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林田力『東急不動産だまし売り裁判』相棒

劇場版2作目公開中『相棒』の奥深さ

テレビ朝日系列の人気ドラマ『相棒』の劇場版2作目が2010年12月23日に公開された。和泉聖治監督の『相棒‐劇場版U‐ 警視庁占拠!特命係の一番長い夜』である。キャッチコピーは「あなたの正義を問う。」で、警察組織の不正という刑事物では難しいテーマを取り上げた。
日本では刑事物は人気のジャンルである。そこには警察権力という「お上」を無批判に信頼し、勧善懲悪の安心感を求める日本人の民度の低さが感じられる。これに対して、『相棒』は臓器移植や裁判員制度、学校サイトなど社会的テーマを数多く取り上げ、社会の矛盾や組織の腐敗を描いている。この社会性は劇場版では一層深まっている。
劇場版1作目は2008年5月1日に公開された『相棒 -劇場版- 絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン』である。配給元である東映のこれまでの興行記録を更新する勢いの出足となった作品である。
劇場版1作目ではイラク日本人人質事件が題材となった。人質事件での日本政府の対応、マスメディアの過剰報道、それに乗じた国民的なバッシングに対する問題提起がなされていた。大ヒットが当然視されている人気ドラマの劇場版で、世論を二分した社会的事件を題材にしたことは純粋に評価できる。
劇場版1作目の社会派としての特徴は、単に現実に起きた事件をなぞっている点にあるのではない。日本人・日本社会の底流にあるものを鋭く批判している点にある。本作品が痛烈に批判しているのは日本人・日本社会の非歴史性である。それは過ぎたことにこだわらないことを是とする体質である。過去を水に流す性質を美徳と捉える向きもあるが、暗い過ちを記憶にとどめることなしには学習も進歩もあり得ない(林田力「日本社会の非歴史性が問題だ」PJニュース2010年6月26日)。
過ぎたことに拘らないことを是とする非歴史性は政府や行政にとっては非常に都合が良い。時効や被害者の死亡によって、どれだけの悪事・不祥事が葬られてきたか。真相を明らかにされることも、責任を追及されることもなく、有耶無耶のまま終わってしまったか。本作品でも、ひたすら時間稼ぎをすることによって真相を隠そうとする警察官僚組織の嫌らしさが見事に描かれている。
テレビドラマでは警察庁長官官房室長の小野田公顕(岸部一徳)が回転寿司店で食べ終わった皿をレーンに戻す、お馴染みのシーンがある。劇場版1作目でも「お約束」として使われたが、非歴史性を正当化する官僚組織の論理への伏線にもなっている。あくまで真実を追求する杉下右京(水谷豊)と、非歴史性を是とする小野田・官房室長の対立は『劇場版U』で一層深まった。ここではキャッチコピー「あなたの正義を問う。」が重要な意味を持っている。
劇場版1作目では批判の矛先は政府や行政にとどまらない。過熱報道を行うマスメディアや、それに乗せられた国民も同罪である。作品中では報道被害の経験者が「マスメディアも国民も散々バッシングしておきながら、時が過ぎるとパタッと報道しなくなった。まるで事件が存在しなかったかのように」と憤る。
非歴史的な日本人的発想では「いつまでもネチネチと批判を続けないことが美徳」と勘違いした理屈で正当化するかもしれない。しかし本来、他者を強く批判をするからには、それなりの理由と信念が存在すべきである。時の経過によって簡単に薄まるようなものではない筈である。逆に、確固とした理由も信念もなく、いい加減な気持ちで流行のようにバッシングされたならば相手は浮かばれない。ところが、それが日本の実態である。
