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林田力『東急不動産だまし売り裁判』マンガ、コミック

『のだめカンタービレ第21巻』失意の主人公に感情移入

本書(二ノ宮知子『のだめカンタービレ第21巻』講談社、2008年8月11日発行)はヤング女性コミック誌「Kiss」連載のクラシック音楽に取り組む若者達を描いたマンガの単行本である。

連載当初は変人とも言うべき個性溢れる音大生によるコメディ色の強い作品であった。しかし主人公の野田恵(通称・のだめ)と千秋真一がパリ留学したパリ編以降、シリアスな要素が強まっている。のだめも千秋も音楽家として実力をつけていく成長の軌跡が描かれている。

この巻では、のだめと千秋、そして米国育ちの中国人ピアニスト・孫Ruiの3人が中心となる。孫Ruiは千秋との共演によって自分の中の壁を克服することができた。一方、のだめはRuiの演奏に自分が千秋と目指そうとした以上の出来栄えを感じてしまい、向上心を失ってしまう。

Ruiの演奏が素晴らしいならば、もっと努力して、さらに素晴らしいものを目指せばいいというのは正論である。実際、千秋は、のだめならば、もっと素晴らしいものができると考えている。Ruiも、のだめが自分にはないものを持っていると認めている。しかし、のだめは周りの人の才能が大きく見え、自分に自信が持てない。プツッと糸が切れてしまった状態を巧みに描写している。

千秋のように自分の才能に自信を持ち、常に向上しようとする人からすれば、作中の台詞にあるように、のだめの言動は逃げでしかない。しかし、それは強者の発想である。相手の気持ちを考えようとせず、ひたすら頑張ることだけを期待する。前時代的な特殊日本的精神論を髣髴とさせる対応であり、すれ違いが生じるのも当然である。

フィクション作品では主人公が活躍しなければ話にならないため、主人公は才能のある人物になりがちである。いかに作品中に厳しい修練を重ねた描写があったとしても、普通の人とは異なるキャパシティがあると感じてしまう。

本作品における、のだめも潜在的な才能が眠っているキャラクターとして描かれている。しかし、この巻では才能を開花させている他人に圧倒され、挫折感を味わう。それも自分をスポイルさせるような墜ち方をする。この点にリアリティがあり、強く感情移入できる。

失意の、のだめの前に懐かしい存在が現れ、新しい展開を期待させる終わり方となっている。作品中ではオペラ『ファウスト』においてファウスト博士が悪魔メフィストフェレスと契約するシーンが重なっている。これまで千秋ばかりを見てきた、のだめにとって大きな転換点であり、今後の展開が注目される。

『のだめカンタービレ』第25巻、のだめと千秋の共演で完結

二ノ宮知子の人気漫画『のだめカンタービレ』が12月13日発売の第25巻で完結した。『のだめカンタービレ』は野田恵(通称・のだめ)を主人公とするクラシック音楽コメディである。ヤング女性コミック誌『Kiss』に連載していた。2006年には上野樹里と玉木宏の主演でテレビドラマ化され、一大ブームとなった。アニメや映画にもなり、クラシック音楽ファンを増やす効果もあった。
連載当初は変人とも言うべき個性溢れる音大生によるコメディ色の強い作品であった。しかし、連載が進むにつれ、のだめと千秋真一の成長物語の側面も濃くなっていった。二人が音楽家として実力をつけていく成長の軌跡が描かれる。二人はパリに留学し、プロデビューを果たす。ここで本編が完結し、再び日本を舞台としたアンコールオペラ編が始まった。
このオペラ編では千秋がオペラに初挑戦する。演目はモーツァルトの『魔笛』である。峰龍太郎や奥山真澄ら連載初期のキャラクターも活躍し、初期からのファンには嬉しい。また、オペラの練習も個性的なメンバーの暴走でうまくいかない。このドタバタ感は初期のオーケストラの練習風景とオーバーラップする。
一方でオペラ編は本編終了後のアンコールであり、本編とは異なる雰囲気もあった。のだめと千秋は世界を舞台にプロデビューを果たし、凱旋帰国した立場である。本編にあったような音楽や進路に悩む要素は少ない。代わりにオペラ編の新キャラクターの吉倉杏奈や菅沼沙也が壁にぶつかり苦しんでいた。のだめや千秋は主役というよりも狂言回し的な一歩下がったポジションで物語は進行した。
このまま新たなキャラクターの成長物語に進むのかと思われたが、第25巻で逆転した。オペラの練習では様々な問題が発生し、未解決のまま公演当日を迎えることになる。指揮者として千秋は本編のように悩み苦しむ。それを救ったものは、のだめの歌うような(カンタービレ)ピアノであった。新たなキャラクターをフィーチャーする展開に見せつつ、のだめと千秋で締めた。『のだめカンタービレ』は最後まで『のだめカンタービレ』であった。

