという点ではキングオブコメディに惜敗したピースも、いい味を出していた。ピースが2ndステージで披露したコントはハンサム男爵(綾部祐二)と下僕の化け物(又吉直樹)による原宿見物の話である。ハンサム男爵は化け物の甘えに弱く、文句を言いながらも許してしまう。化け物が東京見物するという非日常的な設定ながら、素直に入り込めるネタである。
ここでは衣装に隠された小道具をサプライズとした点で、小道具が使えるコントならではの味を出していた。しかし、サプライズの性質は格好の奇抜さに負っている。変な姿形で笑わせることよりも、芸で魅せることが笑いの王道である。実際、たこ焼き屋店長(やついいちろう)の顔芸を前面に出したエレキコミックのコントは低評価であった。
その意味でキングオブコメディに軍配が上がる。ピースの方が2ndステージのみの得点は高いため、キングオブコメディは総合力で優勝した形である。しかし、日常的設定でストーリー上のサプライズも用意したキングオブコメディは2ndステージのコントだけでも王者に相応しい。

『キングオブコント2011』トリオの力でロバートが圧勝

『キングオブコント2011』決勝戦が2011年9月23日に開催され、お笑いトリオ・ロバートが優勝した。『キングオブコント』決勝戦では2回のネタ披露の合計点で順位を決めるが、ロバートは2回とも首位を獲得し、安定感のある優勝となった。
コントは漫才と異なり、小道具・照明・音響と様々な要素をプロデュースする総合的な勝負である。決勝戦に残ったファイナリストはトップリード、TKO、ロバート、ラブレターズ、2700、モンスターエンジン、鬼ヶ島、インパルスの8組。彼らが披露するネタを準決勝進出者(セミファイナリスト)の100人が採点する。司会はダウンタウンである。
トップリードは、タクシードライバーと乗客のネタを披露した。歩道橋から落とされた書類を取る動作が秀逸である。笑いの中にも人情味のあるハートフルな話であった。
TKOはマジシャンとアシスタントのマジックショーの反省会のネタである。マジックショーを振り返る形であり、間が空いてしまった点が惜しまれる。
ロバートが披露したネタは役者への楽屋取材話である。秋山竜次の憎々しさが全開のロバートらしい安定したネタが942点という圧倒的な高得点を弾き出した。
ラブレターズは中学校の卒業式のネタで、ラップ風校歌を披露した。演じ終わった後には「感動しました。こんな緊張ないですよ。」と発言した。
2700はリズム系コントを披露した。演じ終わった後は「メロディーラインを意識した」と歌手のようなコメントを残した。
モンスターエンジンは、アクションヒーロー物のネタである。「何が面白いか分からない」と賛否が分かれるところであるが、高得点であった。
鬼ヶ島は学園もののネタを披露した。演じ終わった後は「これほど大きな会場で演じたことは初めて」と興奮していた。まだ十分に稼げていない鬼ヶ島は家賃を滞納しているが、良心的な大家の下で支払い計画を立てていると紹介された。ゼロゼロ物件や追い出し屋など賃借人を食い物にする貧困ビジネスが横行する中で心温まるエピソードである。
インパルスは、釈放が決まった囚人のネタを披露する。ダメ男に惹かれる女性心理と重ね合わせる心理描写が秀逸である。オチが常識的結論で終わったところが惜しまれる。演じ終わった後に板倉は「ロバートの高得点に腹を立てた」と述べた。
最終ステージはファーストステージで低得点の組からネタを披露する。トップリードは話の先を読む不動産営業のネタである。相変わらずテンポがよい。冒頭の言動がオチにつながっており、話が練り込まれている。
TKOは、裏口入学交渉のネタである。「私は働くのが嫌いだ」と言い切るダメ人間ぶりが笑える。
ラブレターズは日本史の追試験のネタである。
インパルスは採用の面接である。板倉俊之の常識外の言動に、常識的な堤下敦が振り回される展開がインパルスの王道である。しかし、今回は堤下が非常識となり、趣を変えた。
モンスターエンジンはアトラクションのアルバイトの話である。先輩が新人にダメ出しするが、最後は新人がブチ切れするという逆転劇が用意されていた。
鬼ヶ島は中学校を舞台とした転校生ネタである。ファーストステージと類似テーマであるが、趣を変えている。しかし、結局は転校生の濃いキャラで笑いをとっている。人力舎三連覇なるか。
2700は「キリンスマッシュorキリンレシーブ」のリズム系ネタである。司会の松本人志が「おじいちゃん、おばあちゃん無視だな」とコメントするほどシュールなネタであった。演者自身が「これをやっていて何が面白いか分からない」と語るほどで、「せめて、打ち上げまで言うな」と突っ込まれていた。
しかし、得点は925点と高得点であった。『キングオブコント』では審査される側の芸人が審査員になるという独特の審査システムを採用している。そのためか一般受けしそうになりシュールなネタが意外な高得点を獲得していた。
最後のロバートのネタは点数では934点と1本目に劣るものの、ロバートの優勝に文句を付けられないものとした。2本目は自動車修理工場のネタである。山本博が自動車の修理を依頼した顧客、馬場裕之が自動車工場の社長、秋山竜次が「おしゃべりのシゲ」と呼ばれる従業員である。山本が秋山の暴走に振り回される点は他のロバートのネタと同じであるが、ラストでは山本と馬場のポジションが逆転する。
1本目のネタでは秋山のキャラが突出し、馬場は秋山のアクセサリー的存在に過ぎなかった。これに対して最後に攻守を逆転させた2本目はトリオの醍醐味を出している。それはストーリーにアクセントを付け、同じパターンの繰り返しによるマンネリ化の回避にもなる。
この攻守逆転の面白さは惜しくも3位になったモンスターエンジンの2本目のネタとも共通する。さらに結末の逆転という点では前回の『キングオブコント2010』で優勝したキングオブコメディも同じである。キングオブコメディが前回2本目に披露したネタは自動車教習所の教官と教習生のコントで、教官の指示に教習生がボケ倒すというオーソドックスなものであった。ところが、ラストはデタラメな言動をしていた教習生の運転技量が中々のものだったというサプライズとなった。
優勝したロバートは「悔しい思いがあったので、嬉しい」と素直に喜びを表明した。
(林田力)