大した理由も信念もなく、一過性の流行に乗ってバッシングする。内心では行き過ぎであると分かっているが、自分達の行為を直視する勇気はない。だからバッシングはやめるが、過去を反省することなく、事件が存在しなかったかのごとく振舞うしかない。まるで報道被害者も報道被害のことは忘れて明るく明日へ向かって歩むことが幸せであるかのように。
記憶にとどめることも反省もしない非歴史的な日本社会に対する絶望的なまでの怒りが強く感じられた。残念なことに非歴史性は日本社会の根幹をなしているといってよいほど巨大なものである。そもそも戦後日本社会自体が戦争責任をウヤムヤにし、焼け野原から経済大国にしてしまうような前に進むような発想だけで成り立ってきたと言える。もっと遡れば本気で攘夷を叫んでいた筈の維新志士達が文明開化を主導することで明治日本が生まれた。
それだけに日本社会の非歴史性を語るならば絶望も怒りも大きくなる。それに正面から取り組んだ劇場版1作目が見終わってスッキリするような誰もが満足するハッピーエンドとなり得ないことは、ある意味当然である。人気ドラマ『相棒』の映画化である以上、娯楽性の制約はある。日本社会を全否定できない娯楽作品でありながら、日本社会の抱える根本的な問題に向き合った制作者のチャレンジ精神に心から敬意を表したい。
一方で劇場版1作目のイラク日本人人質事件の捉え方については異論や不満も多かった。劇場版1作目では作品内でイラク日本人人質事件と類似の事件が起きている。イラク日本人人質事件自体が多くの論議を呼び、世論を二分した事件である。その事件を前提の異なるフィクションの世界に持ち込み、そこから結論を出そうとしているため、その妥当性について議論された。
劇場版1作目では退去勧告が出された国で反政府ゲリラに拘束された青年の家族が「自己責任」としてマスメディアや国民から激しいバッシングを受けた。激しいバッシングという点で2004年に日本人3名がサラヤ・ムジャヒディン(聖戦士軍団)に誘拐された事件が該当する。映画では露骨にも当時の首相(平幹二郎)が小泉純一郎元首相を髣髴させる髪形となっている。
私は本作品においてイラク日本人人質事件は題材であると考えている。あくまで題材であり、主題とは異なる。映画の主題は日本人・日本社会の底流にある非歴史性を批判することにあると受け止めている。
本作品にとってイラク日本人人質事件は主題に入るための材料であり、現実に起きた人質事件のディテールを再現させる必要はない。実際、本作品ではイラク人質事件と異なる設定も多々ある。それらを見極めることはイラク人質事件を正確に理解する上で有益である。
イラク人質事件では人質に肯定的な立場と否定的な立場で激しい対立が起きた。劇場版1作目の描き方は何れの立場も満足させるものではなかった。便宜上、それぞれ人質肯定派、人質否定派と呼び、議論を整理する。
人質肯定派とは人質、その家族・支持者の思想・行動を肯定する人達という意味である。人質になることを肯定する人という意味ではない。人質擁護派という言葉も検討したが、人質否定派との論理的な対立軸として肯定派とした。また、擁護派とすると、人質や家族が激しくバッシングされて可哀想というだけの方も包含されてしまう。後述のとおり、人質肯定派には人質の行動を正当化する論理があるため、擁護派ではなく肯定派という言葉を使用する。
最初に人質否定派の立場で論じる。劇場版1作目では拘束された人物が批判される理由が弱い点が問題である。人質批判派の批判対象は危険地域で誘拐された日本人全てではない。イラク人質事件では渡航自粛勧告を無視して渡航している。これに対し、劇場版1作目の青年は人道支援活動中に退去勧告が出された。しかも退去勧告が出された僅か数日後に拘束された。好んで自ら危険地域に赴いたケースとは事情が異なる。