過去の直視が大切『ロトの紋章 紋章を継ぐ者達へ 第7巻』

本書(藤原カムイ『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章 紋章を継ぐ者達へ 第7巻』スクウェア・エニックス、2008年8月25日発売)は「ヤングガンガン」に連載中のマンガの単行本である。大人気RPGゲーム「ドラゴンクエスト」の世界を描いたマンガである。

本作品の舞台は同じ作者の『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』から20年後の世界である。主人公のアロスは前作で活躍した勇者アランとアステアの息子である。主人公の仲間になるリーは剣王キラと拳王ヤオの息子である。その意味で本作品は「キン肉マンII世」や「暁!男塾」などと同様、二世マンガの一種である。

しかし、本作品は前作ともドラゴンクエストの世界観からも異なる雰囲気を出している。ドラゴンクエストは人間の勇者が、人間を滅ぼそうとする魔王と戦う物語である。人間と魔王の率いるモンスターは対立関係にある。しかし、本作品では魔王に相当する存在は未だ現れていない。しかも、人間の盗賊団が人間の村を襲うなど人間同士が争っている。アロス自身、盗賊団で育っている。善対悪という単純な構図は見えない。

また、本作品ではドラゴンクエストの世界の重要な要素であった呪文が使えなくなった設定になっている。このため、戦闘シーンには華が欠ける。

加えてアロスは感情を表に出すことが少ないため、感情移入しにくいキャラクターである。戦闘でも主体的に戦うよりも傍観していることが多い。それでいて両親が勇者という血統の故か実力はあり、感情が吹っ切れれば強敵も比較的容易に倒してしまう。

明るく前向きな勇者像からすればアロスは異色の存在である。努力して修行して強くなるのではなく、普段は力を発揮しようとしないが、潜在能力を発揮しさえすれば勝てる。この点で『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジと似ている。しかも、アロスの強さの根拠は両親が勇者だからという点に帰着する。努力しても報われない格差社会を反映しているようで興味深い。

二世マンガには親と似た主人公が親と同じような言動を繰り返す劣化コピーという陥りやすい罠がある。しかし、本作品は前作の主人公アルスとは対照的なアロスの性格により、この罠から免れられている。

これはアロスが前作の主人公アルスではなく、脇役の子であるという設定にも負う。アランもアステアも、アルスと同じくロトの血を継ぐ勇者であるが、前作での登場シーンはアルスの仲間よりも少なく、読者にとって相対的に新鮮な存在である。この意味で本作品は単なる前編の焼き直しにはなっていない。

戦うべき相手が明確でないまま旅を続けてきた主人公達であるが、この巻がターニングポイントとなる。アロスが過去の事実から目を背けていたことが明らかになる。アロスは不都合な過去を存在しなかったこととし、過去を美化することで、自己正当化する。

日本人は過去に水に流すことを是とする非歴史的な民族と批判される。都合の悪い過去を美化し、歴史を歪曲しているとも非難されている。感情を相手に伝えない上、相手には通用しない自分勝手な理屈で正当化するアロスは外国人から見た日本人の気持ち悪さにも通じる。外国を非難するのではなく、自国の過去を直視しなければならないことと同様、本作品でも問題は敵のモンスターにではなく、アロスの内面に存在した。

