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『機動戦士ガンダム THE ORIGIN第17巻』テレビ放送時との時代の相違

本書(矢立肇・富野由悠季原案、安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN第17巻』角川書店、2008年6月26日刊)は日本を代表するロボットアニメ「機動戦士ガンダム」の漫画版である。アニメ版のキャラクターデザインを担当した安彦良和が著者で、漫画雑誌「ガンダムエース」に連載している。

本作品は1979年から1980年にかけてテレビ放送されたアニメ作品を原作としつつ、原作の非現実的な部分や、原作で説明していなかった部分を大胆に修正・追加する。アニメ放送時よりも高めの年齢層の読者を対象としているためか、とりわけ政治劇や陰謀が深く描かれており、リアリティの増した作品になっている。

第17巻はサブタイトルを「ララァ編・前」とし、前巻までの地球から舞台を再び宇宙に移す。中立コロニー・サイド6における、主人公アムロ・レイとニュータイプの少女ララァ・スンとの運命的な出会いが山場である。

また、アムロと好敵手のシャア・アズナブルも戦場でのモビルスーツ戦ではなく、生身で会うことになる。他にもミライ・ヤシマと許婚のカムラン・ブルーム、アムロと父親のテム・レイが再会するように、出会いのシーンが盛りだくさんである。

衝撃的な出会いでの登場人物の心情の動きは映像作品では一瞬であるが、紙媒体では丁寧に描くことができる。本作品も実に丁寧に描かれている。思いもよらない相手、すっかり変わってしまった相手との出会いによるギクシャク感が上手に表現されている。

描写の丁寧さはあるものの、ストーリー展開は基本的にアニメ作品に忠実である。この点で、アニメと異なる展開が多かった前巻までの地球上でのシーンとは対照的である。この点にテレビ放送時との社会背景の相違が感じられる。

アニメでガンダムが放送された1979年と比べ、現代の社会環境は大きく変化した。とりわけIT技術の進歩は目覚しい。この点は本作品にも反映されている。アニメではアムロは紙のマニュアルからガンダムの操作法を知ったが、本作品では父親のパソコンから知ったことになっている。また、ペルーのクスコでは文化遺産を保護するために中立地帯として戦闘が禁止されているなど、社会意識も反映されている。

一方で宇宙開発の面では放送当時から現在まで、さほど進歩が見られない。むしろ、現代では人工衛星打ち上げの失敗が大きく報道され、「人類は月に行っていなかった」という主張がテレビ番組で紹介されている。アポロ計画の頃と比べるならば、人類の夢を実現するものとして、宇宙開発に期待が抱かれていない時代である。

ガンダムは人類の大半が宇宙で生活する時代の物語であるが、宇宙生活という観点ではガンダムの世界観を修正するほど、現代社会は進歩していない。だから、地上でのストーリーや政治的な駆け引き、人間模様に関しては新たな設定が加わる一方で、宇宙空間のストーリーでは原作アニメをなぞる形になりがちである。

実際、近時のガンダムシリーズでは宇宙の存在感は小さくなっている。2002年放送開始の『機動戦士ガンダムSEED』では地球の統一勢力と宇宙コロニー勢力との戦いというガンダム世界の伝統的な対立軸は維持されているが、これは差別されたコーディネーター(遺伝子操作を受けた人類)が新天地を求めてコロニー国家を建設したためである。

地球に住む人と宇宙に住む人という対立軸にはなっていない。宇宙生活はコーディネーターにとって消極的選択であって、過去のガンダムに見られた人類の覚醒をもたらすものというような積極的意味付けは存在しない。

2007年放送開始の『機動戦士ガンダム00』では、地球上の三大国間の対立が軸となっており、地球対宇宙という関係は完全に消滅した。この世界での宇宙開発は、軌道エレベーターと宇宙太陽光発電システムという化石燃料に代わるエネルギー供給源としてのものである。宇宙空間に生活するのではなく、地球上の生活のために宇宙を利用する。人工衛星を通信・放送や天気予報に利用する現代社会の延長線上にある。