より大きな相違としてはイラク人質事件では誘拐事件を解決するために、被害者家族や支援者らが自衛隊の撤退を要求した点にある。誘拐した武装集団に対する批判以上に政府批判に熱を入れるような姿勢が反発を招き、バッシングとなった面がある。これに対して、劇場版1作目には青年の家族が直接、政府を批判するシーンは見られない。
結論としてイラク人質事件と劇場版1作目では状況が異なり、人質否定派の論理では劇場版1作目の青年をバッシングしなければならない理由は存在しない。しかし、作品中では激しくバッシングされている。本作品をイラク人質事件のアナロジーとするならば、人質否定派は理不尽な攻撃をしたことになる。根拠なく人質批判をした訳ではないと主張したい人質否定派にとって劇場版1作目は不満が残る。
次に肯定的な立場から論じる。劇場版1作目では政府の退去勧告が出されたのに退去しなかった点が「自己責任論」の根拠となっている。この論理では政府の勧告に従わなかったならば非難に値するが、そうでないならば問題ないという結論に帰着する。実は、これが劇場版1作目の重要なポイントになっている。
しかし、この論理では政府の指示が全てとなってしまう。政府の方針に反する活動を否定することになる。NGOは政府の政策の範囲内で活動するだけの存在になってしまい、NGOの存在意義を貶めるものである。
実際、イラクでレジスタンスに拘束されたオーストラリアの人道支援活動家ドナ・マルハーンは、イラク派兵を推進したハワード首相(当時)に対し、堂々とイラク撤兵を主張した。再びイラク入りした後の2004年11月25日付ハワード首相宛て書簡では「オーストラリア政府による軍事的な関与と同等の友情と共感の人道的な関与が必要」(I need to balance your Government’s military involvement with a human involvement of friendship and compassion.)と自己の活動を正当化した。
そもそも、主権在民の民主国家において政策を提示・批判することは国民にとって当然の権利であり、義務でもある。仮に被害者家族が自衛隊派兵に賛成していたにもかかわらず、メンバーが人質として拘束された途端に武装勢力の要求に従って自衛隊撤兵に宗旨替えしたならば変節漢として非難に値する。しかし、実際は人質事件が発生したためにマスメディアが彼らの主張を大きく取り上げたに過ぎない。結論として劇場版1作目は表面的には人質肯定派に近いように見えながらも、人質肯定派の真の論理を理解していない。
劇場版1作目は人質事件の描き方としては浅く、その視点でのみ観るならば、人質肯定派にとっても人質否定派にとっても不満が生じる。しかし、劇場版1作目の主題は日本社会の非歴史性批判である。過去に追いやられたイラク人質事件の論点を、このような形で思い出すこと自体が日本社会の非歴史性への抵抗になる。改めて劇場版1作目の奥深さが感じられる。
劇場版1作目から『劇場版U』への大きな相違は相棒の交代である。亀山薫(寺脇康文)から神戸尊(及川光博)に交代した。『相棒』において亀山の存在感は大きく、新たな相棒は難しい役どころである。その方向性は亀山退場後、最初に一時的な相棒になった姉川聖子・法務省官房長補佐官(田畑智子)が示していた。
姉川は2009年1月1日放送の「相棒 元日スペシャル ノアの方舟」でゲストとして登場した。これは一人だけの特命係となった右京による最初の放送である。この放送はスペシャル番組に相応しい、どんでん返しの連続であった。
