甲子園エース温存の清々しさ

林田力

2016年夏の甲子園のキーワードはエース温存であった。複数のチームがエース投手を先発させず、温存させる戦術を採ったものの、序盤で大量失点して敗北した。このためにエース温存は失敗戦術と揶揄されがちであるが、選手の肩の負担を軽減するためには大切なことである。

高校野球は特殊日本的精神論、根性論の権化のような世界という悪印象がある。2016年夏の高校野球でも女子マネージャをグランドに立たせないという古い体質をさらけ出した。それでもエース温存がなされることは、良い時代になったと感じる。これは昭和の高校野球では考えられないことである。

あだち充『H2』は1990年代に連載された高校野球漫画である。ここでは悪役の敵投手が腕に少しの違和感を抱いて降板するシーンがある。監督にとっては高校野球を勝ち進むことが目的であるが、自分の選手生命は高校卒業後も続くと考えての降板である。真っ当な思考であるが、悪役のエゴとして描いたところに20世紀という時代を感じる。これに比べれば21世紀の甲子園でエース温存戦術が採られたことに時代の変化である。エース温存で敗退したチームには清々しさを覚える。

この清々しさと真逆の印象を与えるものが、東京都知事選挙における鳥越俊太郎候補の敗戦の弁である。それなりに昔はまともだったが、今の日本はどうしようもないというものである。しかし、昭和の日本が良かった訳ではない。昭和にはブラック企業という言葉はなかったが、今の基準ではブラック企業に相当する企業は珍しくなかった。パワハラという言葉はなかったが、今の基準でパワハラに相当する行為が横行していた。甲子園の悪習のように21世紀に残る昭和の悪癖を根絶することは社会を変えたいと思う人々の課題である。

鳥越候補は有権者から見てピント外れであったが、一番のピント外れは昔と比べて今を否定する姿勢ではないか。甲子園でエースが温存されるように世の中は昭和と変わってきている。それを良い時代になったと感じる身には、鳥越流の「昔は良かった」は悪夢でしかない。鳥越候補のような姿勢こそ言葉通りの反動というイメージがピッタリくる。

戦前に戻ろうとすることだけが反動ではない。昭和の戦後に戻ろうとすることも反動である。むしろ、戦後を直近の一昔前の時代と認識する世代には、逆に戦前は遠いために新鮮さを持ち、昭和の戦後に戻ろうとする方に強い反動イメージを抱きたくなる。

戦前のような全体主義への嫌悪感を共有することは大切である。それに嫌悪感を抱くならば、戦後の集団主義にも嫌悪感を抱かなければならない。「戦前はダメだが、戦後は良い」では既得権擁護の守旧派になる。戦前の全体主義に嫌悪感を抱くからこそ、鳥越候補から離反する理由はある。


林田力


林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』はFacebookページを運用しています。「いいね!」をよろしくお願いします。Facebookページに「いいね!」していただけますとご案内も届きやすいかと思います。情報をリアルタイムに入手できる手段として、まだ未登録の方には是非「いいね!」をお願いします。ページ上部にある「いいね!」のボタンをクリックして下さい。
シェアして拡散していただけるともっと嬉しいです。Facebookでの記事に対するご意見、ご感想をお待ち申し上げます。一緒にFacebookを楽しみましょう。