作品は時代を映す鏡と言われる。1979年に放送された作品と21世紀に描き直された作品を比べると、それぞれの時代状況が垣間見えて興味深い。

『機動戦士ガンダム00』2ndシーズン放送開始

TBS系列のテレビアニメ『機動戦士ガンダム00』セカンドシーズンが2008年10月5日の第1話「天使再臨」から放送を開始した。本作品は第1期が2007年10月から2008年3月にかけて放送され、今回が続編になる。
第1期ではユニオン、AEU、人革連の三大勢力が対立する世界で、私設武装組織「ソレスタルビーイング(略称CB)」が戦争根絶のために武力介入する展開であった。CBの武力介入の影響もあり、世界が地球連邦に統一されるところで第1期は終結した。
第2期は、それから4年後である。地球連邦政府は独立治安維持部隊「アロウズ」を設立したが、それは統一を名目に反対勢力への非人道的な弾圧を行う組織であった。繰り返される争いの現状に、刹那・F・セイエイらは再びガンダムに乗って戦うことになる。
ガンダムの世界では地球側の勢力(例:地球連邦)と宇宙側の勢力(例:ジオン公国)の戦争が伝統的な枠組みであった。それぞれに正義と悪を抱えており、単純な勧善懲悪にはならないが、対立軸は明確であった。これに対し、本作品の第1期では三大勢力が互いに争う中で、CBは武力紛争を起こした勢力を攻撃するユニークな設定であった。
CBにとっては戦争することが絶対悪であり、戦いの動機を問題としない。戦争を行う当事者は理由を問わず武力介入の対象になる。CBは「弱気を助け強気を挫く」存在ではない。大国に挑む小国の軍備でも容赦なく攻撃する。一方、CB自身がしていることも武力の行使である。CBは戦争を根絶するために武力介入するという矛盾に満ちた存在である。ガンダム作品の中でも非常に難しい作品になっている。
第2期では第1話を観た限り、CB対アロウズに対立軸は集約されそうである。戦争を根絶させるために統一政府「地球連邦」を樹立したが、その結果、強力な統一組織による圧制と弾圧が生まれるという結果は皮肉である。テロとの戦いを名目に政府の権限が強化されている現実社会への警鐘とも捉えることができる。
アロウズは無差別殺戮を行うなど分かりやすい悪として描かれている。分かりやすい悪を倒すことでハッピーエンドというストーリーは分かりやすいが、戦争根絶という難しいテーマを掲げた作品の結末としては物足りない。分かりやすい悪を倒しただけで戦争が根絶されるほど世の中は単純ではない筈である。
前番組の『コードギアス 反逆のルルーシュ』も第1期と第2期に分けて放送された作品であるが、第1期では日本一国の独立を目指したのに対し、第2期では世界の平和を目指す点でテーマが拡大されている。第1期では戦争根絶という壮大な目標を掲げた本作品が第2期では目の前の巨悪を倒すだけで終わってしまうことはないと思われる。どのような展開が待っているのか、期待したい。
また、アロウズは地球連邦の歪みを反映した強硬派組織という点で『機動戦士Zガンダム』のティターンズを想起される。本作品の一世代前のガンダム作品『機動戦士ガンダムSEED』は遺伝子改良された人種コーディネーターを登場させるなど独自の世界観を投影した作品であった。
しかし、続編の『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』ではファーストガンダムの再利用が目立った。『DESTINY』ではモビルスーツにザクやグフ、ドムが登場した上、「ザクとは違うのだよ!ザクとは!」の名台詞やジェットストリームアタックなどが使われている。歴代ガンダムと比べてもユニークな世界観を持っていた『機動戦士ガンダム00』も続編では既存作品の影響を受けることになるのかも見所である。
物語内の時間の流れは第1期から4年経過しており、その間に地球連邦政府の樹立という大きな出来事も生じている。その第1話となると説明で終始してしまいがちになるが、本作品では冒頭から激しい戦闘シーンもあり、映像作品として迫力があった。今後も期待のアニメとして注目していきたい。