地球温暖化阻止を提唱するエコテロ集団「ジャッカロープ」によるテロによって物語は幕を開ける。しかし、テロの背後には環境問題に乗じて私腹を肥やす政官業の癒着があることが明かされる。さらに約30年前の公害問題まで絡んでくる。前半に登場したヒントが後半の推理に活かされており、長丁場ながら最初から観ていなければ楽しめない工夫を凝らしていた。
米国同時多発テロ以降、「テロとの戦い」が錦の御旗になった感がある。テロとの戦いのためならば人権侵害も正当化できるという危険な傾向が現れている。しかし、『相棒』は極悪非道のテロリストを潰せば平和になるという類の単純な価値観に汚染されていない。一方で過去の公害問題への復讐という動機は積極的には『相棒』らしい社会派、消極的にはマンネリ化と評価が分かれるところであろう。
一時的に相棒になった姉川も「相棒=亀山」の印象が強いために好き嫌いが分かれるところである。法務省キャリアの姉川は、猪突猛進型で「人材の墓場」である特命係に押しやられた亀山とは対照的な存在である。
姉川は肉体派ではなく、頭脳派的な位置付けになる筈だが、推理力の冴え渡る杉下と組む以上、頭脳面ではなく、足で貢献することになる。これは番組の宿命である。しかし、捜査経験のない姉川にできることは限られている。そのため、推理面では相棒というよりも視聴者に説明するためのワトソン的存在であった。それでも最後には犯人にタックルまでするようになった。
性格面では姉川は秘めた情熱を有する人物である。不法投棄の国家賠償訴訟では住民の救済を願い、被害住民の立場に立つ法務大臣を守ろうとする。この点で亀山と共通する熱い人間である。結局のところ、杉下と好対照をなす相棒となるには亀山的にならざるを得ない。姉川のように法務省キャリアという亀山とは対照的な設定にしたとしても、性格や行動は亀山的でないと右京と好対象にならず、『相棒』としては座りが悪い。
姉川のキャラクターは神戸に踏襲されている。警察庁からの出向者である神戸はエリート意識が強かった。一方で『劇場版U』の神戸は隠蔽に加担した大河内春樹・首席監察官(神保悟志)に激しい怒りをぶつけた。
『相棒』は右京と相棒の絶妙な掛け合いが魅力であるが、さらに掛け合いを味付けるキャラクターに伊丹憲一(川原和久)率いる「トリオ・ザ・捜一」の面々がいる。しかし、残念ながら劇場版では「トリオ・ザ・捜一」の出番は少ない。劇場版1作目では亀山と伊丹が最初から協力的であるなどドラマの醍醐味が薄まっている。『劇場版U』では公安部と組織犯罪対策部に関連する事件であることもあって、刑事部の「トリオ・ザ・捜一」は前作以上に存在感は薄まった。
「トリオ・ザ・捜一」の出番は少ないものの、劇場版1作目では笑いあり、トリックあり(事件解決との関連性は疑問であるが)、深く考えさせるところありと内容は充実していた。社会的テーマとの関連もイラク人質事件だけでなく、タイトルにも使われた東京マラソン、SNSなど盛り沢山であった。
これに対し、『劇場版U』では最初から最後まで警察上層部の不正に的を絞った。キーパーソンとなる朝比奈圭子を演じた小西真奈美はインタビューで以下のように答えている。
「彼女は国家権力によって、自分が味わった痛みをなかったことにされてしまう。警察の体制を変えたくても、自分には何の力もない。その切なさや不安、孤独を表現したいという思いで臨みました」(「30代、えい、やってしまえ」しんぶん赤旗日曜版2010年12月26日号)
小西の熱演によって、朝比奈の痛みや悔しさ、無力感は痛いほど伝わったが、映画では彼女が救われたかは分からない。事件の決着も視聴者の想像に委ねられた。それが逆に簡単には解決できない警察組織の腐敗の深刻さを物語っている。