本作品は暗く鬱々とした雰囲気が漂っていたが、それは過去を直視できない主人公の弱さが影響している。この巻で主人公は自らの過ちに気付き、過去を直視しようとする。謎を生み出していたのは過去を直視しなかった主人公自身であった。一つ吹っ切れた主人公によって、謎が明らかになっていくことを期待したい。

脇役の活躍が光る『鋼の錬金術師 第20巻』

本書(荒川弘『鋼の錬金術師 第20巻』スクウェア・エニックス、2008年8月22日)は『月刊少年ガンガン』で連載していたマンガの単行本である。「ハガレン」の略称で親しまれ、最終回が掲載された『月刊少年ガンガン』は売り切れるほどの人気作品である。2003年にテレビアニメ化され、2005年には映画『シャンバラを征く者』が公開された。

『鋼の錬金術師』は錬金術が使える架空の世界を舞台にした物語である。エドワードとアルフォンスのエルリック兄弟は病気で亡くした母を錬金術で蘇らせようとして失敗。エドワードは左足と右腕を失い、身体を失ったアルフォンスは魂を鎧に定着させることで生き延びた。身体を取り戻すために旅に出た兄弟は、軍部の陰謀に直面することになる。

直近の巻では過去の回想がメインとなり、ストーリーの進展が乏しかったが、この巻で動き出した。20巻は冒頭でホムンクルス(人造人間)が襲撃してくる。これまで圧倒的な強敵として描かれてきたホムンクルスであったが、ここでは錬金術師側が優勢である。知恵と団結でホムンクルスに対抗する。

しかもホムンクルスに脅迫された被害者としての印象が強かったティム・マルコーが活躍している。主要登場人物に助けられ、救われるだけの存在と思っていたが、この戦いではかっこよく描かれている。この巻では、他にも軍部の実験でキメラ(合成獣)とされた後、主人公側に寝返った軍人が活躍する。彼らは、登場時は敵役であって、やられ役であった。正直なところ、これほど活躍することになるとは想像できなかった。

物語として描く場合、主人公や主要な仲間達ばかりが活躍する傾向になりやすい。また、読者層を考えれば少年少女が活躍しなければ支持を得にくい。いきおい強大な敵勢力にアウトロー的な主人公一行が孤軍奮闘する展開となりがちである。

これに対し、本作品の魅力は脇役の活躍が光っている。これがストーリー展開にリアリティを持たせ、作品の奥行きを深めている。この巻はホムンクルスとの最終決戦が近付いていることを示唆して終わる。

軍部内でもホムンクルスに対抗するグループが慎重に連携して決戦に備えている。この巻の戦いでは綿密な準備によってホムンクルスに勝利できることが示された。最終決戦でも人間側がホムンクルスを出し抜くことができるのか。今後の展開が楽しみな終わり方であった。

『鋼の錬金術師』第26巻に見るハガレンの魅力

荒川弘の漫画『鋼の錬金術師』の最新刊26巻が2010年8月12日に発売された。「ハガレン」の略称で親しまれる『鋼の錬金術師』は最終回が掲載された少年ガンガン7月号が完売するほどの人気を誇る。完結まで1巻を残すのみとなった第26巻では最終決戦が佳境に入る。
ハガレンは錬金術が使える架空の世界を舞台にした物語である。エドワード(エド)とアルフォンス(アル)のエルリック兄弟は病気で亡くした母を錬金術で蘇らせようとして失敗する。エドワードは左足と右腕を失い、身体を失ったアルフォンスは魂を鎧に定着させた。身体を取り戻すために旅に出た兄弟は、人類を滅ぼす陰謀に直面する。
ハガレンの魅力は物語性にある。人気のある連載漫画は商業的な意向から引き延ばされる傾向がある。しかし、ハガレンでは人気のある中で最終回を迎えたことを示すように物語としてのまとまりを優先させた。
人気のある限り連載を続ける作品ではないため、キャラクターも考え抜かれている。この巻での見どころは七つの大罪を象徴するホムンクルスの一人・傲慢(プライド)を意味するセリム・ブラッドレイとの戦いである。セリムはエドと戦うが、意外な人物に邪魔される。
その人物は登場時から独特のポリシーを有していた悪役であった。その所業は道義的に決して許されるものではないが、彼には悪の魅力、悪の華というものがあった。その彼が単なるヤラレ役、強敵の引き立て役で終わってしまうことはもったいないと思っていたが、ここで活躍させる予想外の展開には舌を巻いた。
彼は最後まで自らの美学に沿って行動した。もし彼が最後に改心して善人となる御都合主義的な展開ならば、彼の魅力を損なってしまっただろう。しかし、彼は最後までブレないまま、それでいながらエドの戦いに影響を及ぼし、エドを深く理解していた。
集団主義的な日本社会では他者に同調するか否定するかの両極端に走り、異なる個性として他者を理解するということが不得手な傾向がある。その点で自己の美学を保ちながら、相反する価値観の他者(エド)を理解できる彼は魅力的なキャラクターである。このようなキャラクターが物語を構成していることがハガレンの魅力である。