ガンダム新作『機動戦士ガンダムAGE』は原子力を描くのか

日本を代表するロボットアニメであるガンダム・シリーズの最新作『機動戦士ガンダムAGE』が2011年10月からTBS系で放送される。低年齢層をターゲットにしていることで話題になっているが、福島第一原発事故後のガンダム作品として原子力の描き方にも注目される。
ガンダムの世界は原子力と縁が深い。基本的にモビルスーツは原子力を動力源とする。ガンダムに先行するロボットの鉄腕アトムやドラえもんも原子力を動力源としていた。愛らしいドラえもんが原子力で動いていることに違和感があるが、原子力を夢のエネルギーと位置付けて原子力発電を推進した時代状況を反映したものであった。
リアリティを重視するガンダムでは原子力の恐ろしさも直視していた。モビルスーツには原子炉を搭載しているが故に破壊状況によっては核爆発が起きる。実際、『機動戦士ガンダム』の冒頭でガンダムに搭乗するアムロ・レイがザクを大破させた際に核爆発が起きた。この爆発でコロニーの外壁が損壊し、アムロの父親のテムは酸素欠乏症になる。
しかし、ガンダムの描く原子力は核爆発にとどまった。原子力の恐ろしさは爆発以上に長期に渡る放射能汚染である。これが現実の国際社会で核兵器の使用を躊躇させる要因であった。ところが、ガンダムの世界では放射能汚染の描写は乏しい。それどころか、『機動戦士Zガンダム』ではアマゾンで核兵器を爆発させるという暴挙を描いている。
原子力の問題は核爆発だけではない。原子炉の通常運転でも放射性物質の漏洩や放射性廃棄物の問題がある。大気汚染防止のためにガソリン車の代わりに電気自動車(エレカ)を交通手段とするスペースコロニーで、原子炉を動力とするモビルスーツが動き回るガンダムの世界観は、「環境に優しい原子力発電」という原発推進派が喜びそうな設定である。
これに対し、21世紀のガンダムには変化が見られた。2002年放送開始の『機動戦士ガンダムSEED』ではモビルスーツの動力源は原子力ではない。ニュートロンジャマーという装置によって原子力技術が使用不能になった世界である。
このニュートロンジャマーは核ミサイル攻撃の報復として撃ち込まれたものある。現実世界のセオリーである核攻撃には核攻撃で報復するのではなく、全ての原子力技術を使えなくしてしまうところに原子力を忌避する時代の空気を反映している。
かつて原子力は夢のエネルギーともてはやされ、放射性廃棄物も科学の進歩で将来は無害化する技術が生まれるという楽観論が支配的であった。しかし、21世紀になっても放射性廃棄物の状況は変わらない。原発推進派ですら最大の論拠は「原発がなければ電力需要を賄えない」という「仕方ない」論になっている。
『SEED』の設定は原子力に夢がなくなった時代にふさわしいが、後半に入ると原子力を夢のエネルギーとする位置付けに逆戻りしてしまう。ニュートロンジャマーを無効化するニュートロンジャマーキャンセラーが開発され、主人公らの乗るモビルスーツだけが核エンジンを搭載する。それが圧倒的な能力を発揮し、原子力技術の賛歌になってしまった。
原子力の位置付けが揺れた『SEED』に対し、次のテレビシリーズの『機動戦士ガンダム00』は自然エネルギーに転換した。『機動戦士ガンダム00』は宇宙太陽光発電が中心になった世界が舞台で、主人公らのモビルスーツの動力源は「太陽炉」という架空の機関である。ここでは原子力から完全に解放されている。
福島第一原発事故によって原子力は、これまで以上にネガティブなイメージになった。子ども向けの『機動戦士ガンダムAGE』が原子力をどのように描くのか、もしくは描かないのかに注目が集まっている。(林田力)

機動戦士ガンダムSEED

作り手の気合いが感じられる作品である。名作シリーズ故にファーストと比較されてしまうのは止むを得ない宿命だろう。キャラクターの絵は綺麗になっているが、その分、屈折した感情が見えにくくなってしまうかもしれない。初回は日常から非日常への導入部なので、キャラクターの心理描写の深みは感じられなかった。主人公はコーディネーターでありながらナテュラルとして生活し、敵軍に旧友を見出すというファースト以上に複雑な環境にあり、深い心理描写が楽しみである。