『相棒‐劇場版U』杉下右京を引き立てる神戸尊の正義感

映画『相棒‐劇場版U‐ 警視庁占拠!特命係の一番長い夜』が2010年12月23日に公開された。社会派エンターテイメントとしての評価に恥じず、真実を隠蔽する警察組織の不正に迫った作品である。
『相棒』は刑事物の人気ドラマシリーズである。放送開始は2000年の単発ドラマからで、連続ドラマがseason 9まで続いている長寿作品である。劇場版は2008年5月1日公開の『相棒 -劇場版- 絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン』に続いて、2作目である。
特命係の杉下右京(水谷豊)が亀山薫(寺脇康文)を相棒として様々な事件を解決する作品で、紅茶好きの変人・右京と熱血漢の亀山の絶妙な掛け合いが魅力であった。しかし、亀山は「亀山薫 最後の事件」(2008年12月17日放送)で警視庁を退職する。その後、右京一人だけの特命係を経て、神戸尊(及川光博)が新たな相棒になる。
知性派の右京と肉体派の亀山という対照的な名コンビの印象が強いために、新たな相棒は難しい役どころであった。新たな相棒が第二の薫になるだけであったならば、これまでの亀山ファンからは「亀山の方が良かった」とブーイングされるであろう。そもそも「ミッチー」の愛称があり、「王子」を自称していた及川には亀山のような猪突猛進型は似合わない。
ドラマseason 8で神戸が相棒になった目的は、警察上層部の命で右京をスパイするためであった。そのために当初の神戸は、上層部の意に反しても真実を追求する右京を醒めた目で見るシニカルな役回りであった。それが右京と接することで変わっていくが、基本的には頭脳派であった。推理では右京が上手であり、シャーロック・ホームズに対するワトソン博士のような役回りが多かった。
これに対して『劇場版U』では事実を隠蔽する警察組織に激しい怒りを示し、冷静な右京と好対照を示した。明らかに虚偽内容の上申書が通ってしまい、「悔しい」と嘆く。これに対し、右京は「悔しいじゃない。怪しいですよ」と切り返す。
ここに重要な意味がある。日本社会には不正と欺瞞が溢れている。多くの人々は不正に直面して「悔しい」で終わってしまう。これが不正のなくならない要因である。これに対し、右京は怪しいと考え、粘り強く真実を追求する。神戸の熱い正義感が右京の秘めた正義感を引き立てたシーンであった。

復讐の光も直視『相棒』正月特番・聖戦

テレビドラマ『相棒』が元日スペシャル「聖戦」を1日に放送した。『相棒』はテレビ朝日の人気刑事ドラマシリーズである。「聖戦」は復讐の光の面にも着目した考えさせられるドラマであった。
物語は消費者金融営業の折原忠志(天野浩成)が自宅に仕掛けられた爆弾で殺害されたところから始まる。杉下右京(水谷豊)と神戸尊(及川光博)は12年前に折原のバイク事故で息子を失った富田寿子(南果歩)を犯人と確信する。しかし、犯行を裏付ける証拠が見つからず、捜査は難航した。
刑事物や推理物では殺人犯の動機を復讐とすることは定番である。たとえば漫画『金田一少年の事件簿』や『名探偵コナン』では名探偵が真犯人を暴いた後に観念した真犯人が殺した相手の過去の悪事を語る展開が続く。これによって真犯人側にも理由があったことを示し、単純な勧善懲悪物とは異なる物語の深みを出している。
「聖戦」も、その例に漏れない。世の中には快楽や、つまらない理由から犯罪に走る例も少なくない。しかし、右京の「ゲーム」という言葉に対する以下の台詞が、寿子の覚悟を示している。
「バカにしないで欲しいわ、ゲームだなんて。私は、ゲームなんてしているつもりはないの。これはね、戦争よ。聖なる戦い」
最愛の息子を殺されただけでも十分に同情に値するが、「聖戦」の特徴は息子の思い出や息子を失った後の被害者の苦しみを丁寧に描いていることである。たとえば不登校で引きこもりだった息子が母親を安心させるため、好きな機械いじりを生かして工場に就職したシーンなどである。これらの描写で視聴者は寿子に深く感情移入できる。
復讐するだけの十分な理由があったとしても、刑事物や推理物では復讐を悪と位置づけなければ物語は成り立たない。主人公の刑事や探偵は真犯人の行為を悪であると断罪する立場にある。『相棒』でも右京は何度も復讐の愚を説いている。それは正論であるとしても、虐げられた者の苦しみを知らない優等生的な奇麗事にも聞こえる。
右京を好意的に解釈できる面があるとすれば、彼自身が当時の上司の小野田公顕の失態を押し付けられたにも関わらず、それを恨んでいるようには見えないことである。この点で右京には他者の復讐を批判する資格はあるが、それでも真犯人の背負う苦しみに比べれば軽い。また、窓際部署・特命係で飼い殺しされる状態に問題意識を持たない右京の態度は警察の隠蔽体質に結果的に加担することに等しい。
実際問題として復讐には積極的な面がある。「聖戦」では抜け殻のような人生を送っていた寿子が復讐を計画してから、明るくなり、生き生きとした。仕事ぶりも変わり、職場に不可欠な人と評価され、ファッション雑誌の読者モデルにもなった。復讐心が生きる喜びを与えるという人間の現実をドラマは直視する。
そして最後に寿子を翻意させたものも、杉下や神戸の説得ではなかった。折原の妻の夏実(白石美帆)の身を挺した行動であった。それは憎しみの連鎖を断ち切るという夏実なりの復讐であった。復讐する理由がある真犯人に対し、愛する夫を殺害された妻を対置させる。これによって警察官が建前論で犯人を断罪する白々しさを避けることができる。神戸が最後に述懐したように警察は傍観者に過ぎないという異色のストーリーになった。