学園エヴァンゲリオン『碇シンジ育成計画 第6巻』

本書(GAINAX・カラー原作、高橋脩作画『新世紀エヴァンゲリオン 碇シンジ育成計画 第6巻』角川書店、2008年10月25日発売)は社会現象にまでなったアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のパラレルワールド作品である。同名ゲーム内のストーリー「キャンパス編」を漫画化した。

本作品では原作の登場人物は設定を変えたものの、そのまま登場する。碇シンジと惣流・アスカ・ラングレーは幼馴染の同級生という設定である。葛城ミサトはクラスの担任で、赤木リツコは養護教諭である。シンジの父親の碇ゲンドウは人工進化研究所の所長である。原作と異なり、母親の碇ユイが生きており、夫と共に人工進化研究所で研究を進めている。そして綾波レイはシンジの両親の研究の被験者になっている。

ゼーレという怪しげな組織が暗躍している点は原作と同じであるが、使徒が襲来し、人類の存続が脅かされるというような緊迫した状況ではない。物語は日常的な学校生活が中心を占める。シンジ、レイ、アスカの三角関係を軸に、登場人物の不器用な恋心が描かれるラブコメディになっている。

内向的なシンジ、勝気なアスカというように登場人物の性格は原作を引き継いでいるが、原作ほどの重々しさはない。シンジは内向的ではあるものの、原作のように他者とのコミュニケーションを絶ってしまうほどではない。原作では無機的であったレイも思春期の少女らしい感情を持っている。

人物設定で原作と大きく異なる点は母親の存在である。原作ではチルドレン(エヴァンゲリオンのパイロット)の条件の一つは母親がいないことであったが、本作品ではシンジにもアスカにも母親がいる。特にシンジの母親のユイは研究所の副所長として存在感がある。原作では近寄りがたい存在であったゲンドウも、本作品ではユイにダメ出しされるボケキャラになっている。シンジが原作よりは明るい性格である点も母親の存在が大きい。

この巻では新たに転校生・霧島マナが登場し、シンジに積極的にアプローチする。ヒロインが増え、シンジをめぐる恋愛模様は複雑化する。ゼーレの妨害工作も積極化し、人型ロボット「JA(ジェットアローン)」が登場するなど、物語も複雑になっている。また、原作の有名シーンの再登場もファンには嬉しい。

一方でシリアスな展開でも、ゲンドウのコミカルな行動で事態を打開するなどコメディ色は忘れていない。原作が内面を見詰めなおす重苦しさで一貫していたのに対し、本作品では平和な明るさを常に有している。人類を幸福にするためのものというゲンドウらの研究の内容は何か、何故ゼーレが妨害するのか、エヴァンゲリオンは登場するのかなど物語の謎は多く残っている。明るいタッチのまま、謎が明らかになっていくことを期待する。

林田力「ボーナスで漫画を大人買い 〜長編コミックを読破しよう!〜」日刊サイゾー2011年7月1日
http://www.cyzo.com/sp/2011/07/post-20.html