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市民記者懇談会から、ご意見板について考えた

日本インターネット新聞社ニュース編集部主催の市民記者懇談会が2009年9月26日、厚生会館ホテル(東京都千代田区平河町)・紅梅の間で開催された。遠路からの参加者も含め、多数の市民記者が出席し、市民メディアのあり方について話し合った。
「懇談会」とはいうものの、参加者が多いと一方通行となってしまいがちである。その点では市民記者からの提案で全員が発言できたことは良かった。私は自身の新築マンション購入トラブルがマスメディアにほとんど取り上げられなかったことが市民記者となるきっかけであったと説明し、発言の場に欠ける個人にとってJANJANのような場が意味を持つと主張した。
懇談会では「ご意見板」(コメント欄)の弊害について意見が集中した。悪意や揚げ足取りに終始するコメントが多いとする。懇談会そのものの報告は主催者からなされると思われるので、本記事では「ご意見板」の問題を分析し、改善案の提言に特化する。
懇談会で出された「ご意見板」の弊害は以下の2点に大別される。
第1に記事執筆記者の感情を傷つけ、記事執筆を萎縮させてしまうことである。現実に複数の記者から「ご意見板」のコメントで不愉快な経験をしたために記事執筆を控えているとの発言がなされた。
第2に市民メディアの価値を損なうことである。ヘイト・スピーチが延々と「ご意見板」に書き込まれるような状況を問題視する。記事の質は高いにも関わらず、コメントの質の低さがメディアの価値を貶めている。極論すればJANJANそのものが部外者からは差別主義者の巣窟と疑われかねない。現実に市民記者から「そのような印象を抱いていた」という感想が出された。また、市民メディアを潰すことを狙っている勢力に「ご意見板」が悪用されている可能性が指摘され、毅然とした対応が求められた。
これに対して編集部は「ご意見板」の利点と対応の難しさについて説明した。
まず利点である。コメントによって執筆記者が励まされ、執筆意欲が向上する場合もある。そのため、「ご意見板」を全否定することはできない。実際、ある市民記者からは自己の記事にコメントされたことを気付くようにして欲しいとの要望が出された。
次に対応の難しさである。これは3点に大別される。
第1に安易なコメント削除が反感を呼び、逆に炎上の燃料となってしまう危険がある。編集部では過去に経験済みであり、現在は慎重に対応しているという。
第2に全てのコメントを監視し、迅速に削除することはマンパワーを要する。これにリソースを割くことは建設的ではない。
第3に「ご意見板」はシステムのコアな部分と結びついており、コメントの仕組みを変更する場合はシステムの大幅な見直しが必要になる。
以上を踏まえて「ご意見板」についての管見を述べる。
弊害の第1も利点も主観的な問題である。ある記者ならば「勉強になった」と感じるコメントも、別の記者は凹んでしまうかもしれない。これは人それぞれであり、どちらの感性が正しいと一律に決められる問題ではない。
重要なことはコメントによって萎縮してしまう市民記者が現実に存在することである。「コメントで萎縮するような記者は記事を書く資格がない」と切り捨てるのではない限り、市民メディアとして配慮すべき問題である。
記事をインターネットで発表する以上、外部の掲示板やソーシャルブックマーク、ブログなどでネガティブなコメントが書かれることは回避できない。しかし、市民メディア自身が記事と同一のページにコメント欄を提供することとの可否は別問題である。