ファースト以来の作品ではスペースノイドとアースノイドの対立が物語の背景となっていたが、今作では遺伝子操作により誕生した人種コーディネーターとナテュラルの対立という設定になっている。ファーストでもザビ家はジオン公国民に選民思想を植え付けていたが、今作では遺伝子の優秀性という点でより説得的である。またMSの操縦にOS、キーボードが使用される等、よりコンピュータ化されている。ファースト以来の現実世界でのIT、バイオ技術の発達は目覚しく、それらは上手く作品に取り入れられている。それに比べると宇宙技術の発展は蝸牛のようであり、ガンダム世界は遠い未来のSF世界として何ら違和感がない。

機動戦士ガンダムSEED(TBS 2003.2.1)

舞台が宇宙から地上に移り、背景が鮮やかになった。宇宙空間は単調な黒一色なので暗く陰鬱だが、美しい空や海、大地を背景にするとキャラクターもメカも映えて見える。人間の住むところは宇宙ではなく、先祖代々暮らしてきた地球上なのだと改めて実感する。宇宙世紀といっても宇宙に出るのは貧民・難民で、エリートや金持ちは住み易い地球上に残るのがガンダムの不易な世界観だが、それが人間の現実だろう。 宇宙生活者の中には人類は全て宇宙に出るべき等と主張する勢力がいて、地球の政府と戦争になるのだが、最後には主人公達の活躍により、そのような独裁勢力が敗北するのが繰り返されるパターンである。誤解を恐れずに単純化すると地球=善、宇宙=悪という構図になる。現実には主人公達はそこまで割り切って戦っているわけではなく、矛盾・葛藤を抱えている。その複雑さが物語の魅力であるが、少なくとも結果的には、主人公達の戦果が地球連邦政府の支配確立に貢献していることは事実である。

地上での描写はCG技術も手伝って、宇宙でのシーン以上にリアリティがある。戦闘でも砂地の制約や熱による対流を計算しなければならない。宇宙空間では厳しかった副長は地上では同情的で優しかった。地球上では人間的になれるのだろう。

圧巻は街が焼き討ちされるシーンで、住民の怒り、悔しさ、悲しみが強く伝わった。前半部でコロニーが破壊されるシーンがあったが、砂漠の小都市以上に多くの人の生活基盤が破壊され、宇宙のゴミとなったにもかかわらず、コロニー住民の反応からは大きな感情は伝わってこない。キャラクターの台詞にあったが、コロニーは「脆い」という印象を与えただけであった。又、カガリの台詞のように地上生活者の方が宇宙生活者よりも「一生懸命戦っている」と感じられる。

元々宇宙で生活すること自体が人間にとって不自然であり、現実離れしている。コロニーの生活がリスクの多い脆弱なものであるのはその通りであるし、そのようなものが失われたところでその痛みは感じられない。それに比べると地球上の生活は地に足ついたものであり、今まで積み重ねられてきたものを破壊される怒りは容易に理解できる。

機動戦士ガンダムSeed(TBS 2003.3.22)

政治的複雑さが物語にリアリティを増している。地球軍といっても大西洋やユーラシアというように一枚岩ではない。従来の作品では、地球政府は官僚主義や腐敗のような負のイメージで描かれることが多かったが、組織的複雑さまでは描かれなかった。しかしそれでは主人公達が宇宙からの侵略者に何のために戦うのか葛藤を抱えることになる。

占領軍に抵抗するレジスタンスや中立国も登場する。しかも中立国「オーブ」は一年戦争における「サイド6」のような脇役的位置付けではなく、重要な役回りを果たしそうである。アークエンジェルの製造元であり、味方であるはずだが、真意がどこにあるか分からない謎の組織というのは、「エヴァンゲリオン」を想起させる。社会現象にまでなった作品であり、制作者が影響を受けていても不思議ではない。マスメディア向けの公式発表の草稿を用意するシーンもあり、政治の現実を感じさせる。思いつきで暴言を吐くような政治家では務まらないだろう。

