櫛田神社

櫛田神社(くしだじんじゃ)は、福岡市博多区上川端町にある神社。祭神は正殿に大幡主命(櫛田宮)、左殿に天照皇大神(大神宮)、右殿に素戔鳴尊(祇園宮)の三神。大幡主大神は別名大若子命。孝謙天皇の御代、天平宝字元年(757年)創祀。伊勢松坂の櫛田神社を勧進したものとされる。天正15年の豊臣秀吉の博多復興に際して現社殿が建立された。

愛称は「お櫛田さん」。商売繁盛、不老長寿の守り神として信仰を集める。三羽の鶴に囲まれた井戸では水を三回に分けて飲み、その度に「不老長寿」の願いを念じる。入口の門にある干支恵方盤では今年の恵方(幸運な方角)が矢印で示されている。

境内には御神木の大銀杏(櫛田の銀杏)があり、県指定天然記念物になっている。その根元には二個の蒙古碇石があり、県指定考古資料になっている。蒙古碇石は蒙古襲来時の元の軍船に使用されていたものとされるが、平安時代以来頻繁に来航した宋の商船のものの可能性もある。

博多祇園山笠や「博多おくんち」でも知られる。博多祇園山笠は櫛田神社右殿の素盞嗚大神に対する奉納の行事である。7月1日の飾り山笠公開から15日早朝の追い山まで、福岡の博多部を中心に行われる。仁治2(1241)年を起源とする祭で、国指定重要無形民俗文化財に指定されている。櫛田神社には博多祇園山笠が奉納され、飾り山笠は一年を通して展示される。

櫛田神社は川端通商店街に接する。川端通商店街は「川端ぜんざい」が有名。川端通商店街では11月16日から20日まで大売出し「誓文(せいもん)払い」を開催する。これは下川端の漬物店「金山堂」を営む八尋利兵衛が大阪の蛭子市の誓文払いを参考として、他の店舗の賛同を得て1879年(明治12年)から始めた。

近くには順正寺や萬行寺、善照寺がある。袖湊山順正寺は浄土真宗本願寺派の寺院。天正11年の創建で、空寂上人が開基。誓文払いを始めた博多商人・八尋利兵衛の菩提寺である。普賢山萬行寺は浄土真宗本願寺派の寺院。本願寺第八世蓮如上人の命により博多で布教を行っていた、弟子 の空性が1529年に普賢堂町に草庵を開いたのを始まりとする。法王山善照寺も浄土真宗本願寺派の寺院。

伊予松山城

林田力

伊予松山城は愛媛県松山市の中心部にある。金亀城(きんきじょう)や勝山城(かつやまじょう)とも呼ばれる。標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸(二之丸史跡庭園)、三之丸(堀之内)がある。三之丸は土塁と堀に囲まれ、外部との出入口として、北御門(大手)と東御門(揚手)が設けられていた。

江戸時代以前に建造された天守が残り、国の重要文化財に指定された。江戸時代以前に建造された天守は日本で12か所しか残っていない(現存12天守)。現在は城山公園になっている。姫路城・和歌山城とともに日本三大連立式平山城の一つである。「日本100名城」「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれている。

松山城の初代城主は加藤嘉明である。加藤嘉明は賤ヶ岳の七本槍の一人である。伊予国正木城主(10万石)であったが、関ヶ原の戦いで徳川家康率いる東軍に属し、最前線で活躍した。その戦功により、慶長7年(1602年)、伊予国20万石を与えられた。大封となった嘉明は足立重信を普請奉行に任命して松山城を築城した。

松山城のマスコットキャラクターは加藤嘉明に因み、「よしあきくん」である。松山城築城400年を記念して誕生した。

林田力


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