また、ネガティブなコメントで記者に粘着するコメンターは自分では記事を書かないコメント専門の傾向が強いとも指摘された。これが事実ならばメディアにとって記事を執筆する市民記者とコメント欄で放言するだけのコメンターのどちらを優先するかという問題になる。記事によって成り立つ市民メディアとしては前者を重視すべきである。
結論として「ご意見板」が執筆記者にプラスになるかマイナスになるかは記者各人に委ねるべき問題であり、「ご意見板」を否定する市民記者の思いも尊重されるべきである。従って記者登録時または記事投稿時にコメントを受け付けるか否かを選択できるようにすることが望ましい。これは多くのブログでも採用されている機能である。
別案として市民記者に自己の記事に対するコメントの削除権限を付与することが考えられる。コメント投稿時に執筆記者にコメント削除権限があることを明記することが前提となるが、都合の悪いコメントに対する恣意的な削除として反発を呼び込む危険がある(対応の難しさ第1)。また、組織的・連続的なネガティブ・コメントへの対応が執筆記者の負荷になる。そもそもネガティブ・コメントを読みたくもない記者には解決にならず、良案ではない。
弊害の第2は執筆記者が許容すればいいという問題ではない。ヘイト・スピーチは断固として排除すべきである。石原慎太郎東京都知事の三国人発言やババア(女性蔑視)発言が象徴するように日本社会の人権意識はまだまだ低い。そのためにヘイト・スピーチの積極的な排除が新たな軋轢を呼ぶ可能性(対応の難しさ第1)は否定しないが、差別主義者とは妥協すべきではない。
組織的にヘイト・スピーチがなされるならば編集部によるコメントの事前承認制も選択肢になる。もともと即時に表示されるコメントは、編集部が介在する記事と比べて不整合である。市民メディアは記事を掲載するWebサイトであり、インターネット掲示板サイトと同じである必要はない。市民メディアとしてオムニバス記事のように編集しない程度の介在は合理性がある。一方で事前承認制はリソース的に現実的ではない(対応の難しさ第2)。この場合は「ご意見板」廃止も視野に入る。
あくまで「ご意見板」を残すならば削除通報しやすい仕組みを構築することが望ましい。懇談会では編集部に電話で削除依頼した市民記者の経験が披露されたが、そのような方法は非効率である。各コメントの脇に違反報告ボタンを設置し、ワンクリックで規約違反のコメントを報告できる仕組みが考えられる。これは「Yahoo!掲示板」で実装されている仕組みである。
また、コメント専門記者が問題ならば、コメント投稿資格を記事掲載者に限定する方法も考えられる。これによって複数アカウントを利用した自作自演のハードルも高くなる。市民メディアが記事を執筆する市民記者のためにあるのか、記事を書かずにコメント欄で好き勝手に放言するコメンターのためにあるのか、旗幟を鮮明にするという意義もある。
最後に「ご意見板」を変更する場合、システム変更に要するコストと労力をどうするかという問題が残る(対応の難しさ第3)。これについてはインターネット掲示板「2ちゃんねる」(以下、2ch)閉鎖騒動を紹介する。2chは2001年8月に転送量が多くなり過ぎて閉鎖騒動が起きた。この時は「UNIX板」の利用者が中心になって転送量を激減させるプログラムを開発し、閉鎖騒動を乗り切った。2chを閉鎖させたくないという利用者の思いがボランタリーな行動の動機になった。
懇談会では多くの市民記者がJANJANの存続を願い、必要ならば行動を厭わないことが明らかになった。市民記者のボランティアによるシステム変更も選択肢になる。市民メディアにとって反面教師・批判対象となることの多い2chであるが、献身的なユーザーに支えられている点は参考になるところも多いと考える。