『M-1グランプリ』に見るツッコミの衰退

漫才日本一を決める『M-1グランプリ』が2010年12月26日で10年の幕を閉じた。テレビ朝日で開催された『M-1グランプリ2010』決勝戦ではツッコミの衰退を印象付け、ボケとツッコミという固定観念を破る漫才の新時代を予感させた。
『M-1グランプリ2010』では決勝進出常連ながら王座を逃してきた笑い飯が優勝し、有終の美を飾った。一方で初登場のスリムクラブの方が面白かったとの声もあり、総合力や安定性の点で笑い飯が選ばれた形である。
漫才に鋭い意見を持つ審査員によって審査されるM-1グランプリの審査結果が独断と偏見に基づくように見えることがあることは否めない。しかし、興味深い点は笑い飯もスリムクラブも伝統的な漫才の正統派ではないことである。正統派の漫才はボケとツッコミが基本形である。しかし、笑い飯もスリムクラブもツッコミとは別の形で笑いを取っている。
笑い飯の特徴は交互にボケを繰り返すWボケである。決勝戦のファーストステージでは上半身がサンタクローズ、下半身がトナカイという「サンタウロス」のネタを披露した。これは昨年大反響を呼んだ鳥人に続く架空生物ネタである。最終決戦では小銭の神様のネタを披露した。これも笑い飯の特徴であるWボケを活かしたネタであるが、サンタウロス程のインパクトはなかった。
一般に面白い漫才は一つのストーリーがある。たとえば初戦で笑い飯と同点で首位になったパンクブーブーのネタでは、コンビニで万引きする人を見つけて、万引きを止めさせようとするストーリーがあった。観客は単発のボケと突っ込みを楽しむだけでなく、ストーリーも楽しむことができる。
これに対して、Wボケは相互に同じテーマでボケを繰り返す。このためにストーリーは進まない。次々と面白いボケを展開できれば成功だが、単調になる危険がある。笑い飯が高評価を得ながらも、これまで優勝を逃してきた要因も単調さにある。笑い飯のネタで評価が高い「奈良県立歴史民俗博物館」は、奈良時代の人々の生活から、土器の発掘へと話が移っており、単調さを回避している。
この点で想像力を働かせて生物の動きを表現できる架空生物ネタはWボケに適している。サンタウロスでは、頭は人間だが、胃袋は草食動物なので、チキンを食べたいが、胃が受け付けないと笑わせる。それに続いてクリスマス・プレゼントを入れる靴下に吐こうとする。このように一つのボケの中に畳み掛けて笑わせるストーリーを盛り込むことが、ボケの繰り返し以上の笑いを生む。
『M-1グランプリ2010』で台風の目となったスリムクラブは、沖縄出身で独特の空気を醸し出していた。真栄田賢がボケ役で、内間政成がツッコミ役とされるが、まず真栄田のボケが常識離れしている。それでいて現実に存在するかもしれない怖さもある。内間は真栄田のボケに突っ込まず、常識人的な対応をする。真栄田の常識外れの発言に心底驚いて、相手の顔を黙って見つめてしまうシーンも多かった。
本来は話芸である漫才において沈黙の間は致命的であるが、スリムクラブの間は笑いを生み出している。漫才は観客を笑わせるための活動である。しかし、人間は笑わせようと計算された言動では逆に笑いたくなくなるものである。むしろ当人の大真面目で必死な姿こそ笑いを誘う。
スリムクラブは2009年のM1グランプリにも出場し、2010年と似たようなネタを披露したが、決勝には残らなかった。そこでは2010年のような間は少なかった。内間は真栄田の非常識さに怒り、突っ込んでいた。これが逆に当たり前の反応に見えてしまい、今年ほどの大爆笑にはならなかった。ツッコミを抑えたことがスリムクラブの成功要因である。
他にも決勝戦ではハライチがツッコミ以外で笑いをとっていた。ハライチが披露した漫才は「ノリボケ漫才」である。これは岩井勇気のフリに澤部佑が乗っていく形式である。岩井の言葉遊びと、澤部のオーバーアクションが魅力である。しかし、決勝戦では同じ形式の繰り返しで単調になり、得点は伸びなかった。ツッコミがない場合、ボケの繰り返しで単調になる危険がある。
単調さという危険があってもツッコミを避ける背景には、ツッコミの攻撃性がある。下手なツッコミは単なる怒りや上から目線での攻撃になってしまう。ツッコミで笑いをとることは想像以上に容易ではない。ツッコミには相手の気持ちを害する攻撃性があるからである。それは日常生活で突っ込むことを考えれば理解できる。目上の人に突っ込む人は少ないだろう。反発を受けても怖くない相手に突っ込む傾向になる。故にツッコミとは弱い者いじめにもつながる。
ツッコミに定評のあるコンビとして、2007年に敗者復活戦からドラマチックにM1グランプリ優勝を飾ったサンドウィッチマンがいる。ツッコミ役の伊達みきおのツッコミは攻撃的で鋭い。普通の人がツッコミを受けたら、傷ついてしまうかもしれない。それでもサンドウィッチマンの漫才やコントは安心して笑える。それはコンビ二人に強い信頼関係が感じられるためである。
2010年のM1グランプリでも、敗者復活戦から勝ち上がった2009年王者のパンクブーブーは上手であった。佐藤哲夫が勇ましい発言をして、それに黒瀬純も反応するが、実は大したことではなかったという笑いであった。ツッコミの黒瀬は誤解を招く佐藤の発言の説明役になっており、攻撃性は感じられない。
このネタを勢いよく畳み掛けることで大爆笑をもたらし、ファーストステージでは笑い飯と同点1位の高得点となった。初のM-1グランプリ連覇も望める勢いであった。ところが、最終決戦でも同じ構造のネタを披露した。新鮮さがなくなったために3位に甘んじた。
笑いは人々を幸せにする素晴らしいものであるが、弱者を蔑むことで生まれる醜い笑いがあることも人間社会の悲しい現実である。差別発言の多くもジョークの文脈で語られている。その種の笑いは当然のことながら、笑われる弱者にとっては決して面白いものではない。
この笑いに対するギャップはツッコミにも存在する。例えば日頃、何か言うと馬鹿にされ、扱き下ろされた人がいたならば、ツッコミで頭を叩かれる漫才を笑えないだろう。このように考えればツッコミ以外で笑いをとろうとする芸人が増えたことは素晴らしいことである。現代若者気質として傷つけることも傷つくことも避ける性向が指摘されるが、ツッコミの回避も、その一端と見ることができる。
ボケとツッコミという固定観念を抱く芸人を審査員とするM1グランプリが2010年で幕を閉じたことは一つの時代の区切りである。お笑いは新しい時代に入っている。

『R-1ぐらんぷり2011』芸達者な佐久間一行が優勝

一人話芸の日本一を決定する『東洋水産R-1ぐらんぷり2011』決勝戦が2月11日に開催され、佐久間一行が優勝した。佐久間は決勝戦で3回のネタを披露したが、3戦とも全く異なるスタイルで芸達者ぶりを見せつけた。
決勝進出者はキャプテン渡辺、COWCOW・山田與志、AMEMIYA、バッファロー吾郎・木村明浩、ナオユキ、スリムクラブ・真栄田賢、ヒューマン中村と佐久間の8人である。「R-1ぐらんぷり2011」決勝戦はトーナメント方式で、優勝までは初戦、準決勝、決勝と3回の勝負がある。
佐久間の勝因は歌ネタ、フリップネタ、学生のコントと毎回スタイルを変更したことである。同じスタイルのネタを繰り返し見せられるよりは、異なるスタイルの方が好印象である。この点で佐久間の作戦勝ちと言えるが、実力がなければできないことである。これは審査員の桂三枝も称賛していた。
ピン芸人には芸風が固定化している人が多い。佐久間自身も観客が理解できない話を続け、「ついてこーい」と言って笑いを取るスタイルが鉄板になっている。しかし、この佐久間のスタイルは内輪にだけ通じるような笑いであって、グランプリには不向きである。「R-1ぐらんぷり2011」では封印し、代わりに小道具を効果的に活用した。
佐久間は初戦で井戸の妖怪になりきって、歌ネタを披露した。分かりやすく、楽しめるネタである。但し、一人話芸の日本一にふさわしいかと言えば、子どもだましの感がある。佐久間が同じスタイルを踏襲しなかったことは正解である。
初戦で佐久間に敗退したヒューマン中村はテレビ出演2回目ながら、中々のパフォーマンスであった。感動や発見などのテーマを大袈なものからランクを下げていくネタで、三段落ちが優れていた。ヒューマン中村の不幸は初戦で佐久間と対決したことであった。佐久間とヒューマン中村の対決が決勝戦でも不思議ではなかった。
準決勝は佐久間の芸の中で最も微妙であった。原始人による「あるある」ネタをフリップ芸で披露したが、原始人の言葉なので何を言っているか分からない。フリップの絵の内容と佐久間の身振り手振りで笑わなければならない点で観客のハードルが高くなっている。
それでも裏番組で放送中のドラえもんをタイムマシンで登場させ、原始人の髪飾りとスネ夫の髪型を比較させるフリップは爆笑を誘った。ドラえもんは色々な笑いに使えそうであるが、スネ夫の髪型に注目させることは予想外であった。
佐久間の幸運は準決勝の相手がスリムクラブ・真栄田であったことである。『M-1グランプリ2010』で大活躍したスリムクラブからの出場ということで、注目度は高かったが、ボケ役だけでは暴走し過ぎて意味不明になっていた。真栄田の非常識な言動に反応する相方の内間政成が存在してこそ、笑いが成り立つ。ピン芸では真栄田の非常識な言動を観客がダイレクトに受け止めなければならず、笑いよりも戸惑いが大きくなる。
佐久間は決勝では幼虫を気持ち悪がる学生のコントを披露し、6対1の審査員の評価で圧勝した。対戦したAMEMIYAは歌手としての活動歴もあり、自作の歌ネタをギターで弾き語りするスタイルが特徴である。「R-1ぐらんぷり2011」決勝戦では3戦とも同じスタイルを貫いた。ネタは「冷やし中華始めました」「TOKYO WALKERに載りました」「この売り場から、一等がでました」とテーマこそ相違するが、内容的には人間の不幸をネタにする点で共通しており、3回ともなると食傷気味になる。
ネタの内容も佐久間とAMEMIYAの明暗を分けた。AMEMIYAは転落していく人の不幸を笑いにするものである。これは実際に不幸に苦しんでいる人には笑えない内容である。これに対して佐久間のネタは老若男女楽しめる。諦めずに挑戦し続けた佐久間の納得の優勝となった。

EXILEのHIROとの真剣交際は上戸彩のイメージダウン

女優の上戸彩とEXILEのリーダーHIROが真剣交際していると2010年10月6日に報道された。これは上戸にとって大きなイメージダウンとなりかねないものである。
上戸はV6の森田剛と2002年から交際が指摘され、2010年4月には「いい恋してます」と報道陣にも認めた。二人は結婚間近と見られていたが、その直後に破局が報道された。一方でHIROとは夏頃から交際に発展したとされる。その通りであるならば森田との破局から短期間で新たな交際を始めたことになる。上戸がCM出演するソフトバンクが喜びそうな乗り換えの速さである。
森田とHIROは雰囲気が似ている。色黒でチャラいイメージがある。共に上戸がタイプとする「ガツガツ肉食系」に合致する。また、二人ともダンスが上手い。ダンスの上手さにもレベルがあり、同列に扱うならばEXILEファンに怒られるかもしれないが、ここでは二人の優劣ではなく、類似要素を抽出した。これらの点からHIROは相手として不自然ではない。
一方で上戸は事あるごとに「恋人の浮気は絶対許せない」と強調するほど、恋愛に対して潔癖感を醸し出していた。テレビ番組では、恋人がアイドル写真集を持っていることを知ったら捨ててしまうとも発言した。
その上戸が夜遊びの噂の絶えない森田と交際を続けることは元々困難が予想されていた。これに対してHIROならば年齢的に少しは落ち着いたところを見せられるだろう。しかもHIROは芸能事務所を切り盛りする社長である。森田と比べれば単に年齢が上という以上に精神的に大人である。その意味では上戸に合っているのかもしれない。
しかし、HIROから見るとイマイチ現実味が感じられない。上戸とHIROの出会いは上戸のデビュー前に遡る。上戸は12歳でデビューしたが、その前からダンスレッスンに励んでおり、その指導者がHIROであった。HIROはティーンエージャーにもなっていない時から知っている女の子と交際していることになる。昔ならば源氏物語の光源氏であるが、現代では後ろ指を差されかねないものである。
穿った見方をすれば事務所経営者として責任ある立場にある安全な兄貴分を、話題作りか隠れ蓑に利用したとも考えられる。報道で「真剣交際」と「真剣」を強調する点も、わざとらしさが感じられる。ほとんどの交際が真剣なものであり、わざわざ真剣を付すことが逆に作為的である。
たとえ話題作りが目的でも、交際報道は上戸にとってイメージダウンである。近年は女優活動が中心の上戸であるが、演技力や視聴率の獲得の観点では疑問もある。それでも上戸が起用され続ける要因として、アイドル的人気を長年維持している点が大きい。アイドルには純潔が期待される。森田との交際が噂されていても、浮気を許さないという潔癖感ある発言によって上戸は偶像を守ってきた。
しかし、短期間の恋人交代で一途というイメージは崩壊した。そして森田に続いて同じような匂いの男性が恋人とされたことで、上戸の恋人像がファンの幻想を破壊するものであることが明らかになった。せめて韓国俳優のような清潔感のあるイケメンならば容認できたかもしれないが、チョイワルで女遊びが上手そうなタイプはアイドルのファンが最も嫌悪する。結婚・引退ならば気にすることではないが、芸能活動を続けるならば上戸にとって名実共に女優となる転換点に差し掛かっている。

広末涼子再婚で、のりピー化の危惧

女優・広末涼子は2010年10月9日、キャンドルアーティストのCandle JUNE(キャンドル・ジュン)と結婚したと所属事務所のウェブサイトで発表した。既に8月に交際が報道されていたものの、結婚となると別であり、ウェブ上では驚愕の声が上がっている。
まずCandle JUNEの外見が尋常ではない。全身には刺青があり、右耳には鹿の角を刺している。広末には清涼感や親しみやすさが溢れ、清純派アイドルとして人気絶頂の時代があった。そのパートナーとして想像し難い。
さらにCandle JUNEは過去にはドラッグの経験もあるという。サーファーやボディボーダーの視点から海辺の環境保護活動を行う団体「サーフライダー・ファウンデーション・ジャパン」のインタビューに以下のように回答する。
「キャンドルを灯して旅をしてるんですけど、9/11以降それがすごくストイックな旅になってきて、戦争とかテロが終わるまでは、もう酒もタバコもドラッグも全部やめる!って言った」
「ドラッグも全部やめる」と決意したということは、それまではドラッグを服用していたことになる。サーファーでドラッグ服用となると、酒井法子の夫・高相祐一を連想する。このため、酒井と同じ運命を辿るのではないかとの声も出ている。広末自身、過去に危行が騒がれるなど薬物の噂とは無縁ではなかった。
Candle JUNEはドラッグを止めたと言っているが、その理由が問題である。9・11事件(アメリカ同時多発テロ事件)を契機とする。確かに9・11事件は衝撃的であったが、事件を体験した当事者でない限り、外界の出来事に過ぎない。それによってドラッグを止めたということは、何かのニュースがドラッグ再開のきっかけになる危険もある。
Candle JUNEには平和活動家という顔もあるが、活動家としての立ち居地は微妙である。現代でも旧日本軍の遺棄化学兵器の被害に苦しむ中国黒龍江省チチハル市の戦争資料館前で終戦記念日に火を灯している。それは「日本は敗戦国のイメージが強いけれど、日本がそれまで何をしていたのか」との観点からである。一方でダライ・ラマに謁見し、フリーチベットのイベントにも積極的である。
一般に平和運動の背後には何らかの政治性や党派性が存在するが、Candle JUNEの幅広い活動には政治性は見えにくい。これは彼が政治性や党派性に囚われず、純粋に平和を目指す活動家であると評価することもできる。しかし、平和運動は背後の政治性がバックボーンになり、それが運動の動因となっていることも事実である。政治性に囚われない点は平和活動家としての純粋さを示すものであるが、それ故に危うさもある。
広末は結婚を伝える文章で以下のように述べる。
「"恋愛感情"というより、静かな安らぎを感じさせてくれる彼の穏やかな人柄に惹かれ、また信念を持って真摯に活動に打ち込む姿勢と行動力に信頼感を抱きました。」
結婚相手に対し、わざわざ恋愛感情を否定するところが不思議である。ここでも酒井を連想してしまう。高相・酒井夫妻は覚せい剤だけのつながりになっていた。
また、上記文章では結婚を決める前の心理状態を以下のように決める。
「守るべきかけがえのない子どもがいて、心から打ち込める仕事がある自分は、『これ以上、何も望むべきではない』という気持ちで、私なりに理想の家庭像を描き、少しでも近づけるようにと努力してきました。」
「これ以上、何も望むべきではない」という気持ちで努力した点は立派である。広末は映画『おくりびと』やドラマ『龍馬伝』で演技力が高く評価された。無私の気持ちで心から打ち込める仕事に打ち込んだ結果である。
ところが、以下の理由から結婚を決めたとする。
「熟慮を重ねた上で、お互いがお互いを高めていけるようなパートナーになるべく、結婚という形を選ぼうと決めました。」
お互いを高めていくということは一般論では素晴らしいことである。しかし、「何も望むべきではない」という気持ちで仕事に打ち込んだからこそ、『おくりびと』や『龍馬伝』の熱演になったのではないか。広末が何を高めるつもりなのか少し不安である。

新井麻希アナが連合三田会で見せたアナウンサー魂

慶應連合三田会の大会実行委員慰労会が2010年11月24日にグランドプリンスホテル高輪の大宴会場「飛天」で開催された。新井麻希アナウンサーが2010年慶應連合三田会大会に続いて、慰労会でも司会を務めた。
連合三田会は慶應義塾大学の同窓組織で、毎年秋に日吉キャンパスで大規模なイベント「連合三田会大会」を開催する。今年の大会は10月24日に開催されたが、その実行委員を対象とした慰労会である。
慰労会では鶴正登・実行委員長が慶應卒業生の結束力の強さを以下の謎かけで表現し、会場の笑いを誘った。
「慶應の卒業生とかけて夏の靴下と解く。その心は、すぐむれる(群れる、蒸れる)。」
新井アナは慶應義塾ニューヨーク学院高校から慶應義塾大学法学部に進学し、2005年にTBSに入社した。大学時代に女子サッカー部のキャプテンをしていた経験も活かし、Jリーグ中継のピッチリポーターとしても活躍した。
新井アナはニューヨーク暮らしの帰国子女で英語は堪能だが、その代わりに日本語力を疑問視する見解もある。自動小銃を「じどうこじゅう」と読むなど麻生太郎元首相に匹敵するKY(漢字読めない)を発揮していた。
それでもアナウンサーへの思い入れは強い。新井アナは10月31日付でTBSを退職し、フリーとなった。退職の契機は上司からの他部署への異動打診とされる。日本人は就職と言いつつ、就社意識が強い。企業側もローテーションと称し、従業員を様々な部署に配点させ、ゼネラリストを育成する傾向があった。これに対し、新井アナはアナウンサー職であり続けるという、帰国子女らしいアメリカナイズされた発想を貫いた。
慰労会で新井アナは福引の賞品の読み上げも行った。読み上げられた賞品の中に「指宿いわさきホテル・インペリアルスイートルーム宿泊券」があった。指宿は鹿児島県の地名で「いぶすき」と読む。知らなければ読めない漢字である。新井アナは読み間違えをしないように事前に確認し、練習したという裏話も披露した。アナウンサー魂が感じられるエピソードである。