ザフトの最高意思決定機関がプラント評議会という合議体であるのも興味深い。既存作品では敵軍は独裁政権であるのが普通だった。勿論、敵軍も独裁者のリーダーシップに盲従するような単純な輩ばかりではなく、反発する勢力が登場する。ファーストでは親が子、兄が妹に殺された。「ZZ」ではグレミー派が反旗を翻し、F91では鉄仮面一派の暴走に対し、内部で自浄作用が働いた。独裁者を実行力あるリーダーと盲目的に評価する独裁者待望論があるが、そのような幼稚な政治認識にはリアリティのかけらもない。

機動戦士ガンダムSeed(TBS 2003.4.12)

軍需産業モルゲンレーテは富野ガンダムシリーズのアナハイム・エレクトロニクスに相当する役割を果たしそうである。アナハイムが月面に本拠を有していたのに対し、こちらは地球に本拠を持つ。エリートは地球に住むのを好むことを考えれば、最先端企業の本拠が地球上にあるとの設定は自然であり、リアリティがある。

モルゲンレーテの主任研究員はワーキングマザーである。仕事の時間が長く子どもと一緒に過ごす時間が短いようだが、勤務中に子どもからの電話に応じている。一方、父親はより密接に子どもの世話をしているようであり、夫婦分担して子育てに取り組んでいる。働く母親は「Z」や「F91」にも登場したが、どちらかというと仕事に没頭して家庭を省みないというネガティブな描き方だった。

富野ガンダムの時代と比べて女性の社会進出が進んでいる現状を反映している。母親であることが研究者というキャラクターに人間的な厚みを出している。自分の専門分野にしか興味を示さず、社会の役に何ら立たないにもかかわらず、予算を分捕ることしか考えない専門馬鹿・研究者馬鹿では何の魅力も感じられないだろう。

女性の活躍といえば、主人公の乗る母艦「アークエンジェル」の艦長も副長も女性である。女性管理職の増加という現状を反映している。艦長と副長は対照的な性格として描かれている。「女性は…である」というような時代遅れのステレオタイプな描写に陥ってない。

非科学的要素

「ガンダム」はSFアニメとして科学的な一貫性を追求していた作品である。人型兵器は本来は非効率なはずだが、ミノフスキー粒子という概念を導入することで正当化した。無重力空間での移動や「お肌の触れ合い会話」等、宇宙空間ならではの描写が満載である。「SEED」でも科学性は見られるが、それは地上シーンに多い。宇宙用にプログラムされたマシンは重力下の地上ではうまく動作しない、砂漠では熱対流によりビームが歪められる、水中の運動性等である。宇宙空間よりも地上の方が身近であり、こちらに力を入れた方がリアリティを獲得できる。絵も宇宙より地上シーンの方が明らかに力が入っている。行けもしない宇宙でのことを妄想するよりも、地上での問題を考える方が健全である。

科学技術の弊害が明らかになっている現在、科学の進歩を手放しで歓迎するほど楽観主義にはなれない。科学よりも非科学的要素の方が夢やロマンを感じられる。科学性を追及していた「ガンダム」でも「ニュータイプ」という超能力的要素を導入し、それが重要な役割を果たしている。「Seed」では「ニュータイプ」はで出てこなそうだが、「砂漠の虎」編では地球外生命体の痕跡の話が出た。これが本編にどれくらい関係するのか不明だが、話として出した以上、何らかの意味はあるはずだと思う。「Seed」のガンダムは機体の色が変更する等、技術的な説明は軽視されているように感じられる。軽視するのは悪いのではなく、むしろ面白さを出している。この点でも「エヴァ」の影響は大きい。主人公の乗る人型兵器は技術の粋を集めた機械であるのが定番だったが、「エヴァ」では生物という位置付けになっている。

ニュータイプ

ニュータイプは人が宇宙空間で生活することにより、進化した形態とされる。しかしニュータイプとなった人と宇宙生活の関係にはあまり相関が見られない。アムロやシャアは子どもの頃を地球で過ごしていた。クエスは初めて宇宙に出てニュータイプ能力が覚醒した。地球に残ることを「重力に魂をひかれる」とし、宇宙空間での生活を覚醒への道とするのは矛盾があるように思える。最終的には宇宙に本拠を置く勢力に対し、地球連邦が勝利するのが結末である。