『相棒』第12話「招かれざる客」キャラを崩す小芝居が笑い

テレビドラマ『相棒』第12話「招かれざる客」が1月19日に放送された。今回は会社の金を横領して逮捕され、2週間前に出所したばかりの市田の遺体が発見されたことが事件の発端である。捜査一課の事故死という判断に疑問を抱いた杉下右京(水谷豊)は、市田が持っていた観光ガイドに印があったオーベルジュ(宿泊設備のあるレストラン)へ向かった。
『相棒』は警視庁特命係の右京と神戸尊(及川光博)が難事件を解決する刑事ドラマである。相棒というからには二人で一緒に事件を解決していくことが王道であるが、今回の前半では別行動をとる。基本的に推理は右京が上手である。そのため、別行動となると神戸の行動が失敗に終わりがちである。現実に元日スペシャル「聖戦」では右京と別行動をとった神戸は真犯人の自供を録音しようとして失敗した。
これに対して、今回は別々に捜査しながら、二人とも同じ方向性に辿り着いた。そして合流した二人は互いの捜査結果を情報交換し、事件の真相に近付いた。二人は文字通り捜査の相棒になっている。神戸が特命係に配属された当初はギクシャクした関係であったが、今では別行動をとっても信頼し合っていた。
オーベルジュには既に複数の先客がいた。彼らはアガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件』のように、ある意味では全員が関係者であった。真相を炙り出すために、彼らの前で右京と神戸は小芝居を打つ。真相を明らかにするためとはいえ、嘘の言動で相手を揺さぶる特命係の手法が公正であるかは疑問がある。それでも右京がスマートに見える理由は、暴力や暴言で脅す威圧的な取り調べが横行しているためであろう。
右京と神戸の小芝居では二人の普段とは異なるキャラクターが楽しめる。『相棒』は二人の特徴的なキャラクターが魅力であるが、そのキャラクターを崩し、言いそうにないような台詞を言わせることで大きな笑いをもたらした。重たいテーマも扱う『相棒』であるが、今回は軽く楽しめる内容であった。