市民記者懇談会 ご意見板選択制を歓迎

日本インターネット新聞社ニュース編集部主催の市民記者懇談会が2009年12月5日に東京都千代田区麹町の弘済会館で開催された。懇談会では編集部から2010年1月にシステムをリニューアルすることが発表された。
リニューアルの目玉は記事への「ご意見板」設置が市民記者の選択性になることである。コメントを受け付けるか受け付けられないかを市民記者が記事別に選択できるようになる。あわせてコメント投稿は市民記者だけでなく、誰でも可能になる。
私は既に同内容の改善案を提言しており(「市民記者懇談会に参加し、「ご意見板」について考えた」)、今回のリニューアルを歓迎する。本記事では「ご意見板」についてリニューアルで残された問題と新たに生じる問題について論じる。
まず残された問題についてである。前掲記事では「ご意見板」の弊害を2点挙げた。このうち、コメントが記事執筆を萎縮させる弊害についてはリニューアルで解決する。コメントを受け付けたくない市民記者には受け付けない自由が与えられたためである。
これに対して、「ご意見板」設置を選択した場合、ヘイト・スピーチなど悪意あるコメントが埋め尽くされて市民メディアの価値を損なう弊害は依然として残存する。この点は現状と同じく編集部が管理していかなければならない。リニューアルで誰でもコメントを投稿できるようになったために編集部の規約違反コメント削除作業が増大する懸念がある。
JanJan宣言には「国境を越える情報交流による異文化の相互理解を進めます。」とある。これに基づくならばヘイト・スピーチは積極的に排除する必要がある。他のWebサイトならば言論の自由の範囲内と許容されるようなコメントの削除も正当化される。一方で誰でもコメントを書き込めるということはJanJan宣言に同意していない人も投稿することになる。削除の是非をめぐる軋轢が激化する危険がある。
次に新たに生じる問題である。「ご意見板」設置を選択性にした場合、ほとんどの市民記者が非設置を選択する可能性が高い。投稿者が市民記者に限定された現状でも「ご意見板」には問題がある。それが誰でも投稿できるようになれば尚更である。
私はコメントを拒否したい市民記者の価値観は尊重されるべきであると考える。「記事を発表する以上、批判を浴びる覚悟を持たなければならない」という考えは当人の信条としては結構であるが、他人に強制するものではない。しかも、批判を浴びる覚悟を持つことと同じページに批判用の場所をワザワザ提供することは別問題である。
それ故に全ての記事から「ご意見板」がなくなったとしても市民記者の選択の結果であり、何ら問題はない。しかし、言論空間として一抹の寂しさを感じる向きもあるだろう。
また、市民メディアの運営上は「ご意見板」にはメリットがある。通常、記事は一回読めば十分である。これに対して、「ご意見板」で活発に議論が展開されればコメントを読むために何度も記事を訪れることになる。このため、「ご意見板」はページビュー増加に貢献するコンテンツとなる。
市民メディアは記事で勝負すべきで、「ご意見板」でアクセスを稼ぐことは邪道との考えは筋論としては正しい。しかし、広告モデルのWebサイト事業者にとってページビューは喉から手が出るほど欲しいものであり、コメント欄の賑わいはページビューを自動増殖する魔法の杖となる。
私は「ご意見板」で白熱した議論を繰り広げるくらいの論点があるならば新たな記事を書くことが市民メディアの正しい利用法であると主張した(「記事と無関係なコメントが悪い理由」)。しかし、いくら記事を書くように主張しても、記事を書かずにコメントだけするユーザーは現実問題として存在する(これは旧オーマイニュースでも同じであった)。記事掲載の場である市民メディアにとって必須な存在ではないものの、彼らをページビュー増加に活かすならば「ご意見板」設置が有益である。
各人の自由な選択に委ねるべき問題でも、万人が同じ選択をしたならば全体としては困るという状況は存在する。極端な例を挙げれば子どもを産むか産まないかは女性の自己決定権に委ねるべきで他者が強制してはならない。しかし、誰もが産まない選択をしたならば社会は成り立たなくなる。そこまで「ご意見板」は必須の存在ではないものの、「ご意見板」を設置しない自由が市民記者に存在することを前提とした上で、「ご意見板」設置を選択してもらえるような環境にすることが次のステップにおける政策的な課題となる。
これら残された問題及び新たに生じる問題の改善案として、「ご意見板」を目立たなくすることを提言したい。現状は記事を読めば必然的にコメントも目に入る。自分の記事を印書する記者も存在するが、「ご意見板」も一緒に印書されてしまう。
これに対して、J-CASTニュースやライブドアニュースではコメントは記事本文のページには表示されず、表示するためにはワンクリックが必要である。これによって低レベルのコメントが殺到しても、記事やサイトの質を損なわない。市民記者本人にとっても記事本文とコメント欄が別になるため、悪意あるコメントによって自分の記事が汚されるという「ご意見板」設置への精神的負担が減少する。
そもそも投稿すれば即時に反映されるコメントがメインコンテンツである記事と同レベルで表示されること自体が不整合である。コメント欄の本分を弁えることが、市民メディアの中でコメント欄を存続させる道と考える。