クロスボーンガンダム

F91の続編。時代設定は人類の宇宙進出が進み、木星にもコロニーが建設されたという状況。しかし自然の恵み豊かな地球圏から遠く離れた木星では、生存に必要な空気も水も人工的に作り出さねばならず、水は配給制で不十分な量しか供給されないという過酷な生活をしている。ために木星帝国は木星を棄てて地球圏に侵略を行う。

本作で特徴的なのはニュータイプを単に宇宙生活への適応と位置付けており、それ以上でも以下でもない。従来はニュータイプとは宇宙生活に適応した「進化」した人類であり、逆に地球での生活にこだわる人々は「重力に魂を引かれた」と否定的に描かれてきた。但し、いつもニュータイプたる主人公らは、地球の側に立って侵略的な宇宙の勢力と戦い、地球連邦の勝利に貢献している。これは矛盾だが、地上に暮らすというのが人間の自然な姿であることを考えればリアリティが強く感じられる。

本作でも主人公にはニュータイプ的素養がある。一方で地球上の山道を何kmもただ歩くことに非常に苦しむ。地球で生活している人には普通のことだが、コロニー生活者には経験がないためである。ニュータイプとなることはオールドタイプを上回る存在になるのではなく、宇宙生活で使わない機能・能力は退化してしまうことを主人公は認識する。そして主人公はニュータイプになることよりも人類として生きることを宣言する。

コードギアス 反逆のルルーシュ

コードギアスR2第5話衝撃の結末

来週の放送が待ち遠しい

TBS系で放映中のアニメ「コードギアス 反逆のルルーシュ R2」第5話(2008年5月4日放送)の結末は衝撃的であった。「コードギアス」は現実とは別の歴史・技術力をもつ世界において、主人公ルルーシュが神聖ブリタニア帝国に反逆する物語である。
2006年に深夜番組として放映されたが、続編となる「R2」は2008年4月より日曜17時枠で放送中である。TBS系列の日曜17時枠は土曜18時枠から移動してきた枠で、土曜18時枠では従来、「機動戦士ガンダムSEED」「鋼の錬金術師」などの人気アニメを放送してきた。それだけ「コードギアス」の人気と「R2」に対する制作陣の意気込みを示している。
ルルーシュは北米大陸を本土とする神聖ブリタニア帝国の皇子であったが、母の暗殺後、真相も明らかにされぬまま、妹のナナリーとともに人質同然の扱いで日本に送られた。その後、ブリタニアと日本は戦争になり、無条件降伏した日本は植民地となった。日本は「エリア11」に改名され、日本人は「イレヴン」と差別され、旅行や携帯電話の所持さえ禁止された。
ブリタニアを憎むルルーシュは、ギアスという超能力を手に入れることで、母親の死の真相を明らかにし、ナナリーが平和に暮らせる世界にするためにブリタニアと戦うことを決意する。ルルーシュは巧みな統率力と戦術で日本人の抵抗組織を糾合し、そのリーダー「ゼロ」になる。抵抗組織のリーダーが敵国の皇子という設定は、良くも悪くも外圧がなければ何一つ変わることができない現実の日本社会への皮肉に見えて興味深い。
深夜放送された前編ではルルーシュ率いる黒の騎士団による反乱が成功直前になった時にナナリーが誘拐され、ルルーシュが指揮を放棄して救出に向かったところで終わった。リーダー不在の黒の騎士団は指揮系統が瓦解し、ブリタニア軍に制圧された。ルルーシュも捕らえられ、皇帝のギアスの力で記憶を改変され、平凡な学生生活を送っているところからR2は始まる。
コードギアスの魅力の一つは人型ロボット兵器の戦闘物でありながら、学園物の要素も楽しめるところである。主人公は正体を隠して戦っており、普段は学生として生活している。前編では生徒会副会長と黒の騎士団のリーダー「ゼロ」の二重生活であったが、R2ではルルーシュの学生生活はブリタニアから監視されており、ドタバタの学園シーンの中にも緊張感が同居している。
今回の第5話は、そのような楽しみを凝縮した回であった。日本人でありながらブリタニアの軍人となり、ゼロを捕らえた枢木スザクが学園に復学した。スザクの狙いはルルーシュの記憶が戻ったか否かを確かめることにあった。ルルーシュは記憶が戻ったことを悟られないように友人として振る舞い、それにスザクも合わせている。ドタバタはあるもののルルーシュのペースで進行していたが、最後にスザクがルルーシュに電話で話すように言った相手が衝撃的であった。
その相手はルルーシュにとっては生きる目的といえるほど大切な存在であったが、その人物についての記憶を失っていることになっていた。記憶を失った振りをしなければならない以上、相手のことを知らないと嘘をつかなければならない。しかし、それを言えば相手が傷つき、そのような事態はルルーシュにとって何よりも耐え難い。
ルルーシュは主人公であるが、正義の味方にしては腹黒い人物である。第4話の最後では相手を優しい言葉で寝返らせておきながら、内心では「散々使い倒して、ボロ雑巾のように捨ててやる」と独白している。これに対し、前編では主人公を阻むスザクの方が優等生的であった。「間違った方法で手に入れた結果に、価値は無いと思う」と発言し、内側からブリタニアを変えるためにブリタニア軍人を志願した。
そのスザクがルルーシュの一番痛いところを突いた過酷な罠を仕掛けた。放送後のインターネット掲示板などではスザクに対し、「酷い」との声が多数寄せられた。ルルーシュがどのように切り抜けるのか、次回の放送が楽しみである。