『相棒』高視聴率は劇場版との連動ストーリー期待か

1月26日に放送されたテレビ朝日系ドラマ『相棒』第13話「通報者」は22.5%というシリーズ最高の高視聴率となった。話の丁寧さ、キャラ作りの上手さが要因であるが、昨年12月23日に公開された劇場版『相棒-劇場版II-警視庁占拠!特命係の一番長い夜』のストーリー連動を期待して観る視聴者も多い。
「通報者」は生活保護受給者への風当たり、学校のイジメ、不正受給、不倫、恐喝など様々なテーマを上手に収斂させた好脚本であった。通報者の少年・祐太(溝口琢矢)に自分を重ねて正面から向き合おうとする神戸尊(及川光博)には亀山薫(寺脇康文)とは別のタイプの熱さがある。一方、杉下右京(水谷豊)は深い知識を駆使して外堀から真犯人に近付いていく。互いの特徴を補完して事件を解決する文字通り相棒となっている。
一方で右京は捜査令状もなしでターゲットの勤務先のロッカーを漁って証拠探しをするなど、相変わらず強引である。『相棒』では令状なしで図書館の司書から閲覧者の個人情報を聞き出したことが不適切としてSeason3第7話「夢を喰う女」が欠番になったこともある。右京は正義を貫く人間と描かれるが、自身の捜査は手段を選ばない。小野田公顕・官房室長(岸部一徳)の台詞「杉下の正義は時に暴走するよ」が深い意味を持つ。そして『劇場版II』の一つの見どころは右京と小野田の価値観の対立である。
多くの映画化されたドラマの例に漏れず、『相棒』も劇場版の宣伝が露骨である。視聴者は映画を観る前に映画の多くのシーンを観てしまっている。それでも『劇場版II』の結末は衝撃であった。それはあまりに突発的な出来事であって、それまでの映画の筋からは予測できない展開であった。この衝撃的な結末を咀嚼するためで映画のリピーターとなった観客もいるほどである。
強いて結末の意味を考えるならば、官僚と威張ったところでチンケな人間に過ぎないというところである。劇場版の宣伝文句には「相棒が国家に挑む」とある。確かに国家機関の陰謀が隠されているが、その国家機関を動かす存在も単なる人間である。「天下国家の計」を見据えたような大人物の凄みはない。つまらない恨みから犯罪に走り、それで運命を狂わされる人もいる。そこにノブレス・オブリージュとは乖離した日本のエスタブリッシュメントのリアリティがある。
過剰な宣伝をしつつも、結末で観客に衝撃を与えられたということは、宣伝の見せ方が巧妙だったということである。確かに予告映像には結末に関係するシーンも使われていた。それでも結末を観なければ想像できない内容であった。
ところが、最近の『相棒』の映画宣伝は結末を強く暗示させる内容に変わってきている。劇場版の結末は番組レギュラーに関係する内容であり、そのレギュラーがドラマで言及されるならば劇場版の結末を踏まえた内容になる筈である。劇場版は2010年夏の設定で、現在放送中のSeason9は劇場版の後になる。劇場版のその後がドラマで描かれるのか、『相棒』から目が離せない。

『相棒』第14話「右京のスーツ」、興奮する右京の変人ぶりに注目

テレビドラマ『相棒』第14話「右京のスーツ」が、2月2日に放送された。今回は新帝都銀行の樋村・支店長(津村和幸)の殺害が事件の発端である。樋村が殺害時に着ていたスーツがオーダーメイドであったことに注目した杉下右京(水谷豊)はスーツを仕立てた「古谷洋服店」を訪ねる。
前回の第13話「通報者」は神戸尊(及川光博)の熱血が魅力だが、今回は博識な右京の独断場であった。右京の薀蓄と観察眼が事件解決の鍵になるという伝統的な『相棒』のパターンである。
右京の観察眼は犯人にとっては恐ろしい。何気ない会話や道具から犯人自身も思いつかない綻びを見つける。六代目山口組は警察官と接触しないなど徹底的な警察対策で有名だが、右京のような刑事が存在するならば、それが合理的である。今回の事件も真犯人が右京の要望に応じなければ、捜査は難航した可能性もある。一方で右京の要望に応じた理由も最後に明かされており、それによって真犯人が本質的には悪人ではないという同情を強める。
今回のウンチクの対象はオーダーメイドのスーツである。オーダーメイドはビスポークとも言われる。テーラーが顧客と話をしながら(be spoke)服を仕立てるためである。『相棒』はソムリエなど職人の世界の描写で評価が高いが、今回もテーラーの世界の奥深さを描いた。そのテーラーの世界に興奮する右京の姿にも注目である。
テーラーの世界の薀蓄やウキウキする右京に比べると、事件そのものは霞んでしまう。意地悪な見方をすればテーラーと右京を絡ませたいために作られた話のように見える。事件そのもののインパクトが弱い一因は、大手不動産会社社長の安藤(森次晃嗣)の秘密が肩透かしであった点にある。
森次はウルトラセブンの仮の姿であるモロボシ・ダン役で有名である。その森次が演じる人物の秘密というからには「正体はウルトラセブン」クラスのものを期待してしまう。確かに脅迫に使われたネタは恥ずかしいことであるが、誰かに迷惑をかけるものではない。しかも同じようなことをしている男性は結構存在する。脅迫に屈するくらいならば開き直ってもおかしくないレベルである。そこが表向きは偉そうでも、体面を気にする小心さのある不動産会社社長の設定に合っているとも言える。
これは変人ぶりを貫く右京とは対照的である。右京はオーダーメイドのスーツに興奮して、神戸に呆れられるが、意に介さない。同じようなマイペースなコダワリは右京の周囲の人物にも見られる。今回は「暇か」でお馴染みの角田六郎課長(山西惇)が特命係に新調したスーツを自慢しに来る。
安くて良い買い物をしたことが角田課長の自慢だが、右京が作ってもらっているオーダーメイドのスーツは金額の桁が違うと水を差される。それでも角田課長は「俺のは、替えズボンが付いてるのだからな」と、あくまで自分の価値観で反論する。相棒のキャラの濃さを実感した放送であった。