JANJAN暫時休刊と反動工作

日本インターネット新聞社は2010年3月1日に市民メディアJANJANの暫時休刊を発表した。同じく市民メディアのオーマイニュース(オーマイライフ)もツカサネットネット新聞も2009年に休刊に終了しており、市民メディアを取り巻く環境の厳しさを改めて実感した。
それでもJANJANの暫時休刊には大きな驚きを覚える。JANJANは2010年初にシステムをリニューアルし、新たなドメインも取得した。僅か3ヶ月で休刊することが予想できたならばリニューアルは不自然である。暫時休刊は想定外の事情による苦渋の決断であると推察する。
ここで思い出される言葉は2009年9月26日の市民記者懇談会に出席した市民記者からの「市民メディアを潰したいと考える勢力が、ご意見板を荒らすなどの工作をしている」との問題提起である(「市民記者懇談会に参加し、「ご意見板」について考えた」)。市民記者による情報発信が都合悪いと考える層からの工作である。
現実にリニューアルで、ご意見板の投稿を市民記者以外からも可能にした結果、誹謗中傷を目的とした荒らしが増加した。その結果として、「有力記者の記事も減少しているように見える」と指摘された(「【オムニバス】「悪貨が良貨を駆逐」したのか? 「ご意見板」の減少」)。これは市民メディアを潰したい勢力の思い通りの展開である。
そして暫時休刊の告知記事「『JANJAN』休刊のお知らせ」にも、休刊を歓迎するような悪意ある投稿が複数なされている。どこまで組織化されているかは議論の余地があるものの、JANJANが陰湿な敵意に直面していたことは確かである。
この陰湿さは近年の反動的な工作活動の特徴である。在特会(在日特権を許さない市民の会)に代表されるように市民運動的な装いをとりつつ、数の力を利用した暴言などによる恫喝・攻撃が行われている。JANJANへの攻撃も同じ文脈で位置付けることができる。
この点でJANJANの暫時休刊はタイミング的にも非常に残念である。ご意見板の荒らしが激化し、投稿を控える記者も出ていると指摘された中での暫時休刊は、反動工作を増徴させかねない。救いは暫時休刊後も既存記事の公開を続けるとしていることである。この点はオーマイニュースやツカサネットネット新聞とは異なる点であり、大いに期待する。
また、市民記者からJANJAN継続についての様々な提言がなされていることも心強い。市民記者は情報発信する存在である。沈黙してしまったら、敵の思う壺である。むしろ、攻撃を受ければ一層激しく情報発信することが記者魂である。私も、どのような形であれ、今後も情報発信を続けていくつもりである。

市民メディアは言論を守る闘いの最前線

「市民メディアを潰したいと考える勢力が、ご意見板を荒らすなどの工作をしている」
これは2009年9月26日の市民記者懇談会に参加した市民記者からの問題提起である(「市民記者懇談会に参加し、「ご意見板」について考えた」)。市民が記者になる市民メディアは、商業ジャーナリズムならばコントロールできると考えている勢力にとって都合が悪い存在である。それ故に市民メディアを潰したいと考える勢力が存在しても不思議ではない。
現実に市民メディアのコメント欄の荒れは酷いものがある。特にJANJANでは2010年1月から市民記者以外にもコメント欄(ご意見板)を書き込めるようにシステム変更されてから荒れが酷くなった。但し、コメント欄の荒れはJANJANに限らず、オーマイニュースやツカサネット新聞にも起きた問題である。この問題に対し、市民メディアではコメント欄の投稿者資格の限定やコメント欄設置を記者の選択性など、市民メディア攻撃に対抗するために試行錯誤を重ねてきた。
市民メディアのコメント欄荒らしの特徴として、市民記者に対する個人攻撃がある。編集部に矛先を向ける場合も「このような記者の記事を掲載するのはけしからん」的な論調になる。この種の市民記者攻撃が表向きは市民メディアを良くするための善意の忠告者の立場を装っていたとしても(その発想自体が既に独善的であるが)、市民メディアに好意的な立場からなされるものでは決してない。市民メディア攻撃の一環としてなされるものである。
そして媒体ではなく、記者個人をターゲットとする攻撃は「先進」的な言論圧殺である。典型的な例がオリコン烏賀陽裁判であった。オリコンは雑誌出版社でも記事の執筆者でもなく、コメントを寄せただけの烏賀陽弘道氏を相手に5000万円もの高額の損害賠償を請求した。最終的にはオリコンが請求を放棄し、烏賀陽氏が勝利したが、SLAPPという手段による言論圧殺を世に示した事件であった。
市民記者攻撃も狙いは同じである。市民メディアに比べれば相対的に弱い立場の市民記者を攻撃することで、記者を萎縮させる。それは市民メディアの活力を失わせ、市民メディアを潰したい勢力を満足させることになる。
日本のジャーナリズムにおける市民メディアの存在感は残念ながら大きいものではない。しかし、市民メディアへの攻撃には言論圧殺における「先進」性が存在した。卑劣な攻撃に屈せず、記事を書き続けた市民記者と記事を掲載し続けた市民メディアは、言論圧殺から言論を守る闘いの最前線に立っていた。この点は正当に評価される価値がある。

オーマイニュース

アニメ記事から本掲載と「たね」記事を考える

掲載基準 ニュースのたね 本掲載 アニメ

一歩離れて作品を相対化する姿勢が必要

市民記者にとってオーマイニュースへの記事掲載基準は大きな関心事である。私自身が投稿した記事を元に、どのような記事が掲載されるのかについて考えてみたい。
私は最近、アニメについての記事を二本投稿した。ともに放映中のアニメ作品を評したものである。「アニメ『BLEACH(ブリーチ)』新章突入」は「BLEACH」という作品、「コードギアスR2第5話衝撃の結末」は「コードギアス
反逆のルルーシュ R2」という作品についての記事である。
このうち、「BLEACH」についての記事は本掲載となったが、「コードギアス」の記事は「ニュースのたね」扱いとされた。両者の何が異なるのか考えることで、どのような記事が掲載に値するのかが見えてくるのではないかと考える。尚、本記事中の意見は全て記者個人のものであることをお断りしておく。
「BLEACH」の記事はアニメが新しい章に突入したことを説明する。アニメオリジナルストーリーを放映することについて、原作マンガとの関係や作品の魅力を踏まえながら考察した。
一方、「コードギアス」の記事はアニメ第5話が衝撃的な終わり方をしており、来週の放送が楽しみであると述べたものである。この記事では純粋に「コードギアス」のストーリーから感想を導き出している。「BLEACH」の記事で書かれたようなストーリー外の外部要因を踏まえた考察は見られない。作品内で完結している記事である。
この点が本掲載と「ニュースのたね」を分けた大きな要因ではないかと考える。オーマイニュースは、その名のとおりニュース媒体である。作品内の感想にとどまる限り、作品世界で終わってしまい、社会の出来事を伝えるニュース記事足りえないとの判断が働いたように思われる。
純粋に作品レビューとして評価する場合、外部要因を持ち出さず、作品内の世界で完結したものの方が優れているという見解も成り立つ。むしろ変に外部要因を持ち出して論じるのは作品の楽しみ方ではないという考えもあるだろう。しかし、ニュース記事においては対象を論じつつも、一方で一歩離れて対象を相対化する姿勢が求められると言えよう。
実際に「ニュースのたね」記事を見ると、映画や舞台・イベントの感想記事が、それなりの割合を占めている。これらの多くは「コードギアス」記事と同じような理由で「ニュースのたね」とされたのではないかと思われる。
エンタメ系の情報は、アクセスが集中した加護亜依(元モーニング娘。)インタビューの例を出すまでもなく、需要が見込める分野である。その意味で多くの原稿が「ニュースのたね」行きとなっている現状は非常にもったいない。本記事が作品感想の記事を書く市民記者の参考に資するところがあれば幸いである。

コメントありがとうございます。
実は本記事の執筆も「たねプロ」に影響されたものです。お言葉に甘えまして自薦してみようと思います。

はじめまして。恥ずかしながら以下の記事を自薦させていただきます。
「ひろゆき vs. 切込隊長 隠れた争点」
恐らく事実の裏づけが弱いという点が「ニュースのたね」になった理由と思います。
自薦者がいないということで、自薦を勧められたのが一番の動機で、暑い思いというほどではないかもしれませんが、人目を引く事件の裏側に迫るものであり、少なからぬ人にとって興味深い内容でないかと愚考しております。

たねプロ再投稿が再び「ニュースのたね」に

たねプロ ニュースのたね

第6回たねプロに参加して

第6回「たねを育てようプロジェクト」に参加しての感想を述べたい。きっかけは高橋篤哉記者から「これまで自薦者がいないので、是非参加協力を」と薦められたことである。従って厳密な意味での自薦ではない。そのため、自薦とはいうものの、自薦を決心してから自薦対象の記事を決めるという「たねプロ」の想定とは反対の順序となった。
当時の私の「たね記事」は二本あった。一つは「コードギアスR2第5話衝撃の結末」で、アニメ作品の感想記事である。もう一つは「ひろゆき vs.
切込隊長 隠れた争点」で、裁判中の「ひろゆき」こと西村博之氏と「切込隊長」こと山本一郎氏の対立の遠因を論じた記事である。
前者は放送から1ヶ月経過後にブラッシュアップしても時機を失する上に、既に別記事において自分なりの「たね」理由を推測していた(参照「アニメ記事から考える「本掲載」と「たね」の境界」)。
一方、後者はインターネット上では名前の通った人物を扱っており、話題性はあると考えた。そのため、後者を自薦したが、むしろ前者を読みたかったという声が存在したことは特記する。
編集部から開示された「たね」理由は一言でまとめるならば論拠が甘いということであった。個々の記述について丁寧な指摘を受けており、それらを修正し、「ひろゆき vs.
切込隊長 対立の深層」として再投稿した。
西脇靖紘編集委員からは「あいまいだった情報の所在などが明らかに分かるようになって、とても読みやすい文章になっている」と評価されたものの、再び「たね送り」となった。編集部が「たね」とした理由は、やはりまとめるならば論拠が甘いという点に尽きる。
私がオーマイニュースの市民記者登録をした動機は、自身が経験した東急リバブル・東急不動産によるマンション騙し売りについての記事を書きたかったからである。記念すべき最初の記事は2007年4月に掲載された「東急不動産の実質敗訴で和解」である。
その後も東急とのトラブルにまつわる記事を書き続け、幸いにして多くの記事が本掲載されている。東急とのトラブルは正に具体的なファクトである。多くの記事が本掲載された背景には、誰もが経験するものではない、この生のファクトの重みがあると考えている。
私にとって東急不動産の裁判闘争は大きなウェイトを占める出来事であった。今でも「消費者に不誠実な企業は存続すべきではない」という問題意識を持ち続けている。そのため、東急とは関係ない世の中の出来事、たとえば不祥事における企業対応などについて、東急不動産の問題と比較して考察するようなことをすることがある。社会の出来事を自分の問題に引き寄せることで、世の中の論調とは異なる独自の考察が可能になる。私の記事には、そのような考察に負っているものも少なくない。
これに対し、今回自薦した記事は、東急の問題とは無関係な内容であり、問題意識も重なるものではなかった。編集部の「たね」理由には初歩的なミスや表現の稚拙さも含まれているが、根本的には自身の問題意識に引き寄せて考えるだけの力がなかったことが問題である。そのために表面的で論拠の弱い記事になってしまった面は否めない。
一方、プロジェクト自体は西脇編集委員が「たねプロを重ねる毎に、たね記事の性格が特徴付けられてきている気がします」と総括した。編集委員が選択した「たね」記事以外の自薦記事でも「たね」理由が共通の要素として確認されたことはプロジェクトとしての収穫と言える。
末筆ながら第6回「たねプロ」に関係された編集部、編集委員、市民記者の方々には厚くお礼申し上げたい。これまで私は自分の書きたいことを書くだけで、オーマイニュースからは恩恵しか受けていなかったが、今後はオーマイニュースの企画などにも積極的に参加して微力ながらも貢献していきたいと考える。

たねプロ再投稿 敗軍の将、兵を語る

たねプロ ニュースのたね

一人たねプロと比較して

私は「たねを育てようプロジェクト」第6回に自らの「たね」記事を自薦したが、再投稿した記事が再び「たね送り」となってしまった。再投稿記事に対しては修正前と変わっていないとの厳しい意見も受けた。
そこで、敗因を考察することで今後の記事作成に活かしたい。実は私の記事中には「たね」記事から本掲載になったものが2本ある。これを、たねプロとの対比から一人たねプロと呼ぶ。一人たねプロと比較することで、今回の敗因を浮き彫りにできると考える。
最初の一人たねプロは「不動産広告にだまされないように」である。
2007年4月に投稿して「たね」記事になり、2008年3月日本掲載された。東急リバブルが媒介するマンション広告の内容に虚偽があることを報じたものである。この記事が「たね」とされた理由はニュースバリューが弱いためと推測している。そもそも「ニュースのたね」は「今後大ニュースとして芽吹いてほしいという意味をこめて」と説明されており、「たね」自体を現時点ではニュース価値の低い記事のコーナーと受け止めていた。
その後、2008年3月に東急リバブルが媒介する同じマンションの別の住戸の広告で、以前と同じ虚偽内容の広告が出された。これを記事にすることで、「たね」記事も本掲載された。一度だけならば単なるミスと言い逃れできるかもしれない。しかし重ねての虚偽広告となると明らかに企業体質の問題となってくる。文字通り、たねがニュースとして芽吹いた。
次の一人たねプロは「伊達鶏を丸ごと味わった!」である。
元記事は市民記者から東急不動産とのマンション紛争の件で取材を受けたことを説明した「東急不動産の裁判事件で市民記者から取材」である。私としては市民記者の取材の仕方を書くだけでも意義があると考えたが、ニュース性がないと判断されて「たね送り」なったと推測する。そこで記事の主題を取材時に一緒に行った料理屋に変更して再投稿した。
一人たねプロの成功要因をまとめるならば、事態の変化と主題の変更となる。前者の事態の変化は他力本願的に聞こえるかもしれない。しかし事態が変化すれば自動的に本掲載になるわけではない。問題意識を持ち続け、アンテナを張り続ける記者の積極的な努力が必要である。
結局のところ、しかるべき理由から「たね」記事となった場合、環境変化によりニュース性を高めるか、抜本的に主題を変えてニュース性を満たすものにするか、何れかがなければ本掲載は難しいのではないか。そもそも小手先の修正で対応できるならば編集の力で本掲載させているとも考えられる。
しかし、第6回たねプロ再投稿では上記の何れの要因もなかった。本来ならば新しいファクトを見つけるなり、主題を大胆に見直すなりすべきであった。編集部から細かい修正理由が開示されたため、それに対応することで満足してしまった。表面的な修正をするだけで、「たね」理由の根本的な背景まで考察しなかった。自らの非才を嘆くのみである。
第6回たねプロは、たねプロにとって記事自薦が初めてならば、「たね送り」になることも初めてである。たねプロの歴史にユニークな痕跡を残すものとなった。失敗は成功の母である。「たね送り」は決して恥ずかしいことではない。第6回たねプロがオーマイニュース及び市民記者諸賢にとって貴重なナレッジとなるならば私の喜びとするところである。


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