コードギアスに見る日本人の弱さ

コードギアス 反逆のルルーシュR2

TBS系で放映中のアニメ「コードギアス 反逆のルルーシュ R2」第19話(2008年8月17日放送)は現実社会にも通じる日本人の弱さが色濃く描かれていた。「コードギアス」は現実とは別の歴史・技術力をもつ世界において、主人公ルルーシュが神聖ブリタニア帝国に反逆する物語である。
神聖ブリタニア帝国は北米大陸を本土とする広大な帝国で、日本はブリタニアと戦争して敗れ、植民地「エリア11」となった。日本人はイレブンと蔑称され、差別されている。この設定について、竹田菁滋プロデューサーは、戦前の日本による植民地支配を参考にしたと説明する。
ゼロを名乗ったルルーシュはレジスタンス活動家を糾合し、ブリタニアと戦う黒の騎士団を結成する。さらに新国家「合衆国日本」を宣言し、反ブリタニアの諸国と共に国家連合「超合集国」を打ち立てる。
ブリタニアによる日本支配が日本の植民地支配のメタファーならば黒の騎士団や合衆国日本は義兵闘争や大韓民国臨時政府に相当する。しかし、興味深い点は、指導者ゼロ(=ルルーシュ)は皇帝から捨てられたブリタニアの皇子であり、母の死の真相解明と妹が安全に暮らせる世界にするという個人的な動機で動いている。
そのような人物が主導しなければ、日本を解放するための運動でさえ、まとまらないのが「コードギアス」の世界観である。民族の解放というような高邁な自覚がある訳ではなく、韓国人の民族運動とは比べられない。戦争中は鬼畜と罵った敵国を戦後は同盟国と歓迎するような日本人の脆弱さが表れている。
この点は今回放送された第19話「裏切り」において顕著である。ブリタニアの司令官は、ゼロがブリタニアの皇子であり、黒の騎士団を操っているに過ぎないと黒の騎士団幹部に打ち明ける。あっさりとそれを信用した黒の騎士団幹部は日本の解放を条件にゼロをブリタニアに売り渡そうとする。
ゼロがいなければ旧レジスタンスはブリタニアに鎮圧され、自分達も処刑されていたにもかかわらずである。当初はダメなお笑いキャラとして描かれながらも、皇族を守れなかった負い目からルルーシュへの忠節を尽くすブリタニア貴族・ジェレミア辺境伯とは対照的である。
しかも黒の騎士団幹部は黒の騎士団総司令の黎星刻や合衆国日本代表の皇神楽耶に相談することなく、勝手に決めている。「敵の敵は味方」という発想かもしれないが、日本を植民地支配したブリタニアが日本の解放を履行してくれると期待するのは甘過ぎる。ここには物事を都合よく楽観的に考えがちな日本人の短所が表れている。
たとえブリタニアが信頼できるとして、ブリタニアと日本を解放する取引をしたならば、ブリタニアと対抗するために超合集国として他国と連合した意味がなくなる。ここには自分達さえ良ければ他国はどうでも良い、という日本的な発想が出てくる。
これまでルルーシュは主人公ながら、かなり腹黒い存在であった。しかし、敵将の話を信じて簡単に手のひらを返す黒の騎士団を見ると、ルルーシュに強く同情する。黒の騎士団に離反されたルルーシュは、それでも第19話の最後で新たな戦いの目的を見出す。それはルルーシュの個人的な憎悪に回帰するものであった。
物語としてリアリティを追求すれば、日本という国にはルルーシュが才能を傾けて独立させるほどの価値は存在しないのかもしれない。ルルーシュの戦いには何らかの決着は付けられるだろうが、現実の日本を考えるきっかけとして、作中の日本の帰趨にも注目したい。

【アニメ】世界に反逆する主人公『コードギアスR2』最終回

TBS系列で放送されたアニメ『コードギアス 反逆のルルーシュR2』が2008年9月28日放送のTURN 25『Re;』で最終回を迎えた。「コードギアス」は現実とは別の歴史・技術力をもつ世界において、主人公ルルーシュが神聖ブリタニア帝国に反逆する物語である。
ルルーシュは北米大陸を本土とする広大な帝国・ブリタニアの皇子であるが、母を暗殺で失い、妹ナナリーと共に人質同然の状態で日本に送られた。他人に自分の命令を強制する絶対遵守の力「ギアス」を手に入れたルルーシュはブリタニアに戦いを挑む。
ルルーシュにとって戦う目的は母の死の真相解明と妹が幸せに暮らせる世界の構築という極めて個人的なものであった。しかし最後にはルルーシュの目的は自己を犠牲にして全人類の幸福を目指す方向に昇華する。そこに偽善的な要素はない。ギアスを使い人の心を踏みにじった罪を直視し、人々の憎しみを引き受けるルルーシュの潔さは感動的である。
ルルーシュの戦いも当初は、ブリタニアの植民地となった日本の解放という局地的なものであった。その後、超合衆国を設立することで、反ブリタニア諸国を巻き込み、世界的規模の戦いになる。さらに戦いの帰趨が人類の行く末を左右することになる。
両親であるシャルルとマリアンヌは嘘のない世界(=変化のない世界)の構築を目指す。兄シュナイゼルは破壊の恐怖によって平和を実現しようとする。そしてナナリーは世界中の憎しみをダモクレスに集めることで憎しみの連鎖に終止符を打とうとする。ルルーシュは彼らに抵抗し、あくまでも自らの理想を押し通す。
本作品はストーリーの進展によってテーマが広がっていたが、最終回は上手にまとめている。ルルーシュはタイトル「反逆のルルーシュ」のとおり、反逆者として幕を閉じた。物語中でルルーシュの立場は実に大きく変転したが、最初から最後まで世界に反逆するルルーシュを主人公とした物語であった。
愛憎が交差する準主役級の枢木スザクも最後までルルーシュと絡み合う。スザクはルルーシュと同じ志の下、別の生を歩むことになる。そして物語の前半でのゼロ(=ルルーシュ)の名言「撃っていいのは撃たれる覚悟があるやつだけだ」が最終回でも意味を持つ。
ルルーシュは母が暗殺され、妹も暗殺に怯えて隠れて暮らさなければならない世界を変えようとした。虚偽や争いをなくすために世界を固定化しようとしたシャルルやシュナイゼルにも抗った。人々が幸せを求めて変化する世界を望むためである。
しかし変化を望むならば、ルルーシュの世界を変えられてしまうことを受け入れなければならない。新たなゼロを登場させることで、ルルーシュ自身が身をもって示した。深く考えさせられるアニメであった。

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