『相棒season9』過去の事件やキャラと連動した最終回

テレビドラマ『相棒season9』最終回「亡霊」が、3月9日に放送された。人気シリーズの最終回にふさわしく、過去の事件やキャラクターと連動する重厚なストーリーであった。
最終回では死刑囚・本多篤人(古谷一行)の秘密裏の釈放にまつわる国家の陰謀に迫る。本多は数多くのテロ事件に関与した左翼過激派・赤いカナリア幹部で、その娘の早瀬茉莉(内山理名)と共にSeason8の第1話「カナリアの娘」に登場した。
他にも瀬戸内米蔵・元法務大臣(津川雅彦)や片山雛子・衆議院議員(木村佳乃)が登場し、初代相棒である亀山薫(寺脇康文)の名前も言及された。さらに『劇場版II-警視庁占拠! 特命係の一番長い夜』で死亡した小野田公顕・警察庁官房室長(岸部一徳)も登場し、その思いが明かされる。
単純に過去のエピソードやキャラクターと関係させるだけでなく、レギュラー陣の成長が見られる点が興味深い。「カナリアの娘」では杉下右京(水谷豊)と神戸尊(及川光博)は相棒になり始めた当初であり、二人の関係はギスギスしていた。神戸の質問「今どちらにいらっしゃいます」に対し、右京が「言いたくありません。いちいち君に指図されるのは不愉快ですから」と答えるやり取りもあった。それが今回は右京が神戸に小野田官房室長の墓参りに誘っている。二人が文字通り相棒になったことを象徴する。
根強いファンがいる割には活躍が少なくなっているトリオ・ザ・捜一も今回は上層部と対立するなど見せ場があった。但し、上層部の決定に納得のいかない伊丹憲一(川原和久)は独自に調査するものの、調べた情報を特命係に教えるだけで、「俺は死にたくないので」と自らは手を引く。保身に走るのは伊丹刑事らしくない。もし亀山が存在していたならば、亀山への対抗心から上記のような発言は絶対になかったであろう。一方で特命係と役割分担し、特命係を操縦するようになったと見ることも可能である。
小野田官房室長の遺言とも言うべき思いは「私の目の黒いうちは、誰一人殺させません」であった。もともと小野田は外務省公邸人質監禁・篭城事件で強行突入を命じ、人質と警察官に死者を出してしまう。これが粘り強い交渉で解決を目指した右京との確執の原因であり、左遷部署「特命係」誕生の背景であった。人命よりも迅速な解決を目指して右京と対立した小野田が最終回は死者を出さないことを目指していた。劇場版では右京との価値観の相違が強調されていたが、ここでは右京と同じ立場になっている。
その小野田の死亡は恐らく今後制作されるであろう『相棒season10』にとって、大きな損失である。最終回で小野田の仕事を引き継いだ片山議員がseason10での巨悪的存在になりそうである。しかし、片山議員は現時点では小野田のように愛憎半ばするキャラクターとは言えない。『相棒season10』が放送されるならば、小野田の代わりになるようなキャラクターが登場するかにも注